地下鉄に乗って浅田次郎著
これほどの名作がここにまだ書かれていなかったのか。
この本を読んだのは何度目だろう。
整理整頓はあまり良いほうではないので本棚からあふれた本は山積み状態。
探せばこの本などはあるはずなのだが、ついついまた買ってしまう。
今回は出張のお供に新幹線の駅前本屋で買ってしまった。
何度読んでもジーンとさせられてしまう。
兄が高校3年の時、その進学について父と諍いとなり、家を飛び出しそのままメトロに飛び込んで死んでしまった。
独善的な父。金儲けにしか興味の無い父。家族への愛情など欠片もない父。
兄の死から一家は離散への道を進む。
今でも父についての興味などこれっぽっちも無かった主人公。
それが兄の命日のある日の地下鉄の駅を出たところからタイムスリップへの旅は始まる。
タイムスリップをする話なら他にいくらでもある。
タイムスリップをして父と遭遇する話はなかなかに印象深い物語が多い。
東野圭吾の「トキオ父への伝言」、重松清の「流星ワゴン」、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などもそうだろう。
「地下鉄に乗って」はそういう作品との共通点はもちろんあるが、この作品、特にどちらがどちらへ影響を与え合ったり、運命や歴史を変えあったり、という話ではない。
単にその時代へタイムスリップをして見て、その時代を少なからず体験してまた帰って来る。
浅田次郎の作品は映画化されることが多い。
「鉄道員」(ぽっぽや)、「天国までの百マイル」、「壬生義士伝 」・・・などなど、どれもみな、小説も良しなら。映画も十二分に花まるである。
2時間ばかりの映画化にあたっては原作本から切り捨てなければならない箇所は当然出てくる。「壬生義士伝 」などは当然全てのシーンは無理なのでシーンも登場人物も絞って、語り部までも変えて、思いっきり切って切って、それでも映画化としては大成功だろう。
それに比べれば、この「地下鉄に乗って」は、映画化には程よい長さの話だ。
映画もほぼ原作を忠実になぞっている。
もう少し時間があれば全シーンを収めることが出来ただろうに。
浅田次郎のこの作品、どこをどう切れるもんじゃない。
映画化に向けて編集した人は断腸の思いだったのではないだろうか。
結局、父の子供時代のシーンが映画では切られている。結果祖父や祖母の存在も映画では消えている。
兄の死んだ日の東京オリンピックに湧いていた昭和39年の東京へ。
終戦直後の東京。闇市の中でがむしゃらに生きる男。
終戦前、敗戦色濃厚の中、戦線へ送られる若者。
敗戦と共になだれをうった様に満州へ攻め入るソ連軍。
日本軍からも見捨てられた満州開拓団の女子供はソ連軍に惨殺されて行く。
その中をたった一人、日本人の女子供を逃がすべく戦った男。
あの満州から生きて帰ったって?よっぽど運がいいか要領よくやったんだろうさ。
そう言われるその男は要領などはこれぽっちもよくはなかった。
要領がもしよければ、息子にそんな嫌われ方もしなかっただろう。
世間の評判ももっと良かっただろう。
メトロは父の生きたどの時代にも走り続けて来た。
独善的で自分勝手な父が死を間際にして息子に言い訳をしたくて自分の過去を見せたわけではないだろう。
メトロが父の生き様を息子に見せてあげたかった、ということなのではないだろうか。