難民探偵 西尾 維新著
今や、バブル崩壊後の就職氷河期を上回る就職難の時代だという。
新卒者の五人に一人がまだ就職先を見つけられないでいる、という話も飛び出している。その新卒者とはこの3月の新卒者なのか来年3月の新卒者なのか。
やはりこの3月の新卒者なんだろうなぁ。
となるとかなり厳しいこととなってくる。
この春3月の新卒者はもうすぐ新卒者とは呼ばれなってしまう。
新卒と呼ばれる間に就職決定しなければ、その後はもう学生という立ち居地を失ってしまうわけで、状況はますます厳しくなってしまうのではないだろうか。
その割りには政府の出した新卒者向けの緊急雇用対策、就職先が決まらないまま卒業した人への1ヶ月間の体験雇用の制度などは、たった1件の成果も上がらなかったと、ニュースで報じていた。
そこまで雇用する側が疲弊している、ということなのか、制度が不十分だったのか。
この本の主人公である窓居証子という人も、もう気がついた時には手遅れの手詰まり状態。
日本国憲法の国民の三大義務の内、勤労の義務、納税の義務という義務を果たすべき機会を奪われてしまっている。
そんな手詰まり状態で相談に行ったのが祖母のところ。
祖母から紹介されて叔父の人気小説家の窓居京樹の家の家事手伝を半年限定で勤めることになり、さらにその小説家の縁で難民探偵こと元警視庁警視のお手伝いをすることとなる。
ちょっとこれまでの西尾維新氏の作品とは毛色の違う作品。
要所要所に西尾維新氏らしさはあるものの、なんだか別の人が書いたものじゃないか、とまで思えてくるほどに、本来のらしさが少ない。
帯には 『怪心の新・スイリ小説』 とある。
敢えて、スイリ小説としたのは、推理小説では無い事を強調したかったのかもしれない。確かに推理小説としての読み物としては少々もの足りない。
またまた西尾維新氏そのものが直近では零崎人識の人間シリーズなどで推理小説そのものをこき下ろしている。
零崎人識の人間シリーズは四巻同時発売というシリーズものでは考えられないような奇策で零崎シリーズを終えているが、これが今年の3月発売、この難民探偵は昨年の12月の出版。
書いている時期はおそらくだぶっていたのではないだろうか。
方や推理小説やそこに登場する「探偵」という存在をこきおろし、方や推理小説というジャンルにしては少々推理に物足らないものを書く。
そこらあたりに何やら西尾維新氏の隠された意図がある様な気がしてならない。
「新・スイリ小説」と敢えて推理という漢字を使わなかったところにもその意図が見え隠れするのである。
いや、そこまで考えるのは穿ちすぎか?
ちなみにこの本、講談社の「創業100周年記念出版書き下ろし100冊」の企画ので出版された本らしい。
100周年記念出版書き下ろし10冊ならまだしも100冊と言われれば、思いいれは違ったものになるのではないか。
自分のスタイルはそんな100冊の一冊に紛れてたまるか。
思いっきりスタイルを変えてみてやろう。
さて、どんな評価が出るのだろうか、とその反響ををまるで楽しんでいるかの如くにほくそ笑んでいる顔が浮かばないでもない。
顔を浮かぶも何も西尾維新氏の顔など写真でも拝見したことはもちろんないのではあるが・・。
ネットカフェ難民だとかなんだとか言いながら、そのネットカフェの設備の充実さ、綺麗で清潔で、ちょっとしたホテルも顔負けどころかそれ以上。
設備だけではなく、サービスもドリンク飲み放題、マッサージチェアにシャワーの利用、ネットし放題、マンガ読み放題・・・、とこれが難民と言えるのか、格差社会と言いながら下流でも充分セレブじゃないか。負け組でも危機感を抱きにくい。
そんな、現代の難民というメディアのネーミングに対する風刺。
また、主人公の証子にしても四回生になるまでに百社ほどの企業に履歴書を送りつけ、尽く断られたとされているが、明らかに自らハードルを上げて、しかも何が何でもやりたい仕事だからというハードルでもない、意味の無いハードルを上げてしまった結果であり、計画性もヴィジョンも何も持ち得なかった自分自身に責がある。
小説家の叔父(つまりは西尾維新氏の分身なのだろうが)の出発点は、出版社から「お前は応募してくるな!」と言われ続けながらも執筆しては送り続けに続け、そのあげくに小説家としてのステージを獲得した。
つまるところ、目標とそれに向けての熱意の差か。
ネットカフェ難民という言葉が社会用語となり、氷河期という言葉は就職のためにあるような叫ばれ方、そういうものを風刺してみる、そしてそれだけではなく柄にもなく若者達よ、甘えるな!というメッセージを託した試みをこの一冊で試してみたのではあるまいか。
などと勝手に想像しながら読むのも一考だ。