中国メディアの現場は何を伝えようとしているか柴 静


結構、以外だった。

これまで中国発のニュースだとか、中国のニュースキャスターだとかは、中国政府の公式見解を述べる、政府のスポークスマンしか見たことが無かったが、というより、日本で流れるのはそういうものしかないのではないだろうか。
実のところはどうなのか、日本の国内からは全くわからない。

でもちゃんと居たんだ。報道マンが。
ちゃんとあったんだ。対外スポークスマンでないニュースキャスターが。

冒頭で柴静氏を訳者がインタビューする場面からスタートしているが、その中で、中国と言うお国柄での報道の制約や難しさを訳者が質問したところ、どんな国にだって制約はあるはずだ。中国の皇帝の時代の言論統制のあった時代に「紅楼夢」は生まれたし、同じく言論の自由が無かったはずの帝政ロシアにあったってトルストイは生まれた。
と、他の例をいくつか並べて、だから現代の中国でまともな報道が出来ない訳は無い、と。
これを言わざるを得ないということはかなりの制約の中での限られた報道なんだろうな、と思ったが、中身を読んで驚いた。

SARSの発生時の彼女たちの対応。
カメラはだめ。マイクはだめ、と言われても中へ入るという彼女に病院関係者は「中へ入る意味があるのですか?」と問いかける。
まず、報道できるかどうか、音を流せるかどうか、の前に彼女は自身の目で見、自身で話を聞く、そして彼女の見た真実を追いかけることを優先する。

彼女はテレビ局の中で原稿を読むだけのキャスターなんかではなく、第一線の取材記者も兼ねているのだ。

中学生だったか高校生だったか、未成年の女の子たちの連続服毒自殺の未遂事件。
麻薬中毒患者の取材。
中国では人間扱いされない同性愛者の取材。
ドメスチック・バイオレンスに苦しむ女性の取材。
猫を噛みちぎった女性の映像を巡っての取材。
四川省の大地震時の取材。

なにより、政府が対外的に発表したくないはずの公害問題についてもかなり突っ込んで、地方の役人を責め立てている。

もちろん、放映されるまでには、いくつかの検閲という関門があり、それをパスして初めて放映となるのだが・・・その取材内容は政府に不都合な内容は無かった事にして、という内容ではない。
県知事レベルなどはしょっちゅう取材対象となり、批判対象ともなる。
地方の役人レベルからの取材拒否や嫌がらせなどはしょっちゅうだったことだろう。

それって深追いし過ぎたら命狙われたりとか、結構危険なんじゃないのか、と思われる材料も構わず、取材対象に迫っていく。

そして彼女やその周囲のスタッフが作成する報道番組で何人もの役人の首が飛んだりするのだ。
そんな報道が中国国内では行われていたんだ。

この本、たまに文章・文章間の構成がどうもすっきりしなかったり、わかりづらかったりするのが玉に傷。
著者はテレビメディアの人なので書き手としての問題なのか、原著はもっと膨大で、日本語訳を出版するにあたってかなり削ぎ落したのだというが、その削ぎ落して再構成する際の問題なのか、訳者の力不足なのかはわからない。
ただ、変に削ぎ落すのではなく、原著にあるがままに出版されたものを読みたかった。

この人を持って、キャスターと呼ぶなら、日本のニュースキャスターと呼ばれる人たちの言動はなんと安易なものに思えたことか。
なんと薄っぺらなに感じたことか。

やっぱり、あの国は外からではなかなかわからないことが多いなぁ。

中国メディアの現場は何を伝えようとしているか -女性キャスターの苦悩と挑戦-  柴静 著