数式に憑かれたインドの数学者デイヴィッド・レヴィット


数学という学問、中学・高校までなら論理的思考を身につけるための学問という大義名分があるが、その先の課程、専門課程として取り組む数学やその先を行く数学者と呼ばれる人達が生涯をかけて成そうとする証明。
その証明が出来たところで、世の中何が変わるわけでもない。
誰が得をするわけでもなく、昨今話題を振りまいた「STAP細胞」のように、存在すれば世の中が大きく変わるといったこともない。まぁ、たいていの場合は。

仮に素数の成り立ちを数式で表し、それが正しい事を証明できたとしても、喜ぶのは世の中のほんの一握りの数学者、もしくは数学者を目指す学生達ぐらいのものか。

インドに生まれた天才数学者、ラマヌジャン。
この本、ラマヌジャンの評伝だということだったが、ラマヌジャンのことより、ラマヌジャンをインドからイギリスへ呼び寄せたケンブリッジ大の数学の教授ハーディの周辺の記述の方がはるかに多い。

ハーディの性癖(同性愛者なのだ)とハーディの周辺、そしてハーディから見たラマヌジャン。
そんなハーディ中心のタイトルの方がフィットする。

こお本ではラマヌジャンの偉業よりも彼がイギリスへ来てからの食事の悩みや体調の悩みの方が文字の分量としてかなりウェイトが高い。
大昔、ガンジー伝を読んだ時に、ガンジーがイギリスで学ぶ時にそんな食事の悩みなどという記述があっただろうか、さっぱり記憶に無い。
まぁ、食事の悩みや体調の方をメインにするのは致し方ないのかもしれない。
彼の思い付く算式をえんえんと書かれたって、読者には何のことやらさっぱり、なのだから。

ラマヌジャンには数式が湧いて出て来る。
数式が舞い降りて来る。
彼曰く、ヒンドゥーの女神ナマギーリが彼に数式を示すのだそうだ。
彼は証明が苦手。
ハーディは彼に証明の大事さを教えようとする。

だが、もし数式が勝手に舞い降りて来るのなら、その証明などどうやって出来ようか。

ラマヌジャンが数式を導き出す課程が本当にそのようなものだったのなら、ラマヌジャンにとって数学とは冒頭に書いた論理的思考を身につけるための学問でさえ無いということになってしまう。

この本はノンフィクションではない。

とはいえ、この時代について作者はかなり念入りに調べたのであろう。
第一次大戦前や、大戦中のイギリスという国の空気、ケンブリッジの周辺の空気などがかなり濃密に伝わって来る。

数式に憑かれたインドの数学者 上・下 デイヴィッド・レヴィット 著  柴田 裕之 訳