現代日本の転機高原基彰


著者は執筆前に韓国、中国に2~3年ほど滞在し、日本へ帰って来てあまりにも日本人が無力感、閉塞感を持ちすぎていることに驚く。

あまりにも被害者意識が強すぎるのではないか。
団塊世代 VS 若者世代、男性 VS 女性、正社員 VS 非正規雇用、都市 VS 地方・・・と対立の構図と目されているものはあるが、各々が被害者意識をよる他者攻撃を行っている。
日本人は結局何に怒っていて、どうしたいのか。
外から見た日本人に対する疑問と同じ疑問を著者は抱く。

日本はかつて福祉国家では無く、福祉国家である必要がないほどの福祉社会と呼ばれた。
そんなバブル崩壊前の「超安定社会」は二度と来ない、と誰しもわかっているはずである。
しかしながら対立の構図から浮かび上がるのは過去の超安定社会を求めているものに他ならない。

日本型終身雇用制度をはじめとする日本的経営は海外からしてジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれる一方で、長期雇用の弊害やエコノミックアニマルと呼ばれるほどのゆとりの無さが問題視された。
自民党型分配システムも公共事業による中央から地方への分配によって地方の雇用を維持させた安定社会を支える反面、腐敗の温床と批判された。

だからゆとりを重視したゆとり教育や、個人の自由、新しい働き方を求めた結果が現在だろう。
またまたそれが蒸し返されて、ゆとり教育は全否定。
自民党型分配システムは構造改革の推進にてその姿を無くした。
個人の自由や新しい働き方もそれまでとは正反対の位置づけで、保護されるべき人たちになってしまっている。

かつて良かれ、と思われて推進したことも一部は確かに良かったが、中にはその根本が否定されてしまうというのは、結局は世の中景気次第ということなんだろう。
とはいえ、リーマンショックの少し前までの数年間は神武以来の好景気と呼ばれていた。
著者は構造改革にもクエスッションマークをつけるのだが、構造改革はもっととことんやり通すべきだったのだろう。
また好景気でも自由で新しい働き方から安定思考への流れが止まらなかったのは、やはりバブル崩壊後の就職氷河期と呼ばれる時代を先輩たちが経験したことも要因の一つだろうし、企業側も一旦味わってしまった雇用の流動性によるメリットをもっと享受していたかったことの影響もあるのかもしれない。

いずれにしろ時計の針は戻らない。
今さら、超安定を求めたところで流動化したものを固形化するなど猛暑日に溶ける氷を扇風機で冷やして氷らそうするに等しい愚である。

この本は最近出版されたばっかりだと思っていたのだが、第一刷出版は鳩山政権が発足してからしばらく後の頃だった。
当然、書いている頃は、まだあの政権ではなかったわけだ。

これを書いている頃よりもずっと今の方が無力感、閉塞感を持つ人は多いだろう。
なんせあの政党による政権がまだ続いているのだから。

とはいえ、この本の内容が陳腐化したわけではない。

日本がGDP世界第二位を中国に明け渡したときに、韓国の人はこう言っていた。
「これまでが良すぎたんでしょ。でも、まだまだ良すぎますよ。」と。
外から見たら、そんなものだろう。

1970年以降というまだ歴史になっていない時代を現代史として洗いなおし、今日に至る経緯がいかなるものだったのか。
現代というものがいかなる時代なのか、をあらためて解説してくれている。
特に若い世代に読まれて欲しい本だと思う。

現代日本の転機 ―「自由」と「安定」のジレンマ (NHKブックス) 高原 基彰 著