ザ・ラストバンカー
元三井住友銀行頭取にして、前日本郵政の社長、西川氏直筆の回顧録。
西川氏で思いだすのは何と言ってもあの日本郵政社長の座を追われる時のあの苦虫を噛み潰したような表情だろうか。
この本にも郵政の事は終盤に出て来るが、大半はバンカー時代の話に誌面は割かれている。
さながらバンカーの視点から見た日本の戦後経済史、と言ったところだろうか。
いざなぎ景気からオイルショック、バブル、そしてバブル崩壊、銀行の不良債権問題の多発から金融ビッグバンまでと凄まじいばかりの上り下りの時代をバンカーのど真ん中に居て体験しているのだ。
もちろん、墓場まで持って行かなければならない話など山ほどあるのだろうから、ここでふれられていることなど、氏の体験の中のほんの一掴みほどかもしれない。
ことにバブルなどというトンデモない時代を作り上げるのに大銀行が果たした役割はかなりのウェイトだろう。
わずかな元手を担保に金を貸し付けて、ビルを買わせ、そのビルを担保にさらにビルを買い増して行く。
濡れてに粟のバブル紳士を次から次へと産み出したのは銀行だろう。
もちろん、その中での氏の役割がどうだったのかは知る由もないが・・。
少し前に「バブルへGO」という映画が有った。
広末涼子と薬師丸ひろ子の母娘がバブル時代へタイムスリップして、バブル崩壊の引き金となった総量規制をSTOPさせようとする映画だ。
あの映画からすれば、総量規制をSTOPさせれば、その後の日本経済はまだまだ上昇気流のままだった、ということなのだが果たしてそうだろうか。
確かに総量規制は一気にバブルを崩壊させたが、あのままでいいわけがない。
寧ろ、バブルが始まる前にタイムスリップして総量規制を導入させるべく動く方がはるかにマシだろう。
すでにあぶくでパンパンになってしまってから、どれだけ緩やかな政策をとったって所詮あぶくはあぶく。
銀行の不良債権が消えるわけでもなんでもないだろうに。
昨年末頃だったか、中国のバブル崩壊を声高に叫んでいる論調に出くわしたことがある。
彼の国では土地やマンションが高騰したかもしれない。確かにそれが下落することもあるだろう。
それは日本のバブル崩壊と同じだろうか。日本の場合は全く無から有を作り上げるほどに無茶苦茶な貸付があった。
彼の国は日本のいいところも悪いところも充分に勉強済みだろう。
日本の下落とはやはり違うのではないだろうか。
氏が表舞台に出て来るのは、そんなあぶくが弾けた後の金融再編時代。
一体、どれだけの銀行が合併したのだろう。
銀行の系図でもなければ、もはや元々が何銀行だったのかもわからない。
富士、日本興業、第一勧銀が一緒になってみずほに。
三菱と東京がひっついてさらに三和と東海が引っ付いたUFJと合併して三菱東京UFJへ。
そんなどでかい合併だけじゃない。
中小どころもあっちとこっちがくっついてって全くわけがわからない。
唯一、大手の中で孤高のように合併をせずに来た住友信託もこの春にとうとう中央三井と合併する。
これでローカル銀行以外の主要銀行はすべて合併したのではないだろうか。
そんなダイナミックな合併の一つ。
三井と太陽神戸がくっついてさくらに、さらに住友と合併して三井住友へ。
その渦中に居た人が回顧録を書いているのだ。
こういう本のことだ。
自分に都合の良いことばかりを書いているだろう、という批判はもちろんあるだろう。
だが、敢えて自分に都合の悪い話ばかりを書く必要などどこにあるだろうか。
ハナから差し引くところは差し引いて読むぐらいのつもりで読めばいいだけのこと。
経済記者が書いたわけじゃないんだから。
そんなダイナミックな世界の中枢に居た人の肉声がから拾えるものを拾えば充分だろう。
終盤の話は何と言っても郵政民営化後の氏の役割。
民営化後の社を引っ張って欲しい、と三顧の礼で迎えられ、郵政という組織のあまりの官僚ぶりに呆れつつも、大ナタを振るって、民間企業たろうとする。
そのまだ道半ばでありながらも同じ郵政解散で大勝ちした政党の幹部から梯子をはずされたような格好だ。
パフォーマンス好きの政治家にいいように振り回される。
時の総務大臣、鳩山邦夫氏は再開発中の東京中央郵便局へテレビカメラを引き連れて、「こんなことをしたのは誰だ」と大真面目にパフォーマンス。
かんぽの宿を安売りした、と報道ナントカのキャスターまでもがさんざんわめいていたっけ。
氏が行い、また継続させようとしたことは、まさに今、橋本大阪市長が行おうとしていることと同じだろうに。
ついには政権交代で脱官僚の謳い文句の政権が元大蔵事務次官の官僚を氏の後に据える。
財政投融資の受け皿へと逆行し、民営化が後退する様を見て、どれほど氏は歯がみしたことだろう。
橋本改革が同じ憂き目を見ないことを祈るばかりだ。