小林多喜二 21世紀にどう読むかノーマ フィールド著
永らく歴史の中で埋もれていた小林多喜二という存在。
2008年に『蟹工船』が脚光を浴び、再び世にその姿を表す。
ではその生き様とはどんなものだったのか。
ノーマ・フィールドという人、母親が日本人で日本にての在住期間もあり、専攻が日本文化だとは言え、日本語で物を書くよりも英語で物を書くことの方が多いだろうに、なんとも日本の物書きよりもはりかに達者である。
小林多喜二についても丹念に資料を調査し、取材をし、綿密に分析をしている。
昨年あたりに『蟹工船』がブームとなったのは、非正規雇用社員として、ワーキングプアと呼ばれる人達の共感を得たため、と言われる。
メディアもこぞって、派遣業界を非難し、非正規雇用社員を放置した政治を非難した。
ところが今年に入ってどうだろう。非正規雇用のみならず正規雇用社員にしたって、自宅待機などという会社がわんさか出て来ており、もはやどこが潰れてもおかしくないような状態にてはそこの正規雇用社員だといったところで不安定度合いで言えば非正規と何ら変らない。
一部メディアや一部の政党がは、『蟹工船』の時代の無産労働者と、現代の若者を同列視するように喧伝し、小林多喜二関連の記事も軒並みそういう論調だったが、ノーマ・フィールド氏はそういう怪しきブームがあることなども踏まえて執筆したのだろうが、さような安易な結びつけを一切していないところが、冷静で、好感が持てる。
農地解放前の時代の地主VS小作人と現代の正社員VS非正規社員、現代の経営者VS従業員、それらの関係を同列に扱えるだろうか。明治・大正・昭和の戦前までの時代までは、当時の棒給の格差たるや今日の比では到底ない。
役人と無産労働者の棒給の比、経営者と労働者の棒給の比、それこそ何百倍、何千倍の世界である。
現在の日本においてはほんの一部(ITベンチャーと名乗る連中)を除いて、ほとんどそのようなことはないだろう。
せいぜい何倍レベル。桁違いまでいかないのではないだろうか。
『蟹工船』という本、世界中に翻訳されたらしいのだが、今の時代にその状態に一番近いのは少し前の、いや今もか?世界の工場の地位を欲しいままとするお隣、中国かもしれない。
彼の国の工場での劣悪な労働環境については、あの非正規労働者の味方の様な石田衣良の池袋ウエストゲートパークでも『死に至る玩具』として書かれている。無論、他にも多く書かれているが。
最低賃金法はなんとか出来たと聞くが、日当が百何円、残業してもプラス数十円の労働者が居ると思えば方や、数百万の自動車を安い安いと、いとも容易く購入する層もいる。
その労働者が今年の春節で里帰りをするあたりから、もう工場へ帰って来なくていいよ、と職を失い、路頭に迷う。
アメリカの自動車業界でいくら人員削減したところで組合からの失業手当で充分に生活できるレベルとは世界が違う。
それはさておき、小林多喜二という人、貧困層に目を向け、最後は獄中拷問死という暗いイメージが先ず浮かんでしまうが、この本を読む限り、かなり明るい人だったようだ。
イデオロギーなどはどこかへ置いておいて、再度『蟹工船』を読みたくなってしまった。