スクラップ・アンド・ビルド羽田圭介著
又吉氏の「火花」と同時に芥川賞を受賞した作品。
母親が働きに出て、息子は一旦は就職はしたものの、辞めてしまい現在中途採用の就職活動中の無職。
そんな二人家族のところへ要介護老人の祖父が転がり込んでの三人の生活。
母が実の父である祖父を邪険に扱うのだが、これがなかなかにリアルなのである。
祖父が薬を飲もうと、水を所望したところしたら、
「自分で汲め!」
「そんな薬、飲んでも飲まんでも同じやろうが・・・」
「これみよがしに杖つきやがって」
みたいな。
それに対して祖父の方は、
「自分なんか早よう死んだらええ」
「もう死にたい」
「早ようお迎えが来んかな」
こんなやり取りに対して息子はある時、ふと目が覚めた。
自分は今まで、祖父の魂の叫びを、形骸化した対応で聞き流していたのではないか。
毎日天井や壁だけを見ている毎日など、生きているだけ苦痛だろう。
「死にたい」というぼやきを、言葉通りに理解する真摯な態度が欠けていたのではないか、と。
祖父の「死にたい」という気持ちをかなえてあげられるのは自分しかいないのではないか、と考え始めてしまうところがこの息子の面白いところ。
となると実現に向けて突っ走る。
過度な介護を行うことで、筋力を衰えさせようとか、思考能力を低下させようとか、画策し始める。
これを足し算介護と本人は呼んでいる。
方や、デイサービスなどの介護は歩ける人も車椅子に載せ、同じような足し算介護をやっているのだが、一見優しさに見えるその介護も動機が違う、とデイサービス職員に対しては、批判的なのだ。
介護老人が年々増え続ける、今日だ。
そりゃ早く死なせてあげなきゃ、と考え始める人が出て来てもおかしくはない。
しかしそれを実践しようという人は身内の介護に疲弊しきって、このままじゃ自分もダメになる、と追い込まれた人だろう。
この青年ほどに祖父の事を思いながら実践しようという例は皆無ではないのだろうか。
祖父は予科練から特攻隊へ行くはずだった。だから生への執着などあるはずが無い。
誇り高い特攻隊の生き残りにちゃんとした尊厳死を、と真剣そのものなのだ。
それにしてもこの祖父・母をはじめとする周囲のやり取り、あまりに生々しく実体験してないものにはなかなか」書けないだろう。
こちらの受賞そのものは又吉氏フィーバーでほとんど騒がれることも無かったが、面白さの点ではこっちに軍配かもしれないな。