セピア色の凄惨 小林泰三


とある探偵事務所に「親友を探して欲しい」と女性が訪れる。
手がかりは年代の異なる写真が四枚のみ。

そこからこの探偵の調査が始まるのだが、彼の調査結果は全く親友の行方を探しているものでは無かった。というより、その友人のことなどかすりもしていない。

たまたま写真の中に居合わせたかもしれない一人ひとりの人の身の上話を調査結果として報告しているのだ。
その調査結果がそれぞれ「待つ女」、「ものぐさ」、「安心」、「英雄」という四編に綴られている。

「ものぐさ」
一家の主婦である。その主婦が面倒くさいからと食事を作らない。
面倒くさいから洗い物をしない。
夫の帰宅が遅くなるので食事はコンビニ弁当で済ませるようになる。
ゴミを捨てに行くのは面倒くさいから部屋に放置する。
洗濯も面倒くさいからしない。
電話が鳴っても立ち上がるのが面倒くさいから放っておく。
玄関のチャイムが鳴っても面倒くさいから放っておく。

これだけの面倒くさがり屋が良く出産など出来たものである。
出産しないのもまた面倒だったのだろうか。

夫も妻が電話を出るのに立ち上がりもしないほどに面倒くさがりなことを容認しているのであれば、携帯電話でも買い与えておけば良かったものを・・。
それがあればその後の事態は変っていたかもしれないのに。

それだけの面倒くさがりでもコンビニへ出かけるのだけは面倒くさがらずに続けている。気になるのはその生活費。
一家の稼ぎ頭を失ってしまって、この女性の怠惰な生活では仕事に就くなど有り得るはずもなく、生活保護でも受けるしかないのだろうが、役所へ出向いて届けを出すなどという面倒なことをどう考えてもしそうに思えない。
生活費を賄ってくれる裕福な親でも居たのだろうか。
それな親が居たなら、こんな生活を放ったらかしにするはずがない。
・・・などという現実的なことをついつい考えてしまうのである。
もともと探偵さんの作り話かもしれないような話なのに。

話はどんどん凄惨さを増して行く。

心配性という世界をはるかに超越してしまっている女性。
不安神経症とでも言うのだろうか。いやそんな世界もはるかに超越してしまっているだろう。

物を購入してもその物が壊れることを異常に怖れるためにあろうことか、その購入物を破壊することで、ここまでしても壊れなかったと安心する。
携帯電話を落として壊してしまったらどうしよう、その恐怖を取り除くために2階から買ったばかりの携帯を投げ落とす。
無事なら無事でさらに高いところから落としてみて・・と最後に破壊されるまでの一通りの確認作業を行わなければ気がすまない。
幼いころからそうだったようで、金魚を飼うと死んでしまったらどうしよう、とあろうことか漂白剤を水槽に入れ続けるのだ。

ある意味、この確認作業なしですまない人が良く大人になるまで生きてこられたものだ、と驚くばかりである。

この二人の異常さに比べたら「英雄」の主人公などははるかにまともだろう。
ただ、その地方そのものが少々異常。
岸和田のだんじりを知っている者からすれば、何よりも祭り優先の地方があってもおかしくはない。
中にはそこで命を落とすことこそが名誉、という考えの地方があってもおかしくはない。
ただ、凄惨さの描写はこれが一番かもしれないので、気の弱い方にはお勧めではない。

著者はこの異常さを日常の延長だと言いたいのだろうか。
「待つ女」の異常さ、初対面の時にその人が前日ナンパした相手じゃなかったことがわかったところでどうだというのか。
その後、今の妻とはずっと付き合い続け、子供もいる。それのどこが偽りの夫婦なのか、読者はそう思うが、常に別の見方を作者は提示し続けるのだ。運命の人ではなかった、と。

「ものぐさ」ではだって面倒くさいんだからしようがないじゃない、と。

ジャンルではホラーということになっている。
確かにホラーなのだろう。
お化けも幽霊も登場しないが・・。
現代版のホラー小説か。
いや本の背表紙にある通り「悪夢のような連作集」というのが妥当な表現なのだろう。

セピア色の凄惨 (光文社文庫) 小林 泰三 (著)