晩夏のプレイボールあさのあつこ著
ちょっと季節はずれではありますが、夏の甲子園を目指す高校球児を主人公とする小篇が10篇ほど。
高校野球は季節はずれでも高校サッカーや高校ラグビーはこれからが全国大会。
アメフトのように出場チームの少ないスポーツならリーグ戦で一度負けてもまだ先があるが、野球やサッカーのような出場校の多いスポーツは過酷だ。
トーナメント。この制度はたった一つだけの勝者の椅子を争って、残りの何千校はどこかで必ず敗者になり、その舞台から姿を消す。
全国でただ一つのその椅子を目指している学校はまず稀だろう。
目指すのはまずは全国大会への切符。
野球ならもちろん甲子園への切符。
高校のスポーツというのは何か特別なものを感じる。
高校3年間とはいえ、野球であれば夏の甲子園まで2年とほんの数カ月。
サッカーの場合は、全国大会の選手権を目指すのはスポーツ推薦を目指す選手や、高校、大学とエスカレーターになっている一部の私学は別だが、一般の大学進学を目指す選手たちは大抵、春のインターンシップ予選で敗退したところで引退が決まる。
その最後の大会での全国出場を目標に中学時代から、もしくは小学生から、中には幼稚園時代からずっと練習して来た選手も居るだろう。
なんだろう、あの高校時代ならではの最後の大会に負けた時に感じる「あぁ、これで終わったな」という感じは。
他の大会、中学でも大学でももちろん社会人でも感じたことがない、あの「終わったな」という独特の感じ。
野球はまだ同点なら延長戦をしてくれる。
キッチリと負けを認めさせてくれる。
高校サッカーの場合は全試合の三分の一近くは同点の末、PK戦で勝者が決まる。
一点も失点していなくても・・・
こちらのゴールが脅かされることなど一度もなくて、押して押して押しまくって相手はかろうじて失点を免れたに過ぎない相手であっても、いやそんな試合ほど、PKの神様は逆を指名する。
今年の駒野ではないが、PKを外した選手は茫然自失状態。
誰も責めてなどいない。
どちらかのチームの誰かがはずさない限りは終わらないのだから。
誰かが、その「はずした」という咎を被らないことには終わらない。
なんて酷な体験を高校生にさせているのだろう、と見るたびに思うが、それもやがては苦くて貴重な思い出となって行く。
ついついサッカーに逸れてしまうが、この本はもちろんサッカーのことなどは一文字も出て来ない高校野球の話である。
それでも思いとしては同じ高校スポーツとして通じるものがある。
この本に10篇の物語がある如く、全国の何千校の球児たちにも何千の物語があるのだろうし、サッカーにも他のスポーツにも毎年、何千の物語が生まれているのだろう。
そんな何千何万の思いを集約したかのような短篇集。
あさのあつこという人、良くこれだけ高校球児に思い入れがあるものだ、と感心してしまう。
「女の子はグラウンドに立てないのか?」と中学を目前にショックを受ける小学生野球少女が登場するが、それこそ、あさのあつこさん本人じゃなかったのだろうか。
などと勘繰ってしまう。
どの話もなにか胸に来る話ばかりではあるが、最初と最後がやはりいい。
「終わってない。まだ俺たちの夏は終わってない」それは簡単に諦めるなよ、という若者達への強いメッセージでもある。