造花の蜜連城三紀彦


なかなか期待させる出だし、予想を裏切る展開。
誘拐・身代金奪取ということを試みながらも結局一銭も奪い取らず、・・どころか奪い取れるはずのお金を返上しながらの人質解放。
犯人には別の目的があったのか・・・・・と本来ならば、ぐいぐい読まされるはずの展開。

非常に発想の面白い作品なのだが、何ともリアリティが無いという印象が残ってしまうのである。
小説なんてそんなもの、と言ってしまえばそれまでなのだが・・・。
もっとリアリティの無い世界を舞台に描いている作家でさえ、バックボーンにリアリティが無い分、ディテールにおいてのリアリティさにかけては細心の注意を払っているはずである。

細かいことを言い出せば、被害者宅へ来た刑事が「ご主人が金持ちだという事を云々」
「金持ち」って・・・そんな表現。
ちょっとした言葉遣いだけでも、それまで積み上げて来た、エリート刑事のキャラクターを台無しにしてしまいかねない。

それにしても日本の警察もずいぶんとなめられただ。
いくら昔に比べて未解決事件が多くなったとはいえ・・・。

渋谷のど真ん中でいくら人通りが多いからと言って、犯人が指定した場所へ車を乗り付けての人質解放。
それで、共犯も誰一人逮捕者が出来ない?
周囲一体、私服の警官が取り巻いているというのに。
遠隔地から指定場所への監視体制も整っているのに。

その前にも指定の交差点に目印の赤いペンキのようなもの。結局血だっただが、それをどうどうと撒き散らかした車も追跡出来ない?
そこまでひどい?

ミステリーものというのは謎になった部分について最後には全て、あーそうだったの、という納得させる答えを読者に提供するものとだと思っていたが、いくつもの「?」はそのまま放置されたままである。

人質の母香奈子と刑事が渋谷で共に見た、目つきの鋭いいかにも人相の悪い犯人っぽい男。
それって結局何者だったの?
何故、刑事にあれが犯人なんですか?と聞かれて「犯人です」って香奈子は答えたのは何故なんだ?
渋谷の交差点に撒かれた血は結局なんだったの?。
などなど・・。
あえてグレーにする部分とグレーを明らかにすべきところについて、少し極め細やかさに欠けていやしないか。

刑事が質問している事に「そんなことどうでもいいじゃないですか」などという香奈子の口調ってどうなんだ。
一般人がいくら誘拐事件の最中だからと言って刑事という人種を前にしてそんな言葉を吐けるか?

相手が刑事だから、だけでなく、誘拐された被害者宅は刑事を呼んで来てもらっている。助けを請うている。そういう立場である。
彼女は偉そうな言葉を吐ける立場にはいない。

納税者の立場から言わせてもらうなら、この女性は国民の血税を使って、誘拐された子供の救出に来てもらっているのである。
この被害者側の態度は許しがたい。

後にもっと許しがたい存在である事があきらかになるのだが、その前に反感を持たれてどうする。

共犯者でもあり被害者でもある青年の話のくだりなど、なかなかに面白い筋立てだろう。

それでもいくらなんでも最後の事件のくだりは、もうほとんどアルセーヌ・ルパンじゃないか。
平成日本に現れた女アルセーヌ・ルパンといったところか。

物語の要所要所に必ず蜂が登場する。
蜂が所謂キーワードなのだろうか。蜂という存在に何かを暗示させているのだろうか。

そんな一見極め細かいようなつくりに見えながら、実はかなり荒っぽい作品なのである。

閑話休題。
蜂と言えばこの本が出版された2008年、日本から大量に蜜蜂が減少した。農家は授粉作業を蜜蜂に頼って来ただけに、今後が大変なのだとか。
閑話休題終わり。

この本、新聞の書評欄でのベタ褒め記事を読んで読む気になったのだが、その書評といい、ずっしりとしたこの本の重量感といい、いかにも面白い本ですぞ、と言わんばかりの装丁といい、読む前にかなり大きな期待を持ちすぎてしまったのがいけなかったのだろう。宮部みゆきばりの事件的描写を期待してしまった。

少々辛辣な感想になってしまった。

この辛辣さは、あくまでもそういう過度な期待度が事前にあった上で読んだためのものであって、予備知識なしに読み始めれば、間違いなく面白い作品の範疇に入るのではないだろうか。

「造花の蜜」 そうまさに造花なのだ。本物の胡蝶蘭では無く、あくまで造花の蜜。
なかなかにして相応しいタイトルではないだろうか。

造花の蜜 連城三紀彦 著(角川春樹事務所)