悪道森村 誠一


森村誠一ってこんな本を書く人だったっけ。

「青春の証明」だとか「野性の証明」なんて読んだのははるか以前のことなので作風は覚えていないなぁ。
「母さん、僕のあの麦わら帽子、どうしたんでしょうね」だったかな。

今ではもっぱら母親役でしか見ない薬師丸ひろ子が中学生だっただろうか、高倉健と共演していた野性の証明の映画なら良く覚えている。

まぁ少なくとも、森村誠一が時代物を書く人だとは知らなかった。

時代物には大抵、善玉と悪玉が登場するものが多いが、ここでは徳川第五代将軍、綱吉のお側用人柳沢吉保がその悪玉。
もう一人の悪玉はあの世にも名高い悪法「生類憐みの令」を桂昌院に進言したと言われる僧の隆光。

物語は、綱吉が吉保の館を訪れて、能を演じている時に倒れ、そのまま亡き人となってしまうのだが、その発覚を恐れた吉保と隆光が綱吉の影武者を抜擢し、そのまま綱吉が顕在であるということにしてしまおう、という野望から始まる。

影武者で思い出すのは隆慶一郎が書いた影武者徳川家康の話だろうか。
話が脇道にそれるが、隆慶一郎という人、自らが尊敬する小林秀雄が生きている間は、その辛口が恐ろしくてとても小説を書くことが出来なかった、と言われている。
小林秀雄亡きあと、立て続けに時代物を執筆・出版して行った。
もっと若いうちから書きはじめていたら、時代物の大家として名を残したかもしれない。
その隆慶一郎の徳川家康の影武者とこの悪道に出てくる綱吉の影武者、結構共通点が多いように思えた。

綱吉の影武者を立てることに決めた吉保は隆光の助言を悉く採用し、綱吉が亡くなった当日に居合わせた人間で、綱吉の異変に気が付いたであろう人達をリストアップし、悉くその暗殺を企てる。

当日、居合わせた人間が悉く行方不明になってしまうことの方がよほど不自然であろうに。

そして当日居合わせた流英次郎という伊賀者と御典医の娘の江戸から逃避行を試み、悉く追手を退けるかと思うと、影として立ててやったはずの偽の将軍が、本来の将軍よりも将軍らしく、善政を布いて行こうとする様に慌てふためく吉保と隆光。

所謂、勧善懲悪ものである。

それにしても影の存在を将軍だとして老中はじめ、幕閣の人間も、最大の難関の大奥の人達も誰も疑っていない、という状況の中で天下の大老格がお目見え以下の軽輩の存在を怖れる理由がどこにあるのだろうか。

この本、講談社100周年書き下ろし100冊の一冊。
従って全て書下ろしのはずなのだが、週刊誌や月刊誌に連載したものを一冊にした本に見受けられるような、同じ説明が何度も記述されているのが少し気になった。

隆慶一郎の影武者と同じようににこちらの影武者も人間としては素晴らしいのだが、両者を比べると、あまりにこちらの方が有り得ない設定が過ぎていて、二つのうち、どちらかに軍配を上げろというなら、間違いなく、隆慶一郎だろう。

それでも、流英次郎の東北地方への逃避行の際に丁度その10年前に松尾芭蕉が「奥の細道」で辿った軌跡をそのまま辿っていき、その先々で詠んだ句が登場したり、とまま楽しめる本ではある。

悪道  森村誠一著  講談社 書き下ろし100冊