カテゴリー: ア行



愛、ファンタジア


1830年、フランス軍がアルジェリア上陸を始める。
その1830年代があったかと思うと作者の幼年時代に、また再び1800年代に、舞台は小さな章を経る事に年代が変わって行く。
どの時代でも語り部は、北アフリカのイスラムの女。
1830年から20年ほど続いた戦争。
そして第二次大戦後直後より続いた戦争。
1962年に独立するまでの間、1830年からトータルで132年間もの間、アルジェリアの人は、フランスと戦うか従属するかのどちらかをせざるを得なかった。

その戦いはアルジェリア戦争として男たちの戦争として歴史年表に残るのだが、読み書きのすべを知らない女性たちは口伝えにその歴史を語り継いで行った。

1830年の上陸戦の時には、二人の女性の事が語られている。
一人は息絶えながらも、その手にはしっかりとフランス兵からえぐり取った心臓が握られていた。
もう一人は子供を抱えて逃げていたが、銃弾に当たって傷つくと子供を敵の手に渡すまいと、その子の頭を石でたたき割った、とある。

なんという凄まじさなんだろう。

1845年、山間部の洞窟に隠れ住んでいた部族をフランス軍は火責めにする。
60mにも及ぶ炎を18時間もの間燃やし続け、煙攻めにし、燻し続ける。
その後に残ったのは男、女、子供1500人の死体。数百頭の羊と牛の死体。
これは口伝えではなく、従軍していたスペイン人士官が書き残しているものからなので、その数字はおそらく妥当なのだろう。

19世紀と20世紀を行ったり来たりしながら、一体何人の女性から伝え聞いたのだろうか。
ムジャヒディンをかくまったとして、家を焼かれ、逃げ惑う女性。
夫を殺され、兄が殺され、息子が殺され、家が焼かれる女性。
この本一冊の中に何度家が焼かれる話が出て来ることか。

フランスとアルジェリアの関係という意味で日本で一番有名なのはあのワールドカップで活躍したジダンではないだろうか。
なかにはカミュという人も居るかもしれないが・・。
あのワールドカップの試合最中での相手選手への頭突き。あれは当時、「移民の子」とヤユされたのではないか、ともっぱらだった。

フランスの中での移民問題で言えば、現大統領のサルコジ氏はかつて、内相時代に移民たちを「社会のくず」「ごろつき」と広言したことは良く知られている。

著者は1936年生まれのアルジェリア人である。
同世代の女子がブルカというヴェールを被り、家の中に閉じ込められる年頃にフランス語の学校に通い、フランスへ留学する。
その彼女でさえ、この本の中で何度もフランスをして「敵」という表現を用いている。

彼女はフランス語はかつて自分の国の人々を葬る石棺だった、とも書いている。
そう書きながらもその言語を使ってこの本を書いている事への自己への矛盾についても自問する。
この本の背表紙には、20歳で「アルジェリアのサガン」といわれ・・という説明文がある。
そんな彼女だからこそ、「他者の言語」であったとしても、敢えてフランス語で同胞の嘆きを著すことの方が発信力は大きいのだろう。

フランスではつい先日の4月に「ブルカ禁止法」が施行されたという報道があった。

この本の中の1840年代の記述に地方の郷長が娘を花嫁とする婚礼の行軍の際に裏切り者によって殺されるシーンがある。
裏切り者たちは、女性たちに装身具を差し出すように命令する。
花嫁であり郷長の姫である女性はティアラをはずし、ヴェールを取り去るかと思うと全身に纏っていた装身具をはずし、とうとう裸になってしまう。
あたかもヴェールを取ることではもはや裸になったのも同然とでもいうように。

つい先日ビン・ラディン容疑者をアメリカの部隊が急襲、射殺したというニュースが全世界に流れ、米国では拍手喝采の嵐が報道された。

あの9.11の惨劇を思えば、誰しも理解は出来る。民間人を無差別に対象とするテロ行為など許せるものでは無いのは当たり前である。

それでも方や虐げられて来た民族の人たちは、100年以上にわたって無辜の民を殺され、略奪され、焼き討ちされ、ついには蔑まれたのだ。

100年以上にわたってムジャヒディンたちは民族のために戦い続け、女たちは彼らを匿い続け、家を焼かれた。

この日本に住む我々は、震災後のトモダチ作戦を展開してくれたアメリカ軍の人たちにもちろん「ありがとう」の気持ちで一杯だし、原発へ対処への支援の手を差し伸べてくれているフランスの人たちにも「ありがとう」である。

それでも米国大統領は選挙での勝利という目標があるにせよ、リアルタイムで皆で急襲作戦を眺めていた写真を公表したり、皆を歓喜させる演説は米国内のみならず世界に流れているのである。
あれを見たイスラムの人たちの気持ちは複雑だったのではないだろうか。

もはや死刑は執行されたのである。
執行された後の歓喜である。
正義の勝利宣言よりも寧ろ「亡くなった魂よ、安らかなれ」のような声明文を残すぐらいにしておいたら良かったのに、と思うのは私だけだろうか。

イスラムの人たちの気持ちを逆なでするするほどに聖戦士の卵たちは耐えることなく生まれて来るではないのだろうか。

アメリカもフランスもイスラムの人たちの気持ちを逆なでする政策を施行したり、演説をしないでおいて頂ければ宜しいのにと、我々が感謝するアメリカの人やフランスの人のためにも思ってやまない。

愛、ファンタジア アシア・ジェバール著  石川清子訳



キケン


表紙がいきなり漫画だったのには少々面食らいましたが、あの「フリーター、家を買う。」の作者の本でしたので、思いきって手を出してみました。

「フリーター、家を買う。」はドラマ化までされて、寧ろドラマの方が有名になってしまった感がありますが、ドラマは原作の良さを出していたのでしょうか。
ドラマは主人公君が正社員になるところで終わっていたように記憶していますが、原作は少し違います。
寧ろ、正社員になってからの目覚ましい成長ぶりの方が光っていたように思えます。

さて、この「キケン」ですが、こうしてカタカナで書くと「危険」としか思えませんが、成南電気工学大学という男ばかりの大学の「機械制御研究部」略して「キケン」。

新入生向けのクラブ説明会でいきなり爆発実験。
グランドで大爆発を起こして、3階まで達するほどの火柱を上げるわ、クレーター並みの大穴は空くわ。
確かにキケンなクラブです。

上野先輩という二回生でありながら部長のハチャメチャなやり方が物語を引っ張って行くのですが、合い間、合い間、に登場する夫婦の会話からして10年前の思い出話だとわかります。

学園祭の模擬店では「模擬店とは店の模擬だ!」とわけのわかならい叫びと共に本格的な店舗を急ごしらえで作ってしまい、一日三交代二十四時間制って学園祭でなんで深夜営業なの?
去年の売上の3倍を目指す!ってどこまでも本気。

そんな思い出を妻に語りながら、あそこはもう自分の居る場所じゃないんだ、と学校から遠ざかる本当の主人公さん。

全力無意味、全力無謀、全力本気。
一体、あんな時代を人生の中でどれほど過ごせるだろう。

楽しかったのは正にその厨房の中で、シフト終わるなり植込みに突っ込んで寝るほど極限まで働いている正にその瞬間なんだ。

爆弾やら学園祭やらロボット相撲大会やらでのハチャメチャぶりは有川さんにしてみれば前振りでしかなかったのすね。

それにしても前振りにしてはずいぶんと派手にやんちゃに遊びましたね。

ある程度の年齢の人なら誰しも、このぐらいの世代の頃には程度の差こそあれ、人にも言えないほどのバカをガムシャラにやっていた記憶はあるのではないでしょうか。

確かに世の中、不景気で、就職難で・・・でも、そこで小さく自分をまとめてしまわずに!

今しか出来ないことを精一杯やれよ。

無意味に思えることでも、無謀と思えることでも、なんでも全力で、本気でやっておけよ。

という有川さんから若者への強いメッセージが伝わってくるのです。



新しい人生


オルハン・パムクという人、トルコ初のノーベル文学賞受賞者だとか。
刊行時にトルコで史上最速の売上を達成した・・。

そんな宣伝文句につられてしまったが、トルコという国柄を知らない人間にはなんともページの進まない本であった。

これだけページが進まないのは、ひょっとして訳者の問題では?、などと途中で思ったりもしてしまうほどであった。
「朝、一日が私を起こす前に目覚めて、私が一日を迎えるのです」
こんな訳文って有りなの?と思える箇所が度々だったこともある。
「○○がわが国にとってどれほど有害なことかを議論する機会を得た」
これはあることを調査する調査員からの報告書の文体なので余計に硬いのだろうが、「議論する機会を得た」ってどれだけ直訳なんだ?まるで翻訳ソフトが訳したような訳文じゃないか、と読みながら思ってしまう。
考えてみれば、登場人物のキャラ作りなども翻訳ものではかなり訳者に依存されている面があることは確かなんだろう。
第一人称にしたって日本語では「私」「ぼく」「俺」・・・と訳者次第で言葉遣いやら表現の仕方が変わることは否めない。

とは言っても、このページの進まなさは翻訳者より作者によるものなのだろう。
訳者は原文にかなり忠実に翻訳という作業をこなされた、ということなのだろう。
案外、日本の芥川賞受賞作なんかを一回英訳して、それを忠実に邦訳し直したら、文体はこんな感じになるのかもしれない。
それでもストーリーそのものは本来の著者によるものなのだから。

トルコというお国。
シリア、イラク、イランといういつも日本の新聞の紙面のどこかには顔を出す中東の国と接し、最大の都市のイスタンブールは限りなくブルガリアやギリシャに近い。
西洋と中東の狭間にあるこの国は中東の色が非常に濃い文化をかつては持ちながらも常に西洋からの息吹を受け、国としてはスポーツの世界でも、スポーツ以外でもアジアではなくヨーロッパに属しながらも、宗教は、というと国民のほとんどはイスラム教徒のお国柄。

本の中にも「西へ我々がチェスを伝えた。(中略)宰相をクイーン、象をビショップに変えた(中略)チェスを自分たちの理性の・・合理主義の勝利として我々に返してきた・・」というように、自らの文化を西洋色に変えられつつあるこの国の人々は、西洋、アメリカ発の便利で合理的なものを享受したい反面、この本に登場する西洋化反対の組織のように、自らの国の文化を守りたい気持ちとの間で常に心の中は揺れているような、そんな国民性なのではないだろうか。(と勝手な想像)

仏教伝来の頃よりずっと、異文化の吸収、新技術への取り組みや新しいものを受け入れることに関しては世界でも稀なほどに寛容で柔軟な日本という国に住んでいるが故に尚のこと、そういう心を理解するにはその文化への理解が不可欠だろう。

この震災にて、原発事故にて、夜でも明るいのが当たり前だった町が夜は暗くなり、ある一部の人は自然回帰を訴えるが、日本人の寛容性はおそらく変わらないだろう。

「ある日、一冊の本を読んで、ぼくの全人生が変わってしまった。」で始まるこの本。
この一行けでもかなり期待をしてしまうだろう。
が、実際には前段を読み切る苦痛を通り抜ければならない。前段を通り抜けれさえすればその後はなんとかページは進んで行くはずである。

いずれにしろ、トルコという国にもっと馴染みが無ければ、いくら優れた作家の本であっても難解になってしまうことはやむを得ない。

いや、トルコへ留学したというこの訳者そのものがあとがきで述べている。
難解で唐突なストーリーについてゆけず、第一章を読み終えないうちに断念してしまった、と。
訳者が自らが断念した本を翻訳している、というのもかなり珍しいことのように思えるが、それは単に知らないだけだろうか。

あとがきでは、トルコの歴史をかいつまんで紹介してくれているので、それにはかなり助けられる。

1980年代に輸入規制緩和が行われ、大量の外国製品が流入し、・・・そして1993年に経済危機が訪れ、インフレ率が150%を超える、そんな時代が背景にあるのだという。
邦訳こそ2010年であるが、20年近く前のそんな時期に発表され、トルコで大人気となったこの本、もっとトルコという国情やら、歴史やら固有名詞やらが身近になった上で読めばその人気の秘密が明らかになるのだろう。

そうでもない現状ではとりあえず、読む人に新しい人生などを与えてくれるわけではもちろんないが、もっと速読の術でも身につけねば・・なんていう向学心は与えてくれるかもしれない。

新しい人生 オルハン・パムク著  安達智英子訳 ノーベル文学賞受賞作家