血と骨

梁石日の「血と骨」が映画になってしまった。
しかも主演はビートたけしだと言う。
小生、最初に聞いた時にはピンと来なかった。
小生の思い描いていた金俊平はもっともっとどでかい身体の男をイメージしていたからである。
映画の前宣伝を見ているうちに、フムフムと納得してしまった。
金俊平の持つ強烈な迫力をこの男は演じられるのでは無いだろうか。
いや、むしろ他に適役がいないのではないかとさえ思った。
実際のイメージとは異なっても役者がいないから仕方が無い。
大仁田厚にあれほどの役がこなせる訳も無し。
(大仁田厚ファンの方には失礼!ですが彼の本業は役者では無いですから貶した事にはならないでしょう)

実は小生、映画化と聞いてから、観に行かねば・・と思いつつも今日に至ってまだ観に行っていないのだ。
その代わりにもう一度「血と骨」を読んでみて、・・・な、な、なんと金俊平のイメージがビートたけしにかぶってしまっていた。
まるでハリーポッターの映画を観た人がハリー=ダニエル・ラドクリフのイメージとかさねてしまうが如くに。

話が映画化の方向へ飛んでしまったが、『金俊平』という男、なんと凄まじい男なのであろうか。
今でこそ「ドメスティックバイオレンス」という言葉は一般的となり、その被害者に対する認知度も高くはなっているが、その比ではあるまい。
いえ、ドメスティックバイオレンスの被害者の方には同じかもしれませんね。暴言、お許し下さい。
あらためて読み終えてみてこの金俊平というこの怪物の様な男が実に人間臭い男でもあった事に気が付くのである。以上なまでの金に対する執着。
そんな事はおくびにも出さないが、恐れていない様で成長し、自分を憎む息子を実は恐れ、あれだけ恐れさせた妻、英姫さえも実は恐れていたのではないだろうか。

あんな怪物みたいな男が実在するだろうか。
各一面、一面ずつであれば類似した人間を知っている。
今よりもはるかにヤクザがヤクザとしての看板でのし歩いていた頃、若干高校生でありながら、途轍も無い男が居た。身長は2M弱ぐらいか。体重は100K前後だったろうか。筋肉質の相撲取りの体型を思い浮かべて頂ければいいだろう。
一旦その男の怒りに火が付くと、もう誰にも止められない。ヤクザがたむろしている喫茶店の中で、ヤツはやってしまった。そう。暴れまくったのだ。たむろしていたヤクザもその場から一旦は退かざるを得ない。
もちろん彼等は喧嘩のプロなので、やられたらそれなりのやり返す手段は持っているだろうが、とにかくその場では「あっけにとられていた」という表現が正しいだろう。
彼は今頃どうしているのか、極道の世界に入ったのか、当時でも半ばパチプロだったのでそういう世界で生きているのか、つまらぬ喧嘩で命を落としたか、ともすれば真面目な公務員にでもなっているのか(これだけは99.99%無いとは思うが)、まさに怒りに火の付いた金俊平の様な男だった。

和歌山にも一人居た。これは全然タイプは異なるが身体だけは異様に大きい。
普段は礼儀正しいヤクザ屋さんなのだが、一旦酒が入るともうダメ。
ヤクザ屋さんの世界では組長は親分の名の通り、親であり、現代の権威の無い父親では無く、正しく儒教精神、礼儀正しい江戸時代の親である。
この男、酒が入ると暴れまくり、親でも制止出来なかった。結局酒で命を落としてしまったが・・。

年をとってからの金俊平のタイプで言えば、とことん金に執着し、その扱いは誰にも任さず、金、金、金で90歳を超えてまだ金に執着する男がいた。
墓場まで金は持っては行けるまい、と本人もわかってはいるのだろうが、それがその人間の性(さが)の様なものである。
ハハ、当時その男から小生、不動産を借りてしまっていたのだ。
これ以上は生々しくてとても語れない。

血と骨 梁石日 著