沙中の回廊

私は一人の作家の本を一冊読み、ちょっとでも興味をそそられると、その作家の書いた本は全読破する事にしている。
古いところから言えば、太宰治、川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、檀一雄、石川達三、大江健三郎、五木寛之、松本清張、山崎豊子、城山三郎、高杉良・・・・と書き出せばキリが無いが、全くジャンルは問わず、ひたすら全読破をする。
だが、それが本来の本の読み方としていい事なのだろうか。例えば大江健三郎の本の中で何が一番好き?だとか、「芽むしり仔撃ち 」という本の感想は? などと聞かれても、答えられない。要は何も残っていないのである。
愛読書と言えるものを持たない。この作家が好きというものを持ち、同感し共感し、何かのつまずきが有った時にその本を読めば元気づけられる、そんな本を持っていない事は非常に浅薄な読み方しかしていないという事であろう。

日本史を舞台にした小説では司馬遼太郎の右に出る人はいないだろう。エッセイや対談集以外の出版物は全て読破した。

宮城谷昌光という人の本は中国の古代史を舞台に数々の本を出している。三国志あたりを書いている作家は多いが春秋時代を舞台にこれだけ多くの作品を書いている人を他には知らない。
もちろん、春秋時代以外にも最古から言えば夏王朝の滅亡が舞台の「天空の舟 伊尹伝」、商王朝の滅亡を舞台にしたものでは「王家の風日」、「太公望」。 秦の始皇帝が中華統一を果たす前の舞台を作った名宰相、呂不韋を描いた「奇貨居くべし」などは春秋時代以外が舞台である。
宮城谷本は雑学の宝庫である。貨幣というもの由来。商を描いた作品では今日の「商人」という言葉の由来を教えてくれる。酒池肉林の由来もしかり。
中国史は夏王朝(殷とも呼ばれる)、商王朝、周王朝・・と続いて行く。
周王朝と言っても王朝そのものの影響力、支配力の有った時代は少なく、晋、秦、衛、鄭、斉、魯、宋、楚・・と言った各国、中でも晋と楚が中華の覇権を争う。
夏・商・周と移り変わっても九鼎の鼎と呼ばれる王朝のシンボル、日本の天皇家で言うところの三種の神器に相当するだろうか、を持ち続ける事で王朝としての威厳を保っている。
これを日本の歴史に置き換えると周王朝は天皇家、晋、楚、秦、斉、宋・・の各諸侯、中でも覇権を握った国は日本の源氏、北条、足利、織田、豊臣、徳川という武家に相当するだろうか。春秋時代というのはそういう時代である。
「鼎の軽重を問う」(統治者=トップを軽んじ、その地位を奪おうとすること。)という言葉があるが、これはこの沙中の回廊でもその由来は出て来る。
中華の覇権を狙う楚の壮王が周を見下し、周に神器として伝えられる鼎の大小、軽いか重いかをたずねる。
荘王の問いに 周王の臣の王孫満は「鼎の軽重は徳によるものであり、鼎そのものの軽重に意味はありません。(中略)いま周の徳は衰えたとはいっても、天命が改まったわけではありません。したがって鼎の軽重をまだ問うてはなりません」と答える。
天命と言われ、天の思想に対抗しうる思想を持っていない荘王は返す言葉を失う。

宮城谷の春秋の描きは司馬遼が日本の戦国時代を幕末をありとあらゆる視点から書いたかの如く、各国の色々な立場からの視点で描かれる。
斉の桓公に仕えた名宰相、管仲の視点。魯の書生曹劌(そうかい)の視点。秦の名相百里奚の視点。鄭の宰相子産の視点。戦国時代であれば楽毅の視点、孟嘗君の視点。斉の名宰相、晏子の視点。春秋時代の五覇、つまり5人の覇者 斉の桓公、晋の文公、秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王の中の一人である晋の文公である重耳の視点。その重耳に仕えた介子推の視点。同じく五覇の一人である宋の襄公の宰相華元の視点。はたまた、中華一の美女と言われるが、鄭から陳へ、陳から楚へ、楚から晋へと渡り歩く不遇の人、夏姫など。
それぞれの視点ではあるが、共通しているのは、片方の視点で名宰相として描いた人物は、その敵国の視点から見てもやはり名宰相として描かれる、徳のある人物、義に厚い人物も同様に別の視点から見てもやはり徳のある人物、義に厚い人物という事で、これは司馬遼太郎にも共通している。
ところがこの「沙中の回廊」だけは、そうでは無いのである。「孟夏の太陽」という晋の名君重耳に仕えた趙衰、その子趙盾、その子趙朔、その子趙武、さらにその孫趙鞅、またその子の無恤、と晋の歴代の名宰相を生み出している代々の趙氏を時代に跨って描き、周王朝が名目だけの王朝となったかの如く、晋をはじめとした各国も君主が徐々に名目化され卿と呼ばれる有力な臣の一族が力を持ち、政治を行い、晋の有力な臣のその食邑は一国の領土を凌ぐ。最終的には有力な臣の三氏、韓氏・魏氏が晋を牛耳っていた知氏を滅ぼし、晋は趙・韓・魏の三国に分割される、という春秋時代の終焉までを描いた作品があるのだが、その中の主人公とも言える趙盾は「孟夏の太陽」の中では徳のある名宰相として描かれている。旬林父(旬は草冠なのですが変換されない)にしても決して悪くは書かれていない。
それがこの「沙中の回廊」の中での趙盾は、ぼろくそなのである。勇気も無い、決断力も無い、外交も下手、戦も下手で無能で私利私欲のみに生きる人物として描かれ、旬林父にしても無能な人物として描かれている。
これは極めて稀な事ではないだろうか。
「沙中の回廊」は天才的な兵法家でありながら上士でも太夫でも無い無位無官の立場から、最後は晋の宰相にまで昇りつめる士会という人物が主人公なのだが、士会の様な非凡な人間から見ると、かつて名宰相として描いた趙盾でさえ、無能な私利私欲のみの人間として見えた、という事なのだろうか。
宮城谷氏の作品は「春秋左氏伝」「史記」はもちろん「穀梁伝」「公羊伝」「国語」「周志」・・などの数多くの過去の文献を元にしているのだが、それぞれ書かれた時代もバラバラであるし、その中には断片、断片しかなかったはずである。また「春秋左氏伝」に記述はあるが「史記」には記述が無い、もしくは各々の内容に矛盾があったりする。
それらの断片を拾って来てはパズルを埋めて行く様につなぎ合わせて行くのであろう。パズルをいくら埋めてみたところで所詮は断片。
その断片のはざ間を想像し、その時代の風景を読み、あたかも見て来たかの如くに一人の人物の生涯を書き上げて行く。
「孟夏の太陽」の中での士会は立派な軍略家ではあるが、脇役でしかない。「孟夏の太陽」を書いた時には見えなかった新たな風景が士会の目を通して再度見つめる事で見えて来た、という事であろうか。
もちろん、史実には忠実には書いていてもその史実の断片のはざ間はあまりにも大きい。大半は作者の創作によるもので、作者の思い入れで人物像にも肩入れをするであろう。士会を天才として描くには趙盾には無能になってもらうしか無かったのであろう。
日本の戦国時代とは規模が違う。3日も行軍すれば敵と遭遇する様な距離では無い。
30日も40日も行軍してやっと戦場に辿り着ける様な距離の差がある。敵についての情報量などほとんど無いのではないだろうか。だからこそ、重大な決断事には何より占いを重んじる。だが、この物語での士会は何百里も離れた敵の動きを断言するのである。
作者の士会に対する思い入れの大きさの表れだろうか。

宮城谷氏の本を人に薦めてみても、漢字が難し過ぎるからであろうか、なかなか面白さに辿り着く前に挫折されてしまう事が良くある。
何冊も読めば慣れては来るが、なんせ当用漢字には無い文字がやたらと出て来る。こうして書こうにも漢字変換では出て来ない文字ばかりである。
出版社も苦労している事だろう。人の名前も似た名前が山ほど出て来る。漢字のルビは一回は振ってくれるが二回目は振ってくれない。忘れた頃にルビを振ってはくれる場合もあるのだが、音読をしている訳ではないので、最後まで間違った読みのまま読んでしまっているかもしれない。
そんな面でとっつきにくい面もあるかもしれないが、別に読みがなんであろうが、物語の大局には影響しない。
そんな事よりも、与えられるものの方がはるかに大きい。

冒頭の話に戻るが、宮城谷本こそ、全読破するするにふさわしい。

沙中の回廊 宮城谷昌光著