月別アーカイブ: 1月 2009



転生


「し」の次に「転生」などと言うタイトルが続くと、いよいよこのサイトも宗教めいて来たか、と思われるかもしれない。

まぁ宗教とは全く無縁ではないかもしれないが、この本は「心臓移植手術」の話である。
主人公はまだ若い学生。拡張型心筋症という重い心臓病でいつ死んでもおかしくはなかったのだが、ドナーが現れ、心臓移植の手術をしてもらう。

心臓移植の手術は大成功で、それまでは食べ物などほどんど受け付けない様な身体だったのが、手術の翌朝には食欲が旺盛になり、身体からエネルギーが湧き出て来る。

それと同時にこれまでに無かった才能が現出する。
聞いた事も無いショパンの曲をさわりを聴いただけで題名がわかり、絵画の才能がある自分にも気がつく。

それにこれまでに出会った事もない女性の夢を見るようになり・・・。

この展開は・・・。かつて読んだ本に、移植手術で殺人魔の内臓やらをそっくり移植してしまって、その殺人魔の意識を引き継いだ人の話なんかがあったが、そういう展開か?

その逆も確かあったような・・。殺し屋が移植手術を受けた後にあたたかい心を持つというような展開。

はたまた、一旦は死んでしまったのだが、この世への思いが断ち切れなく、霊界から現世へ他の人の身体を借りて一時的に戻って来る類の話。

そんな展開になっていくのだろうか・・などと考えてしまったが、もっと違うテーマがあった。

人間の記憶の在り処はどこなのか。
通常考えれば、脳でしかないのだが、大昔より心=心臓であり、全く違う文化で生まれた英語のheartもやはり心であり心臓だ。
単なる偶然なのか。

血液を循環させる身体の1パーツでしかない心臓に心があるのではないか、と主人公が考えるのもうなずける。
そこへエミリア・ドースンというアメリカの心臓移植体験者がドナーの記憶や趣味や嗜好までそっくり転移したという手記を読むにあたって、主人公の思いは確信に近くなって行く。

この話、そういった人の記憶の在り処を探していくことと併行しながら、レシピエントとして生きる人の思いも描いている。

なんせ心臓移植を受けたということはドナーの心臓はその時もまだ動いていたのだから。思いは複雑なんて簡単な言葉では片付けられないだろう。

ジャンルで言えばミステリーなのだそうだが、ミステリーというよりももっとテーマが前面に出た小説。 もちろん少々荒唐無稽なところもあるのでそれを差し引けば社会派小説のと言ってもいいかもしれない。

転生  貫井徳郎 著




平仮名一文字で一番多くの意見を持っているのは何か。
作者は日本語大辞典で調べてみる。
その結果、1位は「し」で259。2位は「き」で243。
今度は「字通」で調べてみてもやはり
1位は「し」で297。2位は「き」で286。

この奇妙なひらがな一文字タイトルの「し」という本、「し」という読みを持った漢字、子、師、歯、死、誌、姿、祠、刺、試、使、嗜、仕、氏、試、覗、それらを一つ一つを取り上げいるエッセイ集なのでした。

それぞれのエッセイの中にはその漢字の生い立ち、成り立ちにもふれられています。

– 子 – この漢字、子供が手を広げて跳ねまわっている姿を表しているのだということでした。子供が手を広げて跳ねまわらない現代の子供達にあてる「子」という文字は横棒がもっとだらっと下がっていなければならないのだといいます。
なるほど。

– 師 – これも考えさせられる文字ですね。
今の世で「あなたの師と呼べる存在は?」と聞かれて、即座に答える人など確かにそうそうは居ないでしょう。
この作者にはその存在が居たとはっきり言えるところが今時そうそう居ない人なのか。
誰しも今の自分を形成するにあたって最も影響のあった人物の一人や二人あるいはもっと、は必ず居るでしょうが、なかなかその存在を「師」とまでは呼べないものではないでしょうか。

– 歯 – 文庫のあとがき氏もこれを絶賛しておられましたが、ここに登場される老女(と言っても良い歳なのでしょう)の歯科医師の魅力的なこと。
田中角栄が表れる以前の新潟で一番の英雄の家に生まれ、その生家の敷地はもとより、庭の池だけで300坪というとんでもない大金持ちの子として育ち、スポーツをさせれば、スキーで国体に何度も選ばれ、その後長崎で被爆し、歯科医になった後も周恩来から長島茂雄から、サムスンの会長・・・までもが彼女の患者だったらしく、何か途方も無いほどに大人物でありながらそんなことを自慢するでも無く、恬淡として格好いい。
そんな先生に歯の治療をされた話。

そのあとも、父の命がけの大手術の事を語る「死」
学生時代の文学少年時代を振り返る「誌」
このあたりから徐々にこの作者の人間像が少し垣間見えるようなエッセイが続きます。

無宗教の男が神とたたえるものを書いた「祠」
たばこは数のでは無く、嗜むもの、と愛煙家としての気持ちを書く「嗜」
    ・
    ・
最後の「覗」などは、よくぞ恥をしのんでこれを書けたものだ、と少々関心してしまいました。

「し」という読みを持った漢字で思い出してしまうものはと言えばなんだろう。
資本、資金の「資」、視野、視界の「視」、我々の業界では欠かせない仕様書の「仕」、始末の「始」、・・・・。

いや、今ならまさに四苦八苦の「四」かな。

『し』原田 宗典著



MW-ムウ-


これは「読み物あれこれ」に載せるべきものなのかどうか。
本屋では平積み状態。
バンバン売れているのだろう。
手にとってみるとなんと手塚治虫原作の漫画であった。
漫画ではあるが充分に読み物に値するのではないだろうか。
何故、今頃手塚治虫だったんだろう。
没後20年。生誕80年。
今年この「ムウ」が映画化されるのだという。

ある時はエリート銀行マン、ある時は誘拐犯、ある時は神父に懺悔をする男。いや誘拐どころか強盗・殺人も平然と行ってしまう。
あまりに美形なので、女性に変装しても誰も疑わない。
そんな主人公、結城美知夫と教会の賀来(がらい)神父が二人だけで共有する過去のある秘密。

某国の軍事基地のあった沖ノ真船島という島に隠されていた「MW」という名の毒ガス兵器。それはほんの微量が漏れただけでも大量の死者を出し、いや、人間だけではなく、生けるもの悉くを死にいたらしめてしまうというまるで核兵器の様な生物兵器。
沖ノ真船島で事故によってそのガスが漏れ、島民全てが全滅してしまう。その惨劇のあった島でたまたま風上の洞窟に隠れていたために助かったのがこの二人。
事故は某国の意向を受けた日本政府によって揉み消され、全く無かったものとして扱われる。

事故以来、美知夫は凶悪な人間と化し、揉み消しを行った連中への復讐心に燃える。

この物語の中でもベトナム戦争時に米軍がある村へ散布した生物化学兵器にふれ、非人道的兵器の使用について問われた米軍のスポークスマンをして、苦しまないで死ぬのだから、寧ろ人道的兵器だと言わしめている。

化学兵器の恐ろしさは掲げればいくらでもあるだろうが、オウムのサリンをひくまでも無く、無差別殺人という行為に繋がる。
それは化学兵器に限らず、核にしても同じであろうが、戦闘員、非戦闘員を問わない無差別大量殺戮兵器。

ソ連がアフガンへ侵攻した際に至るところに地雷をばら撒いて行ったが、その地雷の近くには子供用のおもちゃが置いてあったそうだ。
子供を吹っ飛ばすのが目的だったとしか思えない。
未来ある子供達を吹っ飛ばすということは民族根絶やしでも考えていたのだろうか。

第二次大戦での東京大空襲だって同じだろう。
女・子供問わずに全員の虐殺をカーチス・ルメイは考えていたとしか思えない。
ちなみにその後広島、長崎への原爆投下を指揮したのもカーチス・ルメイである。
大戦後の日本は復帰一筋で復讐の鬼とはならなかったが、非戦闘員への無差別殺人によってもたらされるのが復讐の鬼達なのではないだろうか。

折りしも、イスラエルによるガザの人口密集地への空爆は現在も続く。
ここでも白リン爆弾という兵器が使われている。
白リン爆弾は摂氏5000度を超える熱で街で焼き尽くし、その後には猛毒ガスも発生するのだという。

非人道兵器が使用されるたびに、何十人もの結城美知夫が生まれて来るような気がしてならないのだが、どうだろう。

MW-ムウ-  手塚治虫 作