月別アーカイブ: 5月 2011



愛、ファンタジア


1830年、フランス軍がアルジェリア上陸を始める。
その1830年代があったかと思うと作者の幼年時代に、また再び1800年代に、舞台は小さな章を経る事に年代が変わって行く。
どの時代でも語り部は、北アフリカのイスラムの女。
1830年から20年ほど続いた戦争。
そして第二次大戦後直後より続いた戦争。
1962年に独立するまでの間、1830年からトータルで132年間もの間、アルジェリアの人は、フランスと戦うか従属するかのどちらかをせざるを得なかった。

その戦いはアルジェリア戦争として男たちの戦争として歴史年表に残るのだが、読み書きのすべを知らない女性たちは口伝えにその歴史を語り継いで行った。

1830年の上陸戦の時には、二人の女性の事が語られている。
一人は息絶えながらも、その手にはしっかりとフランス兵からえぐり取った心臓が握られていた。
もう一人は子供を抱えて逃げていたが、銃弾に当たって傷つくと子供を敵の手に渡すまいと、その子の頭を石でたたき割った、とある。

なんという凄まじさなんだろう。

1845年、山間部の洞窟に隠れ住んでいた部族をフランス軍は火責めにする。
60mにも及ぶ炎を18時間もの間燃やし続け、煙攻めにし、燻し続ける。
その後に残ったのは男、女、子供1500人の死体。数百頭の羊と牛の死体。
これは口伝えではなく、従軍していたスペイン人士官が書き残しているものからなので、その数字はおそらく妥当なのだろう。

19世紀と20世紀を行ったり来たりしながら、一体何人の女性から伝え聞いたのだろうか。
ムジャヒディンをかくまったとして、家を焼かれ、逃げ惑う女性。
夫を殺され、兄が殺され、息子が殺され、家が焼かれる女性。
この本一冊の中に何度家が焼かれる話が出て来ることか。

フランスとアルジェリアの関係という意味で日本で一番有名なのはあのワールドカップで活躍したジダンではないだろうか。
なかにはカミュという人も居るかもしれないが・・。
あのワールドカップの試合最中での相手選手への頭突き。あれは当時、「移民の子」とヤユされたのではないか、ともっぱらだった。

フランスの中での移民問題で言えば、現大統領のサルコジ氏はかつて、内相時代に移民たちを「社会のくず」「ごろつき」と広言したことは良く知られている。

著者は1936年生まれのアルジェリア人である。
同世代の女子がブルカというヴェールを被り、家の中に閉じ込められる年頃にフランス語の学校に通い、フランスへ留学する。
その彼女でさえ、この本の中で何度もフランスをして「敵」という表現を用いている。

彼女はフランス語はかつて自分の国の人々を葬る石棺だった、とも書いている。
そう書きながらもその言語を使ってこの本を書いている事への自己への矛盾についても自問する。
この本の背表紙には、20歳で「アルジェリアのサガン」といわれ・・という説明文がある。
そんな彼女だからこそ、「他者の言語」であったとしても、敢えてフランス語で同胞の嘆きを著すことの方が発信力は大きいのだろう。

フランスではつい先日の4月に「ブルカ禁止法」が施行されたという報道があった。

この本の中の1840年代の記述に地方の郷長が娘を花嫁とする婚礼の行軍の際に裏切り者によって殺されるシーンがある。
裏切り者たちは、女性たちに装身具を差し出すように命令する。
花嫁であり郷長の姫である女性はティアラをはずし、ヴェールを取り去るかと思うと全身に纏っていた装身具をはずし、とうとう裸になってしまう。
あたかもヴェールを取ることではもはや裸になったのも同然とでもいうように。

つい先日ビン・ラディン容疑者をアメリカの部隊が急襲、射殺したというニュースが全世界に流れ、米国では拍手喝采の嵐が報道された。

あの9.11の惨劇を思えば、誰しも理解は出来る。民間人を無差別に対象とするテロ行為など許せるものでは無いのは当たり前である。

それでも方や虐げられて来た民族の人たちは、100年以上にわたって無辜の民を殺され、略奪され、焼き討ちされ、ついには蔑まれたのだ。

100年以上にわたってムジャヒディンたちは民族のために戦い続け、女たちは彼らを匿い続け、家を焼かれた。

この日本に住む我々は、震災後のトモダチ作戦を展開してくれたアメリカ軍の人たちにもちろん「ありがとう」の気持ちで一杯だし、原発へ対処への支援の手を差し伸べてくれているフランスの人たちにも「ありがとう」である。

それでも米国大統領は選挙での勝利という目標があるにせよ、リアルタイムで皆で急襲作戦を眺めていた写真を公表したり、皆を歓喜させる演説は米国内のみならず世界に流れているのである。
あれを見たイスラムの人たちの気持ちは複雑だったのではないだろうか。

もはや死刑は執行されたのである。
執行された後の歓喜である。
正義の勝利宣言よりも寧ろ「亡くなった魂よ、安らかなれ」のような声明文を残すぐらいにしておいたら良かったのに、と思うのは私だけだろうか。

イスラムの人たちの気持ちを逆なでするするほどに聖戦士の卵たちは耐えることなく生まれて来るではないのだろうか。

アメリカもフランスもイスラムの人たちの気持ちを逆なでする政策を施行したり、演説をしないでおいて頂ければ宜しいのにと、我々が感謝するアメリカの人やフランスの人のためにも思ってやまない。

愛、ファンタジア アシア・ジェバール著  石川清子訳



点線のスリル


2歳の時に施設の前に捨てられていた少年。
13年間の自分を振り返って何も見えないと作文に書く。
自分の歩んで来た道は点線なのだと書く。
自分の出生に至るまでを知らなくても、本当の親を知らなくても、それまでの人生は決して点線などではないと思うのだが、ずっと暗闇に生きるような暗い学校生活を耐えて来た彼には点線に思えるのかもしれない。

施設で育ったからってそんな苛めの対象になったりはしないだろうに。
おそらく学校では彼自信が暗い殻の中に閉じこもっていたのだろう。

それにしても彼から見た学校の連中というのはあまりにも醜い。
新聞配達をしてから学校へ登校したからインク臭いっと騒ぐ女子生徒だとか。
まぁ、そういう設定なのだ。
ここで書かれているようなクラスメートなら、彼から見れば確かに記号の群れであり、ヒト科のメスであり・・なのかもしれない。

そんな少年が図書館で出会った年上の女の子に引っ張られる形で、自分の出生を探索する。

この物語にはもう一つの探索がある。

偶然に間違えてチャイムを押してしまった家に住む認知症のお婆さん。
一人暮らしで、元ヤクザだという隣人が面倒をみている。

「あたしには行かなければならないところがあるの」と老婆は言う。

認知症だと聞かされれば、あいずちだけうっておけばいいだろう、と思うのが一般人的な発想かもしれないが、この少年は放っておかない。
元ヤクザの隣人を撒きこんで探索を始める。
その老婆がどこから来たのか。
これまで何をして来たのか。
どこへ行かなければならないのか。

その二つの探索をめぐっての展開はなかなか読ませてくれるのだが、ここらあたりまで来るとちょっと嫌な予感がしてしまうのだ。

そう来るんだろうな。
いや、それだけはやめて欲しい。

二つの探索が接点を持ってしまう?うすうす感づいてしまうが、この二人の出会いからしてそんな偶然があったら「ご都合主義」のそしりを受けてしまうのは必至じゃないか。

ネタバレは書くまい。
だが、途中まで読んだ人は誰しもその方向への予感を感じるだろう。

仮に接点を持とうが、ガッチリ重なってしまおうが構わない。
点線は点線のままでは少年が可哀そうだ。

ちゃんと実線にしてあげなければ、作者も終わるに終われないだろうし。

点線のスリル 軒上泊著



キケン


表紙がいきなり漫画だったのには少々面食らいましたが、あの「フリーター、家を買う。」の作者の本でしたので、思いきって手を出してみました。

「フリーター、家を買う。」はドラマ化までされて、寧ろドラマの方が有名になってしまった感がありますが、ドラマは原作の良さを出していたのでしょうか。
ドラマは主人公君が正社員になるところで終わっていたように記憶していますが、原作は少し違います。
寧ろ、正社員になってからの目覚ましい成長ぶりの方が光っていたように思えます。

さて、この「キケン」ですが、こうしてカタカナで書くと「危険」としか思えませんが、成南電気工学大学という男ばかりの大学の「機械制御研究部」略して「キケン」。

新入生向けのクラブ説明会でいきなり爆発実験。
グランドで大爆発を起こして、3階まで達するほどの火柱を上げるわ、クレーター並みの大穴は空くわ。
確かにキケンなクラブです。

上野先輩という二回生でありながら部長のハチャメチャなやり方が物語を引っ張って行くのですが、合い間、合い間、に登場する夫婦の会話からして10年前の思い出話だとわかります。

学園祭の模擬店では「模擬店とは店の模擬だ!」とわけのわかならい叫びと共に本格的な店舗を急ごしらえで作ってしまい、一日三交代二十四時間制って学園祭でなんで深夜営業なの?
去年の売上の3倍を目指す!ってどこまでも本気。

そんな思い出を妻に語りながら、あそこはもう自分の居る場所じゃないんだ、と学校から遠ざかる本当の主人公さん。

全力無意味、全力無謀、全力本気。
一体、あんな時代を人生の中でどれほど過ごせるだろう。

楽しかったのは正にその厨房の中で、シフト終わるなり植込みに突っ込んで寝るほど極限まで働いている正にその瞬間なんだ。

爆弾やら学園祭やらロボット相撲大会やらでのハチャメチャぶりは有川さんにしてみれば前振りでしかなかったのすね。

それにしても前振りにしてはずいぶんと派手にやんちゃに遊びましたね。

ある程度の年齢の人なら誰しも、このぐらいの世代の頃には程度の差こそあれ、人にも言えないほどのバカをガムシャラにやっていた記憶はあるのではないでしょうか。

確かに世の中、不景気で、就職難で・・・でも、そこで小さく自分をまとめてしまわずに!

今しか出来ないことを精一杯やれよ。

無意味に思えることでも、無謀と思えることでも、なんでも全力で、本気でやっておけよ。

という有川さんから若者への強いメッセージが伝わってくるのです。