月別アーカイブ: 9月 2012



モダンタイムス


日常、普通に使っている検索エンジン。それは自分の興味を持った事、知りたい事に辿りつくための道具だ。

それが、逆の使われ方をする。

ある特定のキーワードで検索をした人をシステムの方が特定し、検索する仕掛けが構築されている。
そのキーワードで検索した人は、その人のためにあみだされた手段で大変な目に会う。
ある人は強姦魔として拘留され、またある人はSE、プログラマーという職を遂行する上で最も致命的なことに失明する。
あの男にだけは寿命などないのでは、と思われた男が自殺をし、人を拷問することをプロとして行う男は拷問攻めに遭う。

一体、背後にはどんな組織がいるのか。
どんな目的でそんなシステムを作り上げたのか。

主人公達はその正体を追いかけるわけだが、話はどんどん鵺(ヌエ)のような世界になって行く。

誰も悪いヤツなどいない。新犯人がいる訳でもない。それぞれのパーツ、パーツを受け持った部品のような連中がいるだけで、ものごと、そうなるべくしてなっている。

ヒットラーだって、ムッソリーニだって、それに対抗したチャーチルだって、みんな、歯車の一部なんだと言う。
まるで、チャップリンの映画「モダンタイムス」の中で、産業革命でオートメーション化された工場の中の工員が、これじゃまるで歯車の一部じゃないか、と言っているがごとく。

タイトルに使うだけあって、チャップリンの名言がいくつも引用される。

「ライムライト」から。「独裁者」から。

・人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。

そう言えばこの本では冒頭から「勇気はあるか」というセリフが何度も出て来ていた。

この「モダンタイムズ」同時期に書かれたという「ゴールデンスランバー」とよく比較される。
どちらも巨大権力というものに対峙しているからだろう。
でも私は「ゴールデンスランバー」より、「砂漠」を思い出してしまった。

「砂漠」に登場する西嶋という男は世界平和を願いつつも、することと言えば麻雀をひたすらピンフ(平和)であがろうとし続けることなのだが、彼はそれがどんなに小さなことであっても、目の前にある小さな悪を許さない。
小さな善を実行する。
そのための勇気を持ち続けている。
この「モダンタイムズ」を読みながら、その「砂漠」を思い出してしまった。

ここで何をしたところで、どうせどうにもならない。と諦めるか、目の前だけでも片づけるのか。

この本の舞台は今から半世紀ほど未来だが、さほど未来っぽさは感じない。寧ろ現代もののようにも思える。

いや、それどころかチャップリンの言葉のように時代を超越してしまっているのかもしれない。

モダンタイムス(上・下巻) (講談社文庫) 伊坂 幸太郎 (著)



野いばら


この本、第3回日経小説大賞受賞作なのだそうだ。
日経の選ぶ小説大賞ってビジネスものだとばっかり思っていたが、そういうものでもないらしい。

イングランドの田舎道を車で走っていて車が故障。偶然に出会ったご婦人に救われる。
そのご婦人の家に有った「日本人に読んでもらうように」と託されたとある手記。

その手記そのものがこの小説の本編である。
時は今から150年前。
生麦事件が起こった直後に日本に赴任する英国人士官がこの手記を書き、またこの話の主人公でもある。

主人公氏は香港の駐在から日本へと渡り、日本語を学ぼうとする。

生麦事件と言えば、島津の御老公の行列に乗馬のまま突っ込んだ英国人を薩摩武士が叩き切った事件で、英国側は野蛮な行為としてずいぶん非難をしたように思われがちだが、英国人にしても、実際には馬で乗り入れた方が礼儀知らずだと思っていたりする。

この本、英国人の視点から書かれているが、作者は日本人。
どこまで当時の英国人の気持ちが反映されているのかはわからないが、案外アーネスト・サトウあたりならこんな感じ方だったのかもしれない。

この物語、英国人と彼に日本語を教えることとなった美しい日本の女性とのロマンス物語のように読まれてしまうのだろうが、それはそれで本編の筋。作者が本当に書きたかったのは、この英国人主人公の感じる当時の日本という国なのではないのだろうか。

主人公氏は日本へ来て、これまでみてきたアジアの人たちの中で最も誇り高き、礼儀正しい民族に巡り合う。
自身も礼儀を重んじ、日本人と同様に深ぶかをお辞儀をする。

花屋が運んで来る花の中には英国人士官の彼でさえ、買うのに逡巡してしまうような豪華で高価な菊の花などもある。
花というもの、一時の命のものである。どれだけ美しかろうと、宝石のようにまた換金できるようなものでもない。
そういう花に、これだけの高価な値段が付き、それを勝って行く人がいる。
それは、今の言葉で言うところのGDPだとかそんなものではとても言い表せない、民度の高さ。真の豊かさを持っているということだ。

生麦事件を受けての英国本国よりの命令はなかなか届かないが、主人公氏はその命令が戦であろうと賠償要求であろうと、日本がどう出てくるのか、その情報収集をするのが彼の役割。

もとより、海上から大砲をぶっ放す程度の脅しをかけるぐらいしか手段がないことは、彼はかなり早い段階で気が付いている。
本気でこの国と陸戦など交えようものなら、いくら火器をそろえたとしても、責める側には多大な犠牲者が出るだけ。この国は決して屈服などしない。

開国を求め、もはや国を閉じている場合でもないと江戸政府は思ったかもしれないが、この美しく、豊かで、文化レベルが最高峰の国に欧米の文化などが果たして必要なのだろうか。
そんなことを考えながら、本編はすすんで行く。

こういう当時の英国人が感じた日本というのが、この本の本当のテーマなのではないかと思っている。

当時の誇りは今いずこ。世界で最も誇り薄き国と今や思われつつある平成の今。
我々はため息をつきながら、せいぜい野いばらをめでることで当時の人たちと意識を共有するぐらいのことしかないのだろう。

野いばら 梶村啓二著 第3回日経小説大賞受賞(日本経済新聞出版社)