月別アーカイブ: 3月 2014



死もまた我等なり


クリフトン年代記の第二部。

第一部の「時のみぞ知る」では、貧しい家庭で育ったハリーがオックスフォード大学に入学し、グラマー・スクール時代から親友だったジャイルズ(彼はバリントン海運という大企業のオーナー家の御曹司)の妹エマと愛し合い、結婚直前まで行くのだが、ハリーの母親とジャイルズの父、ヒューゴー・バリントンの間に生まれたのが自分かもしれないことが発覚し、結婚を断念してアメリカ行きの貨物船に乗る。
その後、貨物船はドイツのUボートの魚雷で沈没。
ハリーは生き残るが貨物船で一緒だったアメリカ人のブラッドショーを名乗る決意をする。
ところがブラッドショーは逃亡兵の上、殺人の容疑者だったために上陸と同時に逮捕。
ここまでが第一部。

かなり気を持たせたものだ。
まさか、主人公をいきなり刑務所に入れてしまうのか?というところで一部が終わるので否応なく二部を読むことになる。
そしてそのまさかで、主人公はいきなり刑務所に入れてしまうのだった。

それでも優秀な彼は刑務所でも図書係として卓越した能力を刑務所の所長に認められる。
やがてその刑務所で送った生活を綴った日記が他人の手によってベストセラーとなる。
エマはその日記を読み、ハリーが生きていることを確信する。

また、友人のジャイルズは本国英国軍の士官として前線で。
方やハリーは米軍の一員として、こちらも命がけの活躍をする。

この二部ではこのシリーズで唯一で最悪の悪役であるヒューゴー・バリントンも終焉を迎えるので、一応物語としては完結させてもいいだろうに、上下巻を終えて尚、今後のくすぶりの種を残したままの終わり方をする。

それにしてもこのヒューゴー・バリントンという人、父も母も元妻も息子も娘も親戚一同揃って、悪役のあの字も無いような健全な一家の中に居ながら、たった一人だけ小物で臆病者で悪知恵しか働かない。
実際に悪知恵どころか悪事に手を染める。
どうにも一人だけ浮きすぎている。

ハリーの血筋を問題とするよりも、ヒューゴーの血筋を調べた方がいいんじゃないかと思えてしまう。

いずれにしろ、第一部上下で完結せず、第二部上下でも完結しなかったクリフトン年代記、またまた第三部待ちということに・・・・・。

死もまた我等なり  ジェフリー・アーチャー 著



ボックス!


こんなのもあのベストセラー作家の百田尚樹氏の作品。

新今宮の近くにある恵比須高校という架空の高校のボクシンブ部の話。
このあたりで勉強もある程度出来る高校となれば今宮高校あたりを想像してしまうが、それは無関係だろう。
他に登場する高校のモデルはおおよそ想像がつく。
ライバル稲村は架空だろうが所属する学校などは興国高校以外には思い浮かばない。
大阪朝鮮などはそのままの名前で登場だ。

主人公君は勉強は出来るが、自他共に認める運動神経0の高校1年生。
幼なじみの友人が別の中学を経由して同じ高校に。その高校のボクシンブ部に所属する。
別の中学時代はイジメにもあっていた彼にとっての憧れの存在。
彼は運動神経抜群、小さい頃からケンカも強く、いつも助けてくれた。

持って生まれた才能を持ち、フェザー級で大阪府優勝。

そんな憧れの友人には到底かなうはずも無いと思いながらも、ボクシンブ部への入部を決意する主人公。

監督からジャブだけを打てと言われたら、ひたすらジャブだけを猛特訓する。

ようやく次のステップへと進んでも決して、習ったことを外さない。
それ以外のことはやらない。

晩のランニングも早朝ランニングも欠かさず、人の何倍も努力が出来る。
そう。この少年には「努力が出来る」という才能があるのだ。

みるみる上達して行くこの少年。
やがて憧れの友人をも追い抜き、高校で負け無しのモンスター高校生と評されるライト級チャンピオンと闘う。

ボクシングを題材にした小説は少ないが最近では角田光代の「空の拳」がある。
女性目線という意味ではこの物語にも女性教師の目線からも描かれるが、周囲の解説がそんな目線を打ち消してくれる。

特に試合の最中の場面などは、迫真の筆致でその光景が目に浮かぶ。

努力は決して裏切らない、ということを教えてくれ、読者に感動と爽やかな読後感を残してくれる素晴らしい本だ。

百田氏のことは「海賊とよばれた男」が出るまでは知らなかったが、「永遠の0」といいこの作品といい、その当時から百田尚樹氏は只者じゃなかったのだった。

ボックス!  百田 尚樹 著



五峰の鷹


戦国時代を書いた本はあまたとある。
どの人物にスポットをあてるかによって正反対の人物像が浮かび上がったりする。
この本はどちらかというと人物よりも寧ろ物流・交易というものにスポットをあてた本、と言えないだろうか。

主人公は、石見銀山を支配していた三島家(実在)の息子、清十郎という架空の人物。

9歳の時に内通者の手引きによって城は責め滅ぼされ、父親は討ち死に。母親は行方不明に。
その内通者が成長した後もえんえんと敵として前に立ち塞がれる。

清十郎は京で剣術を習った後に一旦故郷へ帰り、その後に倭寇の王として君臨する「王直」の下で働く。

剣の腕は超一流だわ、鉄砲の腕も一流、それどころか西洋兵学に通じ、鉄砲を使っての戦い方を熟知した男。
尚且つ、物覚えも良く、何事も理解が早く、機転が利き、発想が良く、度胸がある。
となれば商売の才能も当然ながら大いにある。

あまりにも完璧すぎる主人公なのだ。

この男が実在したなら、織田信長より先に天下を取ってもおかしくはない。
本人にその野心があればの話だが・・。

商人として実在したなら、堺の豪商今井宗久より、城山三郎の描いた「黄金の日々」の呂宋左衛門よりも大成功していたに違いない。
なんといっても海賊の力をバックに持っているのだから。

時代は室町幕府の権威が失墜し、鉄砲が伝来し、種子島をはじめ国産の鉄砲が作られつつある時期。
織田信長もまだ世に名を成す前の若造として登場する。

将軍を追いやってしまう三好長慶とそれに与する玄蕃と名乗る親のかたきとの戦い。
この親のかたきが後に松永弾正を名乗ってしまう展開としてしまったのは、作者にとって失敗だったのではないだろうか。

書き下ろしとではなく、何かに連載していたものだろう。
憶測で書いて作者に申し訳ないが、連載の途中勢いで松永弾正としてしまったが終盤になるにつれ、それじゃ仇討ちが果たせないじゃないか、と後悔したのではないだろうか。
松永弾正は後に織田信長に滅ぼされる運命なので、ここで架空の人物に殺されてしまうわけにはいかないのだ。

だから、終盤の終わり方、作者はかなり苦労した末、ちょっと尻切れトンボ気味になったのでは?というのはあまりにも穿った見方だろうか。

主人公とかたきとの戦いが主軸のようでありながら、鉄砲のことについてかなり詳しい記述があったり、石見銀山などもかなり詳細な記述がある。
いろいろと調べてあげた末に書いたのではないか、と思われる。

結構道具立ては綿密に書きあげているにも関わらず、読後感が薄いのは、やはり筋立てに無理があったからなのかもしれない。
まぁ、面白くはあったが、ちょっとだけ残念な一冊でした。

五峰の鷹  安部 龍太郎 著