月別アーカイブ: 7月 2014



まほろ駅前狂騒曲


最高に楽しめる一冊。

今回の多田便利軒物語は、これまでの登場人物が勢ぞろい。

四歳の女の子を預る約束をしてしまった多田と子供嫌いの行天。

駅前で無農薬野菜を!健康野菜を!と拡声器で訴える団体。

その団体をつぶそうとする星にどんどん巻き込まれる多田便利軒。

無農薬だ!健康野菜だ!と訴える連中はかなりいかがわしい連中だったのだが・・・・。

バスが運行通りに走っているかどうかの調査に異様な執念を燃やす岡という老人。

とうとうバスジャックに突っ走ってしまう。

老人のバスジャックと言えば宮部みゆきの「ペテロの葬列」を思い出すが、そんな真面目なもんじゃない。

最後はみんな入り乱れての本当の狂騒曲になって行く。

なんといってもいつも最高なのは行天というキャラクター。

今回は行天の過去があらわになったりもする。

それにカタブツの多々にとうとう色っぽい話も出て来たりして。

笑いどころ満載の一冊でした。

まほろ駅前狂騒曲 三浦 しをん著



13日間 – キューバ危機回顧録


第二次世界大戦後、最も核戦争に近づいた時期がある。1962年のキューバ危機と呼ばれた時期がそうだ。
スティーヴン・キングの『11/22/63』の中で、アメリカの国民が明日にも核戦争が起きると思い込むその狂気の日を過去へ旅する主人公が目の当たりにする場面がある。

ソ連がアメリカの目と鼻のさきにあるキューバにミサイル基地を次々と構築して行く。
そのミサイル基地から発射されるミサイルはアメリカのほとんどの主要都市を射程圏におさめる。
その時のアメリカ政府の対応と対するソ連政府の対応如何では、世界で核戦争が勃発しかねないギリギリの瀬戸際だったのだ。

長崎・広島の惨劇を知った後にも核兵器の使用を進言していたアメリカの軍人はいくらでもいる。
朝鮮戦争の際のマッカーサーがそうだ。あの戦争は北と南の戦いというよりも事実上アメリカ軍と中共軍の戦いだったので、核を落とすなら、北鮮ではなく中国本土へ、ということだったのだろう。
ベトナム戦争の際も何万トンの爆弾を投下するより、さっさと核爆弾を落とせばいいのに、と言っていたアメリカの将軍は何人もいたという。

だがそれらとはちょっと次元が違う。
ソ連相手の全面核戦争となれば、それこそ人類の存亡の危機、と言っても過言ではない。

アメリカ大統領の周囲で最も強硬なのが、直ちにキューバを攻撃すべし。キューバへミサイルを落とすというもの。

ケネディはその時に議論された中で最も穏便な策、キューバの海上封鎖に乗り出す。

その後、ソ連船が数隻、近づいて来た時、その後の数時間で大統領は最終決断を迫られる。
ソ連船がUターンしたために最終決断には至らなかったが、今度はキューバを監視していた偵察機が撃ち落とされる。
当然の如く、報復措置を取るべきという意見の中、ケネディはフルシチョフへ書簡を送り、最悪の事態を回避しようとする。

ケネディが素晴らしかったかどうかの真価は、彼が暗殺されずに長期政権を担っていて初めて可能なことだろうが、もし、このキューバ危機の際のアメリカのトップとその参謀がブッシュとラムズフェルドだったとしたら、おそらく、早期にキューバ攻撃の決定を下したのではないだろうか。

ケネディの取った措置は、相手の立場を考えつつも言いなりにはならない、というもの。
フルシチョフはキューバからミサイルを撤退するに当たって、トルコにあるアメリカのミサイルを撤退させることを交換条件にあげる。
ケネディももともとトルコから撤退したかったので、本来なら渡りに船なのだが、それを飲む形だとソ連に脅されて撤退した形になってしまう。
断固、それは行わない代わりに、ウ・タントを経由して、またフルシチョフと直接の書簡のやり取りにて、最終的に危機を脱出する。

その後も、この一連の出来事を外交的勝利の用に喜んではならない、とあくまでもソ連のメンツを考慮する。

一連の流れを見るとソ連が一方的に悪く見えてしまうし、ボールを握っているのもソ連側。
ただ、フルシチョフの言い分にももっともなところがある。
キューバに基地が出来たところで、まだ海を隔てているじゃないか。ソ連とトルコは陸続きの隣同士なんだよ。
そっちを撤去せよというなら、そっちも撤去するのが筋だろ。・・・なるほど確かにうなずける。

それにしてもキューバにミサイル基地が出来ただけで、これほどの騒ぎになるアメリカ。

北朝鮮の弾道ミサイルは日本列島を超える能力は持つ。
それに核開発も進められている。
にもかかわらず、迎撃はまず無理だろうと言われるPAC3を数台持つだけの日本。
基地建設どころか、ミサイルが発射されたってそんなに恐怖に脅えることも無い。
この違いはいったいなんなんだろう?

13日間-キューバ危機回顧録 ロバート・ケネディ著



トップ・シークレット・アメリカ 最高機密に覆われる国家


9.11後のアメリカ、いろんな意味でそれまでのアメリカを制御していたネジがぶっ飛んだ。

我々は断じてテロには屈しない。
これは戦いだ。戦争だ。テロとの戦争だ。

となっていくと、過去には公然とは有り得なかった容疑者の暗殺、しかも法治国家である外国の施政権下で平気で行われるようになっていく。

国家機密を扱う組織がいくつも出来あがり、入り乱れ、収集する情報量があまりに多くなり、誰もその情報の実態を掴めなくなってしまいつつある。
またその国家機密を扱うはずのプロフェッショナル集団で作業を行うのは大半が民間企業からの出向者。
発注する側の官の上の方の人材からどんどん民間に引き抜かれ、発注される側の民間企業での報酬は政府にいた頃よりはるかに高額。

アメリカの敵=テロの標的はやがて米国国内へと向けられ、監視カメラに覆われた国へとなっていく。
特定される個人の数も膨大なら、収集される個人情報の量はさらに膨大な量に・・・。
超監視社会だ。
もはやジョージ・オーウェルの『1984年』の世界か?

いや『1984年』の方がビッグ・ブラザーという独裁者のためと目的がはっきりしているだけにわかり易い。
ここで収集される情報は誰が何のために集めたもになのか。何に使うものなのか、だんだんと誰もわからなくなっていく。

この著者の最も焦点を当てたいところはこれらの組織が出来あがり肥大化して行くことによるアメリカの多大な無駄遣い、なのかもしれない。

これら機密情報を取り扱う組織が縦割りとなってしまい、それぞれシステムも別々、情報の共有も満足にできていないのが現状。
ところが、その無駄を省いてシステムが統合し、情報が共有化されたとしたら、どんなことがおこるのだろうか。

個人情報どころか近未来小説のような全個人のヒストリーと全ての日常のデータベース化が実現してしまうかもしれない。

アフガンを攻め、イラクを倒し、アルカイダの幹部と呼ばれる人たちを暗殺しても尚、これだけ予算を投じ国内の個人情報を収集したとしても、アメリカはテロの脅威から抜け出ていない。
状況は変わっていない。

それどころか、各組織が集めたトップシークレットであるはずの情報が、意図も容易くハッカーの餌食となってしまっている状況を著者jはセキュリティの専門会社で目にする。

これらの組織はブッシュ政権時代に出来たものばかりだが、オバマの代になってなくなったものは何一つ無い。

それにしてもこの二人の著者、よくこれだけ調べられたものだ。
取材対象もトップシークレットなら、書いてある内容も充分にトップシークレットだろう。

取材させてくれる相手がいることにも驚きだが、どうどうとこの本が出版出来てしまえることがさらなる驚きだ。

ほんの20数年前の自国の民主化運動でさえ自国民の前では無かったことにしてしまうような隠ぺい国家ではまず考えられない。

そう考えると、アメリカという国のふところの深さにはやはり感心せざるを得ないか。

トップ・シークレット・アメリカ  最高機密に覆われる国家 デイナ プリースト (著)  ウィリアム アーキン (著) Dana Priest William M. Arkin 玉置悟 (訳)