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だれもが知ってる小さな国


「だれも知らない小さな国」という半世紀以上前に書かれた本のリメイク版と言ったらよいだろうか。

蜜蜂を飼って、蜂蜜を取る仕事をする養蜂業の仕事や暮らしがかなり詳しく書かれている。

この本では養蜂業とは言わず、蜂屋という呼称を用いている。

蜂屋さんの仕事というのはあまり知られていないが、本当にこんな1年に何度も移動を繰り返していたのだろうか。

蜂屋さんの子供の小学生が主人公。
蜂屋の子供は1年に何度も転校を繰り返して、また翌年には同じ小学校へと帰って来る。
年度途中で何度も転校する子供達。

学校によっては教科書も変わるだろうに。1学年で何冊教科書を取り替えるんだろう。

学校によっては、その進み具合や教える順番が違うかもしれない。
習うはずのところがすっぽり抜けたり、同じ所を何度もということもあるのだろうな。
と、本題とは関係ないところを心配してしまう。

主人公の少年はコロボックルに出会い、同じ蜂屋の同級生の女の子もコロボックルのことを書いた「だれも知らない小さな国」の熱烈な読者で、コロボックルの存在を信じている。

そのコロボックルの話をテレビの取材班が聞きつけて来て、懸賞金を出してコロボックルを探そうという試みを始めようとするのだが、二人はそれを懸命に食い止めようとする。
テレビ局側の人間に大阪出身で全国的に売れているという設定の漫才コンビと思われる人たちが登場し、子供たちを説得しようとするあたり、ちょっと大阪の人間としては読んでいて複雑な気持ちにならざるを得ないが、まぁ彼らも決して悪役というわけではなかった。

なんともほのぼのとした気持ちになれる読後感のいい読み物でした。

だれもが知ってる小さな国 有川 浩 著



愚物語


まだ続くか、化物語。
と思いきや、オフ・シーズンとかで、全く本編には関係ない。
当たり前か。本編はとうに完結仕切っている。

老倉育、神原駿河、斧乃木余接、各々が主人公の三話。

完璧に趣味で書きました、って言うけどそんな事言ったら、趣味で書いて無いのってどれ?って突っ込みいれたくなってしまうが、こりゃ本当に実験的試み100%で書いたんだろうな。

老倉育って、脇役どころか脇の脇の脇でそんな登場人物もいたっけ、と思い出すのに一苦労なようなキャラクターが登場しかたと思うと、なんだか太宰の世界にでも入ったんじゃないの、と思われるような冒頭から始まって、なんだかこれまでとは違う世界が展開されるのかな、と期待持たせてくれたわいいが、何の話なんだこりゃ。

まさか「イジメ」の問題を扱いたかったなんてわけがあろうはずがないし。
それにイジメというほど深刻な問題でもないだろうし。
転校生の周囲で学校しばらく休んだやつがいたぐらいの話ををえんえんとえんえんとえんえんと・・・。
これが西尾維新で無ければ、一話の途中で放り出してしまったことはまず間違いない。

神原駿河の語も、もう終わったはずの忍野扇なんぞが登場したりして・・・これもなぁ。

斧乃木余接と阿良々木月火の話。
これはなかなか楽しい。
月火に振り回される余接が面白い。

月火は不死身人間だったのか。
記憶がリセットされるって、掟上今日子を連想してしまう。

この三つの話には阿良々木暦は登場しない。

これまた、脇を固めたキャラクターののびしろを実験してみた、ということかな。

この実験的試み、全体的には失敗だったんじゃないの?
キャラクターの問題より展開の問題でしょうが、特に老倉育の話なんてひどすぎる。

たぶん、これも次回作が出るんでしょうが、この中で続けて実験してみる価値のあるのは、月火ぐらいかな。

掟上今日子の別バージョンで、「不死鳥 月火の備忘録」なんて。

愚物語 西尾 維新著