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ひと


この本を書いている小野寺さんという人、おそらく心根の優しい人なんだろう。
優しいというよりも、人の気持ちに気付ける人と言った方が妥当か。

この話の主人公である聖輔青年、若干二十歳。
高校二年生の時に父を交通事故で亡くし、その3年後、東京の大学在学中に母を亡くす。
故郷の鳥取へ帰ってあわただしく葬儀、その後、遺品もことごとく処分。母が住んでいた県営住宅も退去。

母の残した遺産は自らの保険金100数十万。
そのお金が一世帯(と言っても彼一人だが)の全財産。
そんな彼から、母親に金を貸したと50万円をふんだくる、母の従兄弟だという初対面の男。

東京で一人暮らしをする若者には100万も貯金していない人の方が多いかもしれない。

しかし彼にはいざとなった時の戻るべき場所がいきなり無くなったのだ。
天涯孤独。
頼るべき親戚無し。

彼は大学を辞める選択をする。

財布の中身が55円の時にぎりぎり50円のコロッケを買おうと立ち寄った惣菜屋で、アルバイト求人の張り紙を見て、そこで働くことになる。
そのコロッケも最後に残った一つで見知らぬお婆ばあさんにどうぞ、と譲る彼。

それに比べて、母の従兄弟の男は、50万で味をしめたのか、さらに30万寄こせ、と東京のアパートにまで現れる。
なんてやろうだ。彼の全財産を知っていながらだけにとんでもないやろうだと誰しも思うだろう。

惣菜屋のある商店街でたまたま出会った、高校時代の同級生の青葉という女子とその元カレという慶応大学の高瀬という男。
この二人の話もなかなか興味深い。

彼女は高瀬のこういうところが我慢ならなかったというところ。
例えば、電車の優先座席に平気で座る。ここまではままあるかもしれない。
目の前に初老の夫婦が立った時に、青葉は高瀬の肘をつつくが、彼は平気で「坐りたいですか?」と初老の男女に聞くのだ。
他にも赤信号の横断歩道で車は来ていない。横断歩道の反対側には信号が変わる人がいるのに彼は平気で渡ってしまう。
彼女はこういうのが許容できない。

なるほどなぁ、と思う。
横断歩道なんぞは案外やってしまっているかもしれない。
横断歩道の反対側なんてあまり気にした事が無かった。

だから、そういうことに気が付ける人にしか書けない本なのだ。
高瀬君の言う事はいちいち最もなところもあるが、彼には絶対に気付けない。

主人公の聖輔君はもちろん気付ける人だ。
誠実さと勤勉さ、そして人の気持ちに気が付ける優しさ、それがあれば、誰かしら「頼っていいんだよ」と声をかけてくれるようになる。

半年前、一年前には全く見ず知らずの人だったのに、店の将来さえ託したくなるほどに信頼というものは醸成されていく。
天涯孤独。でも一人ぼっちじゃなかった。

いい話を読ませてもらいました。

ひと  小野寺 史宜著



ホワイトラビット


仙台の閑静な住宅街の一戸建てで起こった立て籠もり事件。
犯人の要求はある男を連れて来る事。
その男の特徴はやたらとオリオン座に詳しく、語りだしたらとまらないということ。

今回の話には
オリオン座の話がやたらと登場する。

もう一つ「レ・ミゼラブル」もやたら登場する。

「レ・ミゼラブル」を読んだ人は多いだろうが、ちゃんと内容を覚えている人がどれだけいるかと思うと、心もとないが、この中の登場人物たちはかなりの「レ・ミゼラブル」通だ。
私も中学時代に読んだし、ジャンバルジャンの名前ぐらい覚えているが、そのセリフまでなんて出てくるはずもない。

ホワイトラビットと言う小説、なんという奇想天外な構成なんだろう。

時間が前へ行ったり、後ろへ行ったり、こんがらがることこの上ない。
それでも最終的にはちゃんとわかるようになっているところが伊坂幸太郎さんの巧みなところ。

発生時刻の順に話が進んでいけば、なんのことはないのだが、時間を前へ後ろへと行ったり来たりすることで、何度もどんでん返しのようなことが起きる。

と言いつつも二度読みして、なるほどね、とあらためて途中まで作者のたくらんだしかけにまんまとはまっていたことに気が付くのだ。
どこをどうピックアップしようにも全部ネタバレになってしまいそうで内容はほとんど書けない。

おそらくこれだけ何度も登場させた以上、「レ・ミゼラブル」の手法を被らせたのだろうが、「レ・ミゼラブル」でそんなに行ったり来たりがあったんだったっけ。
あまりに昔に読みすぎてもう覚えてない。

誘拐ビジネスという新たな犯罪手法を編み出す輩が出てくる。

「誘拐という犯罪は割に合わない」というのが一般的な見方だろうが、このビジネスを編み出した男の発想はまた違う。

身代金ウン億を要求するような拙い事はしない。

出来る範囲の事をやらせる。払っても惜しくないぐらいの金を要求したり、それは金でなくても、その人の得意分野で出来る範囲のことをやらせる。

投資家なら特定株を買う、もしくは売る。
何かの賞に推薦できる立場なら誰かを推薦する、もしくはしない。
手術をする立場なら、オペをする、もしくはしない。
そういう行為が身代金代わりだ。

伊坂さんがこれを世に出すことで、その新たなビジネスがはびこらねばいいのだが・・・。

ホワイトラビット 伊坂 幸太郎著<br />” width=”86″ height=”120″ border=”0″></p>
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AX アックス


伊坂幸太郎の作品には何度か殺し屋が登場する。
今回登場するのは通称「兜」という殺し屋。

外では恐いもの無しの男が、家へ帰ると、そこまでして恐れる必要がどこにあるのか。と思うほどの極端な恐妻家。

何が食べたいと聞かれて「なんでもいいよ」という回答は一番いけない。
手がかからない、簡単にできそうなものをセレクトして回答する。
そして作ってもらった料理はどんな味でも一口でやめてはいけない。

相手の話には常に大きく相槌を打たなくてはならない。

「怒ってる?」と訊ねて「別に怒ってない」と答える場合は、基本的に「怒っている」。

会話はまず「大変だね」から始める。

という具合に妻を怒らせないためのマニュアルまで作り上げる。

妻に突っ込まれそうになるたびに息子がうまく助け船を出してくれたりする。

逆に息子からしてみれば、なんで母親にだけはあんなに卑屈になるのか、と疑問でならない。

この男、殺し屋稼業をもうやめようと思っているのだが、仕事を仲介してくる医者がなかなかやめさせてくれない。

このAXでは押し屋、檸檬、蜜柑・・などの別の伊坂本に登場した殺し屋たちの名前も登場してくるので少しうれしくなる。

途中まで読んで、どうも以前読んだことがあるような気はしていたが、類似の作品かもしれない、と読み進み、深夜デパートにデパートに来たシーンあたりでは既にその続きを知っていた。
最後近くのボーガンのシーンではっきりと蘇った。どのシチュエーションで読んだ本なのかをはっきりと思いだした。
蟷螂の斧あの時に読んだ本だ、と確信した。

そうだ。「蟷螂の斧」を所詮カマキリだなどと甘く見てはいけないのだ。
それをこのシーンではっきりと思い出した。

この男、殺し屋という物騒な商売をなりわいとしながらも、家族思いで、ひたすら優しい男の話なのだ。


AX アックス 伊坂幸太郎著