日の名残り
本来執事とはどうあるべきなのか。
永年、執事を天職として生きて来た男の思い出話の数々。
本物の執事などテレビや映画の世界以外では見たこともないが、イメージとしては一流ホテルの支配人が近いのかな、とぼんやりと思っていた。
一流紳士の世界の世界の執事とはかくも厳格な職業であったのか。
彼のあるべき姿には感銘すら覚える。
イギリスの一流紳士の雇用主から戦後アメリカの気さくな富豪を新たな雇用主に迎えるわけだが、以前の雇用主の事をたとえ、喜ばれるような話であったとしても話す事は彼の一流の執事としての品格に関わる。
これを読んでいると、第二次大戦前は世界とはヨーロッパであり、世界大戦とはヨーロッパ内部での戦争。第二次大戦では日米が入ってきたために勘違いされているが、それまでの世界とは欧州のみをさしていたのだろう。
その中心にいたのがイギリス。
世界で最も重要な決定は公の会議室で下されるものではなく、この執事の前の雇用主のような紳士たちのお屋敷の中で議論されてきた。
その偉大なお屋敷を世界の中心に回転している車輪になぞらえている。
中心で下された決定が順次外側へ放射され、いずれ、周辺で回転しているすべてに、貧にも富にも、いき渡るのだと。
もはやそんな時代は終わりをとげた。
第二次大戦後は世界はソ連とアメリカの二極。
この二極が中心だった。
今や世界はアメリカと中国この二極のどちらにどこがつくのか、で廻ろうそしている。
そこには紳士も居なければ、執事も存在しない。
この紳士と執事の話を古き良き時代と捉えるのか、世界は変わって行くのだ、と捉えるのかは読者の想像に任されるが、この話は「いつまでも後ろを振り向いていちゃいかんのだ」と彼が忠告される場面で終わりを迎える。