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i


「(-1)の二乗=i」である。このiはこの世界には存在しない。

「この世にアイは存在しない」

数学教師の放ったその一言が主人公のアイに与えたインパクト。

おそらくこの言葉がきっかけで数学の道を歩むことになる。

アイは生まれはシリア。
シリア人でありながらアメリカに養子にもらわれる。父ははアメリカ人、母は日本人。
幼少期をアメリカで過ごし、学生時代は日本で暮らす。

この本、世界の時事ネタがしょっちゅう顔を出す。

どこどこでの大地震。どこどこでのテロにて・・・世界は惨劇で満ち溢れている。

その災害や惨劇での死者の数をアイは漏れなくノートに書き記す。

もともとシリアで生まれた子供だ。

今のシリアの状況を見て、シリアで戦禍に苦しむ子供の映像を見て、自分とこの子は何が違ったんだろう。
死んでいく彼らを見て、何故私じゃなかったんだろう。
と悩む。

何故自分だけ、という強い思いは、あのシリアからだからこそなのか。
アイだからこそなのか。

それは後者なのだろうと思う。

彼女は繊細すぎる。

人は何故存在するのか。自分の存在意義を見つけて行く話。

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この世界にアイは存在しません。
入学式の翌日、数学教師は言った。
ひとりだけ、え、と声を出した。
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この冒頭の書き出しだけで、もはやこの本は成功してしまっている。

 i 西 加奈子 著



やすらぎの郷


永年、テレビ界に貢献して来た人たち、往年のスターたち、そんな人たちばかりを入居させる老人ホームがある。
入居にあたっての費用は一切無し。入居後も費用は無し。
必要なのはリーズナブルなバーでの飲み代ぐらい。

中には医者も居れば、スタッフも充実。共有スペースでは数々の娯楽が楽しめ、建物を出れば釣りを楽しめる場所まである。
それに何より、かつての有名人ばかりが揃っているのだ。

最近、見ないなぁ、もしかしてお亡くなりになってたりして・・・というような人ばかりが入居している。

そんな施設があるという噂はあるがまるで都市伝説の様でその実態は誰も知らない。

テレビ界に貢献して来た人と言っても局側の人間は対象外であくまで組織に守られていない立場の人たち。

売れなくなったら誰も見向きもしおないばかりか、生活にも困窮してしまうような立場の人たちへの恩返しのような施設なのだ。

そんな施設への入館案内がある脚本家の元へ届く。

数々のヒットドラマを書いて来た脚本家、それが主人公。

まさに倉本聰そのものかもしれない。

この「やすらぎの郷」、テレビのドラマで放映されていたらしいのだが、全く知らなかった。

だが、この本を読むと、まさにドラマを見ている様な気分になる。

本を開けば、脚本そのもの。

俳優が読む台本ってこんな感じで書かれているのかな、と思えるような内容。

主人公の脚本家の先生役を石坂浩二が演じ、その周辺にはそうそうたるメンバーが勢ぞろい。
まだまだ現役の人たちばかりだ。
マヤこと加賀まりことお嬢こと浅丘ルリ子のやり取りはいかにも言ってそうで笑える。
ミッキー・カーチスや山本圭などが主人公の脇を固める。

本を読んでいるのだが、まさに加賀まりこや浅丘ルリ子の姿がありありと浮かんでくる。

なんと言っても、姫と呼ばれる存在の八千草薫の存在は大きい。

心から人の好さが伝わって来る。

そんな八千草薫もお茶目ないたずらをしたりする。

この台本、俳優を決めてから書いただろう。そうとしか思えない。

読んでいて笑いが止まらない本なんて久しぶりだった。

やすらぎの郷 倉本 聰 著



蜜蜂と遠雷


音楽を文章で表現する。
果たしてそんなことが可能だろうか。

日本のある地方都市で行われるピアノコンクール。
世界の一流への登竜門のようなコンクール。
この本、その一次審査から二次、三次、本選と、ほぼ、そのコンクールだけで成り立っている。

そこに3人の天才ピアニストが登場する。

一人は自宅にピアノを持たない少年で著名な音楽家の推薦状を引っ提げて来る。
彼の奏でる音楽は、まるで彼がそこで作曲し始めたかのような、自由さがある。
彼の弾くピアノに、他のコンテスタントは触発されて行く。
皆が感動するピアノを弾くのだが、それは必ずしも審査員受けするものではない。
だが、もう一度聞いてみたい、とは思わせるので、審査を勝ち抜いて行く。

一人はかつてジュニアコンクールで圧倒的な実力を発揮していた女子大生。
子供ながら先々の講演予定がびっしり入っていた彼女なのだが、マネージャーのような存在だった母を亡くしてしまい、その後の舞台をドタキャンし、以降、表舞台から消え去った人だ。
その彼女が幼い時に見出したもう一人の天才。
一流のピアニストに師事し、コンクールでの勝ち方を知りぬいた本命中の本命。

その三人がほぼ主役なのだが、その音楽に感動させれるのは「元消えた天才少女」が奏でるピアノ。

文章を読んでいるのに、その音楽に感動して涙腺が緩んでしまった。
こんなことは初めてだ。

この本、コンクールを舞台に数々の人間模様を描いているが、この世界の裏側を至る所で垣間見ることが出来る。

コンクールに出るにはもうとうが立ったとも言えるような社会人も出場する。
もともと若い頃はピアニストを目指していた人なのだが、今や結婚もし、子供もいる中、最後の挑戦との思いで、仕事をしながら寸暇を惜しんで練習し大会に臨む。
その練習をし、というのも簡単じゃない。
音大生ならいくらでも環境はあるだろうが、ピアノをまともに弾く場所がない。
楽譜を買うのも高くつく。
レッスンなど受けようものならレッスン料も・・。

小さい頃から親が環境を与え、時間を作り・・、とそもそも、かなり恵まれた環境の人にしか挑戦権はない。それでも予選に辿り着く前に大抵は落とされる。

ごくごく限られた天才たちだけが予選まで到達できる。

フィギアスケートの選手たちを連想してしまった。

果たして、音楽を文章で表現するなんて可能なのだろうか?という疑問をこの作者は見事に払拭してくれた。
見事と言うしかない。

蜜蜂と遠雷 恩田 陸著