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コンビニ人間


芥川賞という賞、面白い作品は受賞出来ない決まりがあるのだろう、とばかり思っていたが例外が生まれた。
たぶん初めて芥川賞受賞作を読んで素直に面白い、と思った。

主人公は大学生時代にコンビニでアルバイトをはじめてから就職もせず、働きはじめた店でそのまんま18年間、コンビニのアルバイトを続けている女性。

彼女には自分ではごくごく普通だと思っていることが、世間の普通とちょっとずれてしまうという癖がある。

小さい頃、公園で死んでいる小鳥を見つけた時に、廻りの子供たちはみんな「かわいそう」という中で、一人彼女は「焼いて食べよう」と言い出す。
母から埋葬しましょう、と言われた時も父さん焼き鳥大好きなのに・・・・と彼女。

男子生徒が喧嘩を始めそうになり「誰か止めて」という叫びを聞いた彼女は、今にも喧嘩しそうな男子の頭を掃除用のデッキでぶったたく。
何故、そんなことをしたのか、の問いにはそれが一番手っ取り早く静かにさせる方法だと思ったから。

なんとも考え方がシンプルなのだ。
決して間違っていないし、最も合理的とさえ言えるのだが、世間の常識というフィルムで見た時、彼女はちょっと変わってる、という目で見られてしまう。

静かにさせる手立てが掃除用のデッキで良かったようなもので、もし、そこにナイフがあったら、どうしていたのだろう。
静かにするために一番手っ取り早いだろうと思い、刺しました。
となれば、ちょっと変わったでは済まされなくなる。

合理的でシンプルとはいえ、一歩間違えばそちらの世界に入って行きかねない危うさも合わせ持っている気がする。

彼女は自分は人から普通と見られていないことに気がついてからは人との関わりをなるべく持たずに生きてきたのだが、コンビニでバイトをする時に全てが変わる。

全てマニュアル通りにやっていればいいのだ。
初めて、人間社会で必要とされた。

そんな普通になったかに見えた彼女でも、三十半ば過ぎてもまだ結婚どころか、男付き合いが無い。就職もせずにバイトをしている・・。

学生時代の同年代から見れば、やはり変わっている。

そんな目から解放されるために打って出た策はアッと驚くものだったが、元々合理的な彼女にしてみれば驚くことでもなんでもない。

この本、読み物としての面白さ満載。

人が誰かの話し方を模写して行くことなどの視点も面白い。

何より興味深いのがコンビニというものの中の人間からの視点での描写。
実際に働いている人ならではの視点がいくつも。
著者自身、コンビニでの仕事を辞めたら書けなくなってしまう、というほどのコンビニ人間。

芥川賞、毎回、こういう本が選ばれるようになればいいのになぁ。



殺人者たちの午後


死刑制度の無いイギリスでは、終身刑は最も重たい罪だが、その終身刑すらも無くなろうとしているのが現状。

この本に登場するのは、10人の終身刑の宣告を受けた人たち。
著者が実在の彼らをインタビューしていくノンフィクション。

殺人者たちへのインタビューというから、どれだけすさまじいものかと思いきや、
ごくごく普通の人と普通に会話している。

どの人も殺人を犯す瞬間だけ、何かスイッチが入ってしまったかの如くだ。

殺人者とはいえ、当たり前だが、十人十色、人生を悲観している人もいれば、ものすごい楽観主義の人も居る。
目が合ったヤツとは必ず喧嘩をしてきた男も、何度目かの刑務所で老囚からさとされ、勉学に励み始める。
ロンドンマラソンに出る、と毎日塀の中でランニングし続ける人もいる。

肝心の殺人を語る箇所だが、長年の恨みつらみの結果、犯行に至ったなどというのは一つもない。
結構、その場の成り行きの延長で、計画性もあまりない。
酔っている勢い、もしくは酔っぱらっていて覚えていない、というのも。

まだ獄中の人も居たが、大半は仮釈放と言う形で、保護観察官への定期的な報告をするだけで外の世界で暮らしている。

但し、やはり終身の刑であることには違いない。

20年前にまだ赤子だった自分の息子を殺してしまった男は言う。

「世界中の人間が自分を許しても自分は自分を許せない」と。

殺人者たちの午後 トニー・パーカー著



忘れられない脳


幼い頃の記憶、小学校や中学、高校の記憶、人間とはどんどん忘却していくものだ。

その忘却を一切しないとしたら、どんなことになるのか。

この本に書いてあるのは全て実話だ。

10年前の出来事だろうが、20年前の出来事だろうが、X月X日X曜日、私は何をして誰とどんな会話をして、その時にリビングからは○○テレビのこんな映像が流れていて・・・。

それが特にに特別な日だったわけじゃない。

物心ついてからのすべての日の記憶を鮮明に、まるで録画放送を流すかのように頭の中を記憶が駆け巡る。

これは特殊な能力なのだろうが、それによって、著者が何か得をしたとかいうことは特にない。記憶力に優れているといっても日常の記憶であって、教科書を丸暗記できるような記憶力とはまた違うのだ。

ある出来事を思い出すと、それに関連した出来事が次から次へと思いだされ、頭の中を暴走し始める。もうそうなるとほとんどパニックみたいなものだ。

記憶力がいいことは素晴らしい能力のように思いがちだが、この本を読むと、そもそも記憶することが能力なのか。忘却することの方が能力なのか、寧ろ後者ではないか、などと思えてしまう。

人は、不愉快な出来事、つらい出来事、悲しい出来事、そんなもの忘却の彼方に置いて行くことで、前向きな生き方が出来ている。

また、若かりし頃の記憶、学生時代の記憶など、思い出すたびに自分を美化し、自分に都合のいい記憶に塗り替えて覚えている。

昔はこうだったんだ!ああだったんだ!という自慢話に尾ひれを付けることを続けて行くうちに、どんどん記憶そのものも上書きされていくケースなど山のようにあるだろう。

それが出来ず、何かの連想でつらい日を思い出さざるを得なくなった場合、そのまんまの記憶で思い出すことはなんとつらいことだろう。

友人とのちょっとした口げんかなんかでも、皆すぐに忘れてしまうから、次に有った時には元通りで居られる。
会うたびにそのことを鮮明に思い出してしまっては、いつまでたっても気まずい気分から抜け出せない。

それでもこの能力、もっと何かに役立てないのだろうか。
裁判の証人になら完璧だろうが、そんな事件に出くわす可能性の方が低い。
彼女が囲碁棋士を目指すひとなら、場面場面を鮮明に覚えていることは強みにはなるだろうが、それだけじゃプロ棋士としては完璧じゃない。
棋譜はコンピュータが覚え、映像は録画ビデオが記憶してくれている。
彼女の強みはその膨大な録画を蓄えるハードディスクの容量と、何らかの検索キーワードでそれを呼び出す検索速度。
何十年の毎日毎日の全記憶ならスーパーコンピュータ並みだ。

やはり、まだまだ未解明の脳研究、記憶の研究に力を貸すのが、最も何かに役立てている、ということになるのだろう。

忘れられない脳 -記憶の檻に閉じ込められた私- ジル・プライス著