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本屋さんのダイアナ


対照的な家庭で育った女性二人の物語。

方や母子家庭で母親は水商売、帰りも遅く家でも学校でもひとりぼっち。
方や恵まれた家庭で育ったお嬢様。

小学時代に大の仲良しになり、それぞれが自分に無い環境をうらやましがりながらも、一人が中学受験をする時から疎遠になる。
それぞれの生き方をして来た二人が大人になって再会するという話。

二人に共通するのは本が大好きなところ。
「赤毛のアン」の現代バージョンとの謳い文句だが、そもそもの「赤毛のアン」を読んだ記憶が無い。

母子家庭の方の名前がダイアナ。
母親がティアラで娘の名前はダイアナ。
ティアラは源氏名だが、娘のダイアナは本名。

きょうびの話、難解な漢字をあてがって外国人っぽい名前は珍しくないが、この母親、あろうことか「大穴」と書いて「ダイアナ」と名付けている。
いくら周囲が「子供に名前をつけるのに親が子供の幸せを望んで命名するのは当たり前だ」と言ったところで、いくら「ダイアナ」という名前に思い入れがあると言ったって、「大穴」はないだろう。
他にいくらでもまともな当て字があったろうに。役所はカタタナの名前だって受け付けてたんじゃなかったっけ。
小さい頃からずっと髪の毛を母親に金髪に染められているぐらいなんだから、カタカナで通しゃ良かったのに。

ストーリーの中では「ダイアナ」と書かれているが、実際には「大穴」さんだよ。そのカタカナを「大穴」に置き換えてしまえば、物語の印象が思いっきり変わりそうな気がする。
そのそもダイアナと読む人の方が少ないだろうし。

内容についてもう少しふれてみるつもりが、結局名前のことばかりになってしまった。

本屋さんのダイアナ 柚木 麻子 著



ナミヤ雑貨店の奇蹟


東野圭吾ってこんな本を書く人だったっけ。

一軒の雑貨屋を経由して過去と現代がつながる。

近所で犯罪を犯して逃亡する犯人たちの車が故障。やむなく駆け込んだのがもう営業もしていない廃屋同然の雑貨屋。

この雑貨屋、かつて店主が悩み事の相談を受け付け、シャッターの郵便受けから相談事を書いた手紙を入れておくと翌朝、牛乳ボックスの中に店主が書いた返信が置かれる。そんなやり取りを店主と相談者はかつてしてきていた。

で、犯人たちがここへ到着すると、シャッターの郵便受けから相談事が舞い込んで来る。

三人の犯人の中でも、その取扱いについては意見が分かれるのだが、結局、結構適当な回答をしてみたところ、即座にその回答に対する返信が投げ込まれる。

3人は現代に居ながら、30年以上の過去の人への相談にのってしまっているのだ。
そうして過去の人への相談、回答のやり取りが続く。

また、章が変わると話はナミヤ雑貨店の店主が健在だった頃の話へと移って行く。

店主の物好きで始めた悩み相談なのだが、果たしてその回答を受けた人たちは、果たして幸せになったのだろうか。
それが知りたくなった店主の元へ30数年後の未来の相談者からのお手紙が届く。

この物語では何人もの相談者が現れるが、皆それぞれがなんらかの形で繋がっている。
また、相談を受けた人の結果を受けて、他の登場人物の人生が大きく変わるなんてことも。
まぁ、小さい町なんだろうから、それなりに皆が知り合いで少々繋がっていたっておかしくはないのかもしれないが。

オリンピックの代表候補になった女性からの相談事。
ミュージシャンを目指すが鳴かず飛ばずの男性からの相談事。
女手一つで子供を産んで育てられるかという相談事。
両親が夜逃げをしようとする家の子供からの相談事。
会社の事務職では稼げないので水商売に踏み込んだ娘からの相談事。

店主が回答したものも、未来の3人が回答したものも入り交じる。

未来からの回答として、それはちょっと違反じゃないのか、というのも。
相談者にその後のバブル全盛期の到来とバブル崩壊、そしてインターネットの普及とそれに伴うビジネスの時代が来ることを別の表現で教えてしまっている。

・相談者はすでに答えを持ってる
・未来は自ら切り開くもの

という店主のポリシーからこのケースははずれているのだが、それでも成功をおさめたのはその相談者が自ら未来を切り開いたから、と曲解できなくもない。

かなりいい話が満載なので、本当に東野圭吾なのか?
とは思ってしまったが、東野ワールドにいい話が無いと言っているわけじゃない。
こういうほんわりあったかい感じのいい話はあまり記憶にない。

ストーリーも舞台だても全く違うが、同じ歴代東野作品の中では娘の身体の中に妻が入り込んでしまう「秘密」なんかがイメージ的に近い気もする。

こういう東野作品も悪くない。

ナミヤ雑貨店の奇蹟 東野 圭吾 著



ハケンアニメ!


アニメ業界のことがよーくわかる本。

ハケンってアニメ業界の派遣のことかと思ったら、覇権の方だったわけですね。

春夏秋冬のそれぞれの四半期の中で最も売上を上げた作品。
アニメそのものだけではなく、関連グッズ・キャラクター商品、それらのパッケージ全部含めてどれだけ売上を上げたか、一番売上をあげることを「覇権を取る」というらしい。

三篇からなる一冊。

一篇目は、一人のわがままな天才監督を守り抜く女性プロデューサーの話。

一作目があまりにヒットしてしまったがために二作目以降がなかなか出来ず、途中で投げ出してばかりいるわがままで自分勝手に見える一人の天才監督。

その一作目を見て惚れこんでしまい、彼と共に仕事が出来ることをずっと夢見ていた女性がプロデューサーの立場で彼を支える。
その監督がまたまた途中で失踪してしまう。

この監督と知ったかぶりのインタビュアーとのやり取りが、なかなか面白い。

二篇目は、その一篇目の作品と覇権を争う若手女流監督の話。
こちらのプロデューサーは、監督を守るというより、プロモートの方に力を入れるタイプ。

この監督も仕事に妥協しない人でアイドル系の声優などが泣き出してしまっても、さらに手厳しい言葉を浴びせてしまい、プロデューサーから小言を言われてしまう。

一つのアニメが出来あがるまでどれだけ多くのスタッフたちが徹夜も辞さずで取り組んでいることか。

三篇目はまさに製作の裏方屋さん。
原画を描く方の女性。

作品がヒットしても監督の名前は売れても、原画を描く人が全面に名前が出ることはないだろうが、彼女の書く原画は神原画と言われ、知る人ぞ知るという存在。

聖地巡礼というそのアニメの背景となった土地にファンが巡ってくることを利用して町おこしをしようとする町の観光化の人と原画作りの人のコンビが成し遂げたこと。

彼女が最も嫌っていた「リア充」。
リアルが充実していることをそう呼ぶのは知らないではなかったが、こんな風に使われるのは知らなかった。

しかし、どうなんだろう。

放映されているアニメも家で見ている人たちはリア充じゃない人もいるのだろうが、製作する側の人たちって監督やプロデューサーはもちろんだが、徹夜して原画を描く人たちだって、放映された瞬間をビールで祝い合ったり、かなりリアルに充実しているんじゃないのだろうか。

ハケンアニメ! 辻村 深月著