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塩の街


有川浩のデビュー作にて、電撃小説大賞受賞作。

ある日突然飛来した隕石。
それは途轍もなく巨大な塩の結晶で東京湾の埋め立て地に被弾、というより着陸。

はるか遠くからでもその山のような白い物体を見る事が出来る。

この塩隕石の到来その日に日本の人口の1/3は塩化してしまう。
人間の身体が人形のように固まってしまい、その中身は塩になっている。
触れば、さらさらと塩になって人型は崩れていく。

政府機能も麻痺。交通も麻痺。
となれば無法地帯。

阪神や東日本、古くは関東の大震災においてさえ、日本は大災害時に無法地帯とならなかったことで、世界の人々を驚かせたが、有川浩の世界は世界標準で、無法地帯となってしまうらしい。

両親がその日を境に帰って来なくなった娘。
家に親が居ない、男が居ない、ということが知れ渡ると、欲望に飢えた狼たちの格好の餌食となるらしく、家の扉を破ってでも襲って来ようとする。

そんな娘を危機一髪のところで助け、自宅に居候させた元自衛官の男。
彼がなんとしてでも守るべき存在として娘の存在は大きくなり、娘の中でも彼の存在は大きくなって行く。

この本、この塩の結晶を男が退治しに行くところで話としては完結しているはずなのに、その後、まだまだ続くのだ。
案の定、一旦終えた後に続編として書かれたものらしい。

このデビュー作での編集者とのやり取りが、あとがきに記されていた。

売れっ子作家にはあれを直せ、これを直せとは言わないが、新人には登場人物の年齢を変更させたり、設定を変えさせたり、ということが行われるらしい。
その変更内容には、売るための戦術もあるだろうが、差別用語、偏見と取られかねない表現などへの検閲に近い事も行われる。
改めて単行本化するにあたって今や、有川浩は売れっ子作家となったので、編集者に直されたところは尽く原作に戻したそうなのだが、その偏見と看做された表現部分の修正は、敢えて直さずに、読者に違和感を感じてもらおうとの意思だったようだ。

おそらく「華僑」という言葉がはまっていただろう箇所に「外国人」では、趣きが全く変わって来る。

そんなデビュー作にての経験が、検閲をめぐっての戦い四部作、図書館戦争・内乱・危機・革命四部作を有川浩に書かせる動機付けとなったのかもしれない。

塩の街  有川浩著



中国メディアの現場は何を伝えようとしているか


結構、以外だった。

これまで中国発のニュースだとか、中国のニュースキャスターだとかは、中国政府の公式見解を述べる、政府のスポークスマンしか見たことが無かったが、というより、日本で流れるのはそういうものしかないのではないだろうか。
実のところはどうなのか、日本の国内からは全くわからない。

でもちゃんと居たんだ。報道マンが。
ちゃんとあったんだ。対外スポークスマンでないニュースキャスターが。

冒頭で柴静氏を訳者がインタビューする場面からスタートしているが、その中で、中国と言うお国柄での報道の制約や難しさを訳者が質問したところ、どんな国にだって制約はあるはずだ。中国の皇帝の時代の言論統制のあった時代に「紅楼夢」は生まれたし、同じく言論の自由が無かったはずの帝政ロシアにあったってトルストイは生まれた。
と、他の例をいくつか並べて、だから現代の中国でまともな報道が出来ない訳は無い、と。
これを言わざるを得ないということはかなりの制約の中での限られた報道なんだろうな、と思ったが、中身を読んで驚いた。

SARSの発生時の彼女たちの対応。
カメラはだめ。マイクはだめ、と言われても中へ入るという彼女に病院関係者は「中へ入る意味があるのですか?」と問いかける。
まず、報道できるかどうか、音を流せるかどうか、の前に彼女は自身の目で見、自身で話を聞く、そして彼女の見た真実を追いかけることを優先する。

彼女はテレビ局の中で原稿を読むだけのキャスターなんかではなく、第一線の取材記者も兼ねているのだ。

中学生だったか高校生だったか、未成年の女の子たちの連続服毒自殺の未遂事件。
麻薬中毒患者の取材。
中国では人間扱いされない同性愛者の取材。
ドメスチック・バイオレンスに苦しむ女性の取材。
猫を噛みちぎった女性の映像を巡っての取材。
四川省の大地震時の取材。

なにより、政府が対外的に発表したくないはずの公害問題についてもかなり突っ込んで、地方の役人を責め立てている。

もちろん、放映されるまでには、いくつかの検閲という関門があり、それをパスして初めて放映となるのだが・・・その取材内容は政府に不都合な内容は無かった事にして、という内容ではない。
県知事レベルなどはしょっちゅう取材対象となり、批判対象ともなる。
地方の役人レベルからの取材拒否や嫌がらせなどはしょっちゅうだったことだろう。

それって深追いし過ぎたら命狙われたりとか、結構危険なんじゃないのか、と思われる材料も構わず、取材対象に迫っていく。

そして彼女やその周囲のスタッフが作成する報道番組で何人もの役人の首が飛んだりするのだ。
そんな報道が中国国内では行われていたんだ。

この本、たまに文章・文章間の構成がどうもすっきりしなかったり、わかりづらかったりするのが玉に傷。
著者はテレビメディアの人なので書き手としての問題なのか、原著はもっと膨大で、日本語訳を出版するにあたってかなり削ぎ落したのだというが、その削ぎ落して再構成する際の問題なのか、訳者の力不足なのかはわからない。
ただ、変に削ぎ落すのではなく、原著にあるがままに出版されたものを読みたかった。

この人を持って、キャスターと呼ぶなら、日本のニュースキャスターと呼ばれる人たちの言動はなんと安易なものに思えたことか。
なんと薄っぺらなに感じたことか。

やっぱり、あの国は外からではなかなかわからないことが多いなぁ。

中国メディアの現場は何を伝えようとしているか -女性キャスターの苦悩と挑戦-  柴静 著



マスカレード・ホテル マスカレード・イブ


マスカレード・ホテルとマスカレード・イブ、同じ登場人物たちなので、一回で紹介してしまおう。

■マスカレード・ホテル
この本はミステリーとしてやトリックの中身が読ませどころじゃないのだろう。
「おもてなし」の心を持ってお客様に接するのが信条のホテルマンの仕事場に人を疑うのが仕事の刑事がホテルマンに化けて潜入するとどうなってしまうのだろうか。
そこがこのマスカレード・ホテルの一番の読ませどころじゃないだろうか。

東京都内で起きた連続殺人事件に残された唯一の手がかりである犯人の残したメッセージ。
それは割りと簡単に解読出来てしまうシロモノで次の連続殺人事件の緯度・経度が特定されている。
最後のメッセージからこのホテルが次回の現場だと特定されるが、そのメッセージ以外には全く連続殺人の被害者間の繋がりも、犯人の手がかりも何も無い。

つまりはホテルに来る全ての人が被害者かも知れなければ、加害者かもしれない。
そこでフロントの中にホテルマンに扮した刑事が潜入し、来る客、来る客全てを監視する。
方や、本物のホテルマンも実は来る客、来る客を観察はしているはずなのだ。
根本的に違うのはその目的。
本物のホテルマンは来る客に最大限のおもてなしをするために観察するのであって、犯人かもしれないという疑念を持って監視しているわけではない。

その刑事の教育係を命じられたのが、山岸尚美というホテルウーマンで、この人がかなり優秀な人なのだ。

この女性の教育が功を奏し、だんだんと刑事がホテルマンとしてのらしさを身につけて行く。

■マスカレード・イブ
マスカレード・ホテルで登場した山岸尚美が主人公で今回もフロント内での業務についている。
客様のつけている「仮面」をテーマとした何篇かの短編、いや中編というべきか、が収めされている。

こちらの前作よりミステリっぽいかな。

山岸尚美はマスカレード・ホテルで登場した時より、はるかに探偵っぽいことを行おうとする。
マスカレード・ホテルで出会った刑事の影響か?と思いきや、出版こそマスカレード・イブの方が後なのだが、時系列的にはマスカレード・イブの方が前になる。

さまざまな仮面をかぶったお客様がホテルに宿泊しに来る。

マスカレード・ホテルではお客様を守り抜く完璧なホテルマンとしての心構えを貫いた彼女。
どうしたことか。
決して剥いではならないお客様の仮面を、最後に一言剥いでしまったりするのだ。


パリで起きたテロ事件などが発生する昨今だ。

お客様を守ろう、お客様に最大限の「おもてなし」をというのはホテルマンとして信条だろうが、ホテルマンのらしさを身につけ、「おもてなし」をしながらも、疑念の気持ちを持って観察するこの刑事のようなフロントマンがだんだん必要な時代になって来ているのかもしれない。

そうだとすると、なんともまぁ、いやな時代になってきたものだ。