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フォルトゥナの瞳


死の迫った人の身体が透明になって見えてしまう。
そんな能力が突如身についてしまった青年の話。

だんだんと見慣れて行くと、その透明度に応じておおよその死期までわかるようになる。元気そのものの若者で全く透明状態なら病死ではなく事故死だろう、とかおおよその想像がつく様になって来る。

もっとも、全く透明なら顔面が青白くて今にも死にそうな顔をしててもわからないんじゃない?などと瞬間思ってしまうが、やぼな突っ込みというものだろう。
運命は変えられないか?と青年は自問しながらも直後に事故死をするなら、話しかけたりすることで、一瞬、次の行動を遅らせたりすることで事故を免れるんじゃないか、とチャレンジしたりする。

ある時、そんな能力を持った人間が自分だけで無い事がある時、判明する。
その能力をもう何十年も持ったまま、何も行動をせずに知らん顔を決め込むのだという。
なんでも、その能力を使って人の運命を変え、本来なら死んでいるはずの人を救ってしまうと、その分自分の寿命が短くなってしまうのだという。

ならば、こんな能力など無ければ良かったのに・・・と自問する青年。

この物語の青年はどこかしら「永遠の0」の宮部少尉に通じるものがある。
未来のある幼い子供達が死んでいく、それがわかっていながら何もせずにいられるのか・・・。

百田さんはストーリーテラーとして、素晴らしい才能を持っておられる方。

「殉愛」をめぐってのトラブルがまだ続いているのだろうか。

一時は良くメディアにも登場されたのが、このところパッタリと登場されなくなってしまった。
メディアへの登場はどうでもいいのだが、せっかくの才能。
このまま埋もれさせていいわけがない。

もっともっと百田ワールドを見せて欲しいと願うばかりだ。

フォルトゥナの瞳 百田尚樹 著



村上海賊の娘


この本、2014年の本屋大賞。
全国の本屋さん達が一番売りたいと思った本。
本の目利きが最もおすすめする本なのだ。
こういう時代ものって一般受けするのかなぁ、と思いつつ読み進めていくうち、途中からもう面白さ爆発。
下巻になるともう止められない。一気読みしてしまった。

結構ハチャメチャに書いているようで、実はかなり歴史に忠実に書かれていることがうかがえる。
本文の中にも「信長公記」の中では、とか「石山軍記」の中では・・ルイスフロイスはその著書の中で・・・とか、至る所に引用文献が記載されているが、巻末の主要参考文献を見ると、その文献を羅列するだけでなんと4ページも。

この作者、この本の一つ一つの描写の裏付けにかなりの歳月をかけたのではないかと、思わせられた。

方や史実に忠実でありながら、その史実に無い行間を思う存分、好き勝手に書いちゃった感が満載。

織田信長が大坂の石山本願寺を攻める際に、攻めあぐねて兵糧攻めにしようとする。
石山本願寺は毛利家へ海路での兵糧補給を依頼する。
単に兵糧を運ぶだけなら毛利家だけでも充分なのだが、兵糧を運ぶにはそれを守る部隊が必要となる。
そこで登場するのが村上海賊。

村上海賊は来島村上と因島村上、能島村上の三家からなるが、最も力があるのが村上武吉が率いる能島村上で、ここだけは他家と違ってどの大名傘下にも属さない。

その村上武吉の娘が主人公の景(きょう)。

この主人公の活躍が最も史実から遠く、作者が好き勝手に書いちゃった感が最も出ているのがそこ。

毛利の助っ人が村上海賊なら、織田方の助っ人は泉州の地侍達で、中でも突出しているのが眞鍋七五三兵衛率いる眞鍋海賊。

この泉州侍たちの書かれ方がまたすさまじい。
この本では「俳味」という言葉で何度も書かれているが、要は「洒落っけ」を何より重視する。自らの命よりも俳味に重きをおく。

全国区ではちょっと受け入れられるのか、ちょっと心配になるのが、すさまじいまでに登場する泉州弁。
この本の泉州弁は今の和歌山弁に近いように思える。
目上への敬語が無いのは今でも紀州の特徴だ。

泉州侍達は元より織田の家臣では無いし、戦況次第ではどちらにでもすぐに寝返るのが泉州の特徴の様に書かれているが、この時代、そんなのは泉州に限らずどこでも当たり前かもしれない。

毛利側が兵糧船と戦船合わせて千艘。傍から見れば、千艘の大軍団だ。
でも実際に戦えるのは300ばかり。
方や泉州側も海賊150と陸の泉州侍が載る船が150。

村上海賊の娘が泉州の怪物、眞鍋七五三(しめの)に対して掛け合いに行く(もう戦うのんやめとこや、と交渉に行く)シーンがあるのだが、そこで物語上では七五三はまんまと千艘まるごと戦船と信じさせられるのだが、そこで七五三が出した答は、「そんなん面白ないわ」の一言。
仮に99%負けるのがわかっていても面白いか面白ないかが判断基準となる。

方や自家存続のためなら何でもするはずが、大将のたった「面白ない」だけのことでどれだけの命が失われる事か。自家はもとより味方の軍勢の命。もちろん敵の命も。

ここらあたりも史実の行間というやつなのかもしれない。

おかげで話は俄然面白くなってしまった。

本屋さんがおすすめするのむ無理無いな。これは。

村上海賊の娘 和田竜 著



悟浄出立


中国の古典や物語で主役では無く、常に脇役の立ち位置の人ににスポットをあてた短編集。

「悟浄出立」
悟浄出立の悟浄とは「西遊記」に登場する沙悟浄(さごじょう)のこと。
沙悟浄が語り手にはなっているが、寧ろ注目すべきは猪八戒。
あの豚のなりになる前は天空に居て、しかも戦で負け知らずの大将軍だった。

えええっ!となる話。

「趙雲西航」
三国志の劉備の配下の将軍、趙雲が主役。
益州へと向かう船の中でのどうにも気分がすぐれない趙雲。

同じ立ち位置の将軍、張飛との対比が面白い。

「虞姫寂静」
項羽がとうとう四面楚歌になってしまう時の連れ合い、虞美人を書いた話。

「法家狐憤」「父司馬遷」
とどちらも荊軻(けいか)が登場するが、「法家狐憤」が面白いかな。

荊軻と同じ読みになる京科という人が主人公なのだが、中国で初めて法治国家というものを築いた秦という国の面白さが良く出ている。

官吏の登用試験にておそらく音が同じなので、荊軻と間違われて登用された京科。
法治国家についてははるかに詳しい荊軻は他国へ。

その後、他国の外交官として秦の国王への謁見がかなう立場となった荊軻は、秦の国王を暗殺しようと企てる。
暗殺は失敗に終わるのだが、その時の秦は法を最も重んじる国で、王の命よりも法を守る事が優先されてしまう。

法を重んじる法治国家がなにやら滑稽なものに見えてしまう、という面白さがある。

万城目学という人、「プリンセス・トヨトミ」だとか「とっぴんぱらりの風太郎」なんかのダイナミックな作品のイメージがある作家だけに少々意表を突かれた感じの作品群。

それにしても表紙に作者の名前のひらがなまで入れてもらって、あらためて「ああ、確かそういう読み方だったんだよな」と思いつつも頭の中に一度インプットされてしまっているのだろう。何故かすぐに「まんじょうめ」と読んでしまう。

「20世紀少年」の影響だろうか。

悟浄出立  万城目 学 著