御免状始末 – 闕所物奉行 裏帳合(一)
闕所物(けっしょもの)奉行というあまり聞きなれない奉行が主役。
取りつぶされた店などに残された財産を没収し、売却するのが仕事。
その売却先からの見返りの袖の下でおいしい目に合うことしばしば。
闕所(けっしょ)なんてそうざらに発生しないので、ヒマな仕事ながら、旗本の仕事の中ではかなり役得が多い方に位置する仕事のようだ。
岡場所で遊んだ侍が法外な金額を店から請求され、逆上するが逆にコテンパンにやられる。
本人は武士の恥とばかりに詰め腹を切らされるが、今度はその藩(水戸守山藩)の連中がその仕返しに鉄砲まで持ち出して大挙して店へ押し掛け、店ごと引き壊してしまう。
その後、裁きは喧嘩両成敗でもなんでも無く、一方的に店だけが責任を被らされ、水戸守山藩は一切お咎めなし。
どうやらその事件そのものは史実らしい。
その史実を知った作者が、何故なんだろう、と行き着いた先がこの物語らしい。
この闕所ものとなった店に残されたものを評価するあたり、倒産企業への債権者の差押えを連想させる。
こういう視点での江戸物は珍しいだろう。
江戸時代も時を得るに連れ、その制度が疲弊してくるのは当たり前で、この物語の舞台となる時代はかなり疲弊しきった時代。
それでも作者は闕所物などというレアなところに目を付けるぐらいだから、江戸時代が好きなのだと思っていたが、あにはからんや、嫌いだった。
あとがきでその独裁体制を批難している。
それぐらいなら、水戸藩を悪役にしなけりゃいいのにと思ってしまう。
江戸時代はさほど悪い時代だったとは思わない。
260年間、内外にて戦争はおろか内乱も戦闘らしき戦闘もない、世界に誇れる時代だったのではないかとさえ思っている。
今でこそ地方の活性化などと言われるが、江戸時代ほど地方に根差した文化が花咲き、維持され続けた時代もそうそうないのではないだろうか。
それぞれの地方に主権があり、それぞれの地方がそれぞれの文化を持ち、特産品を持ち、領土を持つ。それでいながら、各藩同士で領土を巡る戦すら起きていない。
260年間,人口が安定していたのもいいことだろう。産めよ増やせよの時代も無けりゃ、人口減少難も、少子高齢化問題も発生していない。もちろんいいところばかりでは無いのは承知しているが・・・。
あとがきと言えば、この本を著したのが丁度民主党政権発足の時と重なったのだろう。
江戸時代が終わった後に新しい時代が来た時になぞらえて、自民党の時代が終わっての新政権へに期待が文章に滲み出ている。
その政権の担い手が後にルーピーと呼ばれ、さらなる後には実弟をして「宇宙人、もはや日本人ではない」と呼ばれるほどの存在になろうとは、これっぽっちも想像していなかったことだろう。
いずれにしろ、数年後にも読まれることも意識するならあまりその時代の時事問題、特に政治関連など取り上げるべきじゃないだろう。
本編そのものの評価まで下がってしまう。