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海うそ


九州の南の方にある「遅島」という名前の島が舞台。
修験道の島だったその島のあちらこちらを訪ね歩く青年。
そこには廃仏毀釈で無残に破壊された寺の名残りがてんてんと・・・。

廃仏毀釈というもの、歴史の教科書で習ってはいるが、どうにもピンと来ないのは各地に残っている寺院とその歴史。平安時代やら平城京時代の建立の寺院が観光客で賑わっているのを見ると廃仏毀釈なんて本当にあったの?と思ってしまうが、実際に吹き荒れた嵐だったのだろう。

そもそも廃仏毀釈の元は明治政府の発布した「神仏分離令」であって、寺院を破壊せよ、では無かったのだという。
廃仏毀釈というのも熱病のようなものだったのかもしれない。
そもそも神道と仏教の混合こそが日本の信仰のかたちだっただろうから。

そんな廃仏毀釈の名残りを遺した島なんて今もあるのだろうか。
と思って読み進めるうちに、実は戦前の話だったとわかってくる。

話がいきなり50年後になっているからびっくりする。

息子の勤める会社が遅島を観光資源として開発する、というので再訪し、その変容ぶりに驚き、観光資源になるかどうかだけの基準で、思い出深いものがいとも容易く、破壊されるのか残されるのかが決められていくのに虚しさを感じるがやがてその思いも徐々に変わって行く。

それにしても、そんなに思い出深い島を何故50年間も再訪しないまま放っておいたのだろう。

50年の歳月が流れれば、変容して行くのは当たり前と言えば当たり前。
昔、訪れた際に世話になった人もことごとく亡くなっているだろうし、放置すれば誰も訪れない過疎の島になって行くだけだろう。

かつて廃仏毀釈で変容した島は今度は開発によって変容して行く。
時代が変われば、人の居る場所なら風景も変わって行く。
この元青年は「色即是空」という言葉で納得しようとするが、寧ろ「諸行無常」の方が似つかわしいだろうか。

海うそ 梨木香歩著



眠る魚


これはひどい。本当にひどすぎる。
東日本大震災後の被災地のことではなく、この本のこと。

反原発なり、脱原発の立場ならそういう立場で論陣を張るのであれば、それはそれで潔いだろう。小泉純一郎氏の様に。

食堂やら居酒屋で、わざわざ西日本で採れただろう作物を選んだり、これは輸入ものだから大丈夫、と一人ごちている分にはそれはそれで個人の選択の問題だろうから好きにすればよろしいだろうが、原発容認の側の立場の人にも「福島や三陸沖の海産物を食べなければすむことだ」などと言わせているのは意図的なのか無知なのか。震災に遭った、津波に遭ったという以外はほとんど無関係な三陸沖までエリアをひろげて、ほとんど東日本で採れたものは全て汚染されている、と言わんばかりの記述。

あの事故以来、福島どころかそれ以外の農家さんたちも海外どころか国内の風評に耐えながらどれだけ念入りな放射能検査を経てようやく出荷にこぎつけているのか、ものを書く人なら現地を取材してから書いて欲しいものだ。
福島や近隣の農家さんがこれを読んだらどんなに悔しい思いになることだろう。
インターネットでどこからか仕入れた風評ものだけを頼りに登場人物に言わせているなんというのはもはやプロの物書きのする仕事とは言えないだろう。
漁業関係者ももちろん読めばさぞや悔しい思いになるだろう。

農作物やらの食べ物のことだけではない。
急に死んだ人が多くなった。
がん患者が増えた。子供の下痢や鼻血が止まらない例が増えた。・・・だのを他の登場人物に言わせるなら、せめてちゃんとした統計数値を出展の併記をどこかに書くべきところだろうに、そうはせずに「憲法九条が改正された今」などと未だ実現もしていないことも併せて書くことで、敢えてこれはフィクションなのですよ、というアピールも忘れない。
なんていう卑怯なやり方だろうか。

そもそもこの人、日本と日本人がかなり嫌いらしく、日本人には個性がないだの、いたるところに日本人の悪いところを書き並べてくれている。
「身体に気をつけて」「ご自愛下さい」などという言葉についての
日本という共同体に囲い込もうとする力が裏で働いているのだ、などと述べているくだりにくるともはや「呆れ」しか出て来ない。

そんなに日本人であることが嫌いなら自ら日本人であることをやめてくれりゃいいのに。
ご自身でいろいろな国へ放浪出来たりするのは日本国のパスポートの力があればこそ、というところの日本のおいしいところだけは、ちゃんとご存じということだろうか。
そんな嫌いな嫌いな日本であっても歯医者はやっぱり日本で見てもらうし、日本製品は性能がいいから、と海外逃避を計る前にしっかり買いだめをする、やっぱり悪口は言うが、おいしいところだけは、ちゃんと利用するって、ことか。

この著者は今年この本の出版直前に亡くなったらしい。

となれば、この文章も死者に鞭打つことになってしまうので、あまり気持ちの良いものではないが、有名ではないにしろ一応直木賞受賞作家だ。
亡くなったことでの遺作としてのみの受けを出版社は狙ったのだろうか。
だとすれば出版社不況に追い討ちをかける愚行だと言わざるを得ない。



快晴フライング


とある中学の水泳部の廃部をかけた話。

地域の公立中学の中で一校だけプールの無い学校。
本題に入る前に、
同じ学区内にしてはずいぶん不公平な話だなぁと思いつつも、よくよく思い出してみると、自分の小学時代にも同じ市内の別の小学校のプールを全学年借りに行っていたのを思い出した。
相手の小学校の校舎の窓から、ヤジのような馬鹿にした声を浴びたが、不思議と屈辱的でもなんでもなかった覚えがある。
級友達と一緒だったからだけではないだろう。別にお前らがプールを作ったわけでもなければ前らの親が作ったわけでもないだろうに。と、妙に覚めた大人のような気持ちだった覚えがある。
わき道にそれたが、そんな授業で使うプールとクラブ活動で使うプールとは少々重みが違うかもしれない。
なんといっても借りている相手は対戦相手であり、これからうち負かさなければならないライバルの本拠地だ。
戦う前からアウェイか。
この話、もちろんそんな話ではない。

自分の戦跡やタイムにしか興味の無かった少年が、主将が交通事故で亡くなってしまったためにたいして、主将代行の立場となる。
主将だった少年は、幼馴染みで面倒見の良かった同級生で多くの後輩から慕われていて、それまで同好会的なサークル活動だった水泳活動を学校から部として認めさせるまでにした。
その跡を継いだわけだが、自分の個人成績にしか興味の無かった男に後輩たちは付いて来ず、退部者が相次ぎ、はなからやる気の無い顧問の教師からは廃部を宣言されるが、大会のリレーでの優勝を宣言してしまう。
優勝できなければ廃部。
池井戸潤の「ルーズヴェルトゲーム」を思い出すような話の流れ。
ただ、こちらの水泳部の残留者は飛び込めない息継ぎできないやつ、泳げないやつ、と、到底戦える布陣では無い。
そんな時、練習場の市民プールで見かけた飛び魚のような泳者。
性同一症候群の同級生の少女の話などを含めて、そこまでの展開にしてしまえば結論丸見えじゃない、と思いつつもその存在感はストーリーの盛り上げには大いに有効だ。

それよりも存在感が大いにあったのがオカマのママさん。
教師よりもはるかに教師らしい言葉、信頼感。説得力。
自分に正直に生きている人ならではの説得力。

なぜだろう。体型はまるで違うはずなのにその存在感がマツコデラックスと被ってしまった。

快晴フライング 古内一絵著