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日本人はいつ日本が好きになったのか


「あなたは自国が攻められようとしている時に自らが戦おうとしますか?」
という問いかけに対して「Yes」と答えた人の比率が世界で最も低い国が日本なのだという。
「あなたは自国に対して誇りを持っていますか?」
の問いかけに対して「Yes」の低さも驚くべくものだったという。

それが、ここ最近の調査ではわずかながらもパーセンテージが上がっている。
震災後の整然と礼儀正しい被災者たちを見て世界が驚き、その世界が驚いたことに日本人が驚く。
尖閣の問題も自国を愛する気持ちを高めた要素、と筆者はみている。

だから、タイトルは「日本人はいつ日本が嫌いになったのか」ではなく「好きになったのか」なのだ。

この本に書かれていることの大半は、さほど目新しいものではない。
主旨は目新しくなくても表現方法が目新しい。

前段の日本人がどのようにして骨抜きにされて来たのか。
GHQのやって来た骨抜き作戦をカエルを時間をかけて徐々にボイルする「ゆでガエル」に例えるなど竹田氏ならではではないだろうか。

この前段あたりは、かなりわかりやすく書かれているので、義務教育の日本史(この日本史という言い方も氏の言葉を借りれば国史でなければおかしいのだという。確かに言われてみればそうだ)の教科書の先頭にでも持って来てこの昭和の戦後日本の成り立ちを学んでもらうには丁度いいかもしれない。
昭和の戦後から遡って過去の歴史を学べばいい。

日本国憲法の成り立ちのあたりの記述は簡略化されすぎているかな。半藤一利の「昭和史〈戦後篇〉」が、より詳しい。

中段の韓国についての意見は「やっぱりなぁ」という感じの竹田氏ならではのいつもの持論だ。

後段に書かれた古代カルタゴの例は興味深い。

ローマ帝国に敗れたカルタゴは軍隊を持たない事を約束させられ、その後経済重視の政策で急速な経済発展を遂げるが、経済以外の知的な倫理的な進歩を目指そうと何の努力もしなかった。
そのカルタゴの姿が戦後の日本とそっくり、ということ。

そしてそのカルタゴはローマ帝国に滅ぼされてしまう。
ローマ帝国はカルタゴに土地に塩を撒き、二度と作物が育たない土地にしてしまうのだ。

ここらあたりは是非とも副読本の中にでも入れておいてほしいものだ。

日本人はいつ日本が好きになったのか 竹田恒泰 著



検察側の罪人


当初はそんなこともあるのかなぁ、読んで行くうちに話がどんどん奇想天外な方向に・・・。

東京の某所で老夫婦の殺人事件が起こる。
老人は何人もの人にお金を貸していたので、その借金をしていた連中がまず捜査線上にのぼる。

検事というのは警察の捜査官が犯人容疑者を特定し検挙して自供を取ってようやく起訴状を、と言う時になって初めて登場するものだとばかり思っていたが、検事も捜査会議に参加したり、捜査官と一緒になって捜査方針を決めたり、取り調べを捜査官と交替でしたり、ということもあるらしい。

この物語に登場するのはベテランの敏腕検事と将来有望な新人の検事。

ベテランの検事が学生時代の頃住んでいた寮に、その寮母の娘が居り、まだ中学生だったこともあって妹のように可愛がっていた。
その娘さんこともあろうに今から23年前に暴行殺人で殺されてしまった。

その犯行には、ほぼ間違いないだろうという有力な容疑者が居たにも関わらず、自供が取れないこともあり、担当検事がウンと言わずで結局起訴には至らず、その事件は時効を迎えてしまった。
今は法改正で殺人事件に時効は無くなったがかつては殺人でも15年で時効だった。

その時効を迎えた23年前の有力な容疑者の名前を今回の事件で借金をしていた連中の中に見つけてから、この敏腕検事はおかしくなる。

他に容疑者と思わしき人間が現われても、この容疑者が犯行を犯すには矛盾した事実があったとしても、
容疑者が全く口を割らなかったとしても、無理矢理この容疑者が犯行を犯すべくシナリオを作って行く。
将来有望な新人検事の方は途中から何かおかしいと思いながらも、ひたすら容疑者の自供を得ようとする。

なんだか、途中まではなんだかありそうな・・・と思っていたら、真犯人を見つけながらもその真犯人を逃がす(実際は逃がさずに自分の手にかけてしまうのだが)あたりから、これはいくらなんでも有り得ないだろう、という展開になっていく。

最後の最後には、本当の正義って何なんだ、という終わり方をして考えさせられはするのだが、なんともすっきりしない。

この事件、有罪となれば死刑となる可能性が高い。
そんな事件なら冤罪事件として騒がれるので慎重になるかもしれないが、もっと軽い犯罪なら叩けばほこりが出る様な立場の人間でさえあれば、案外日常的に犯人に仕立てあげていたりしているのかもしれないなぁ、いや少なくともそういうことは可能なんだろうなぁ、とは考えさせられる一冊でした。

検察側の罪人 雫井 脩介 著



ターミナルタウン


三崎亜記さんがまたまた不思議な三崎ワールドを書きあげた。

隧道と呼ばれる植物のような通路やそれを作る隧道師。
植物のようなもので感情が伝わるものらしいので作るというより育てる、という言葉の方が合うかもしれない。

影の無い人たち。無いというより失ったという方が正確か。

鉄キチならぬ鉄道原理主義者たち。

現実界には無いものなのでじっくり読まないと理解しづらいものがある。

舞台は日本のどこにもない架空の町。

でありながら、逆に地方ならどこにでもあるような町に思えてしまう。

それは、地方の商店街が軒並みシャッター通りになっていき、このターミナルタウンも御多分にもれず、シャッター化しつつあるという背景。
かつてはじゃんじゃん人が住む予定で建てたニュータウンに閑古鳥が鳴いている様はまさにバブル景気とその後の日本の姿じゃないか。

その地方をなんとか活性化しようとする若者に対して、補助金さえあればいいじゃないか、ともはや諦め気分の大人たち。
この構図も今の地方商店街と似通っている。

なんとか地域活性化をしてくれるはずの計画が、地元に益を一切残さず本社のある首都にのみ益を出すチェーン店だらけの計画だったり・・・これもどこかで聞いたことのある話ばかりだ。

ターミナルタウン、大阪の北部で言えば十三や淡路のような駅だろうか。
いろんな線が交差して乗り換え客は多いが、案外改札を出る人は少ない。
その十三や淡路に特急はおろか急行も快速も通り過ぎるだけで乗り換えも不要になったとしたらどうだろう。
さぞや閑散とした駅になるんだろうな。

この物語に登場する静原というのもそういう駅だ。

アーケードがボロボロになっていよいよ取り壊されようという時に、よそ者の若者が提案したのが、鉄道でしか使われることの無かった隧道を使ってレトロな雰囲気の商店街を作ろう、というもの。

さて、果たしてこの架空の町、ターミナルタウンは地域再生を果たすことが出来るのだろうか。

ターミナルタウン 三崎亜記 著