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五峰の鷹


戦国時代を書いた本はあまたとある。
どの人物にスポットをあてるかによって正反対の人物像が浮かび上がったりする。
この本はどちらかというと人物よりも寧ろ物流・交易というものにスポットをあてた本、と言えないだろうか。

主人公は、石見銀山を支配していた三島家(実在)の息子、清十郎という架空の人物。

9歳の時に内通者の手引きによって城は責め滅ぼされ、父親は討ち死に。母親は行方不明に。
その内通者が成長した後もえんえんと敵として前に立ち塞がれる。

清十郎は京で剣術を習った後に一旦故郷へ帰り、その後に倭寇の王として君臨する「王直」の下で働く。

剣の腕は超一流だわ、鉄砲の腕も一流、それどころか西洋兵学に通じ、鉄砲を使っての戦い方を熟知した男。
尚且つ、物覚えも良く、何事も理解が早く、機転が利き、発想が良く、度胸がある。
となれば商売の才能も当然ながら大いにある。

あまりにも完璧すぎる主人公なのだ。

この男が実在したなら、織田信長より先に天下を取ってもおかしくはない。
本人にその野心があればの話だが・・。

商人として実在したなら、堺の豪商今井宗久より、城山三郎の描いた「黄金の日々」の呂宋左衛門よりも大成功していたに違いない。
なんといっても海賊の力をバックに持っているのだから。

時代は室町幕府の権威が失墜し、鉄砲が伝来し、種子島をはじめ国産の鉄砲が作られつつある時期。
織田信長もまだ世に名を成す前の若造として登場する。

将軍を追いやってしまう三好長慶とそれに与する玄蕃と名乗る親のかたきとの戦い。
この親のかたきが後に松永弾正を名乗ってしまう展開としてしまったのは、作者にとって失敗だったのではないだろうか。

書き下ろしとではなく、何かに連載していたものだろう。
憶測で書いて作者に申し訳ないが、連載の途中勢いで松永弾正としてしまったが終盤になるにつれ、それじゃ仇討ちが果たせないじゃないか、と後悔したのではないだろうか。
松永弾正は後に織田信長に滅ぼされる運命なので、ここで架空の人物に殺されてしまうわけにはいかないのだ。

だから、終盤の終わり方、作者はかなり苦労した末、ちょっと尻切れトンボ気味になったのでは?というのはあまりにも穿った見方だろうか。

主人公とかたきとの戦いが主軸のようでありながら、鉄砲のことについてかなり詳しい記述があったり、石見銀山などもかなり詳細な記述がある。
いろいろと調べてあげた末に書いたのではないか、と思われる。

結構道具立ては綿密に書きあげているにも関わらず、読後感が薄いのは、やはり筋立てに無理があったからなのかもしれない。
まぁ、面白くはあったが、ちょっとだけ残念な一冊でした。

五峰の鷹  安部 龍太郎 著



赤ヘル1975


往年の広島カープファンには、たまらない一冊だろう。
山本浩二や衣笠などの有名どころは誰しも知っているだろうが、大下だの外木場だの池谷だのという名前は今日メディアに取り上げられることはもちろんないだろうし、人のウワサにのぼることもそうそう無いだろう。
そんな選手の名前が連呼される。

1975年という広島にとって記念すべき1年。
原爆投下から30年。
カープ創設から26年間、下位に低迷していたチームが初めて赤いヘルメットを被って赤ヘル軍団となってセリーグ初優勝を果たした年だ。

直前の3年間は最下位。前年は他の全チームに負け越し。
断トツの最弱チームだったのだ。

とはいえ、この物語、初優勝を飾った広島カープの赤ヘル軍団が主人公なわけではない。

主人公は東京から転校してきた中学生。
彼はもう数えきれないぐらいに転校を繰り返している。
父親が怪しげな商売にはまっては失敗し、借金を抱えては夜逃げ同然で逃げ出して新天地を求めるからで、それぞれの転校先では友達をつくるひまもない。

そんな彼が、広島の中学生と友達になろうとする。
原爆の被害について理解しようとするが、なかなかに話が踏み込めない。
それは自分が「ヨソもん」だからなのか、と自問する。
広島の子は「ヨソもん」に原爆のことを耳学問だけで語られるのを嫌う。
また、地元の広島の子であっても実は30年前のこととなると、やはり耳学問でしかないだが・・・。

友達になった酒屋の子の「ヤス」という少年。口は悪いが友情にあつい。
主人公の父親は、それは誰がどう聞いてもマルチ商法だろう、と思う商売に乗っかって、息子の友人「ヤス」の母親からなけなしの金を引き出させてしまう。
主人公君にはなんとも酷な状況である。
それでも「ヤス」は連れであることをやめようとはしないし、「ヤス」の母親も優しいままなのだ。

1945年の8月6日に投下された原子爆弾。
その後、もはや草木も生えないだろう、と言われた広島の街が30年の間にみるみると復興して行く。

例年8月になると広島には平和運動家なる人たちが集まり、核廃絶を声高に叫ぶ。
平和を愛する人たちは、原爆の被害者たちが生きている間にその話を残そう、絵を描いてもらおう、と呼びかけるのだが、実際に原爆を体験した人たちは極めて寡黙である。

自ら語りたいとも思わないし、描きたいとも思わない。
あまりにも惨い状態だったので、思い出すのが辛くてたまらないのだ。

だからと言って、どんどん復興して行って当時の姿がまるで忘れ去られたかの如くに消え去ってしまうのも、またなんだかくやしい。

この物語、転校して来た中学一年生の男の子と地元広島の少年たちとの友情の話。
戦後30年、復興して来た広島と共に歩んで来た広島カープの存在。
友情と原爆とカープの初優勝、この三つがからみ合って成り立っている。

私はカープファンでも無ければ、今や野球ファンでもないが、この本を読むとカープファンがたまらなく好きになるし、広島という街そのものが大好きになる。
そんな一冊だ。

赤ヘル1975  重松 清 著



グリード


これまで安い賃貸住宅にしか住めなかった人が別に収入が増えたわけでもないのに
いきなりマイホームを持てるようになる。
しかもこれまで一家5人が同居していたものを一人に一軒ずつの持ち家を持つことが出来る。

そんな夢のような話があるわけないだろ!・・・とあるわけの無い夢のような話を現実にしてしまったのが、サブプライムローンと言われる金融商品。

いずれ破たんするだろうことはこと冷静に考えればわかるものの、当事者はそんなことは露ほども考えない。
当事者が思うのは「これこそがアメリカンドリームなんだ。」

日本のバブル時代、株は先々にわたって上がり続けるもの、土地価格も先々絶対に上がり続けるものと思われていた。
わずかな土地を持っている人はそれを担保に莫大なお金を銀行が貸し付け、その金で買った土地をさらに担保にしてまたまた銀行は金を貸し付け、さらに土地を買う。
ほんの小さな土地を持っているだけで、その何百倍もの土地を手に入れることを当の本人たちは異常だと思わなかっただろうか。

日本のバブルは崩壊し、大量に貸し付けた金は不良債権化し、ほとんどの銀行が経営危機になる。証券会社では山一がつぶれ、銀行では長銀や日債銀が破たん。
生き残ったところも合併に継ぐ合併で、当時の原形をとどめているところは大手ではもはやなくなった。

この物語は、そのサブプライムローンが破たんし、リーマンブラザーズが破たんする世に言うリーマンショックの直前とその直後の期間を描いたもの。

日本のバブルが弾けた際にボロボロになった日本企業たちをアメリカのハゲタカ企業が荒らしまわったことへの意趣返しとばかりにエジソンが創業したというアメリカのシンボルの様な存在の企業を買収しようと日本のハゲタカが画策する。

エジソンの「1%のひらめきと99%の努力」の名言を「1%のひらめきのないヤツはクソだ」と理解してしまうところにこの男の自信が表れている。

そのハゲタカファンドのオーナーである日本人が主人公。その男を取材する新聞記者、潰れつつある投資銀行を守ろうとするアソシエイトの女性、この二人が物語の脇を固める。

自由と民主主義の国であるはずのアメリカでありながら「市場の守り神」と皆から思われている強欲な老投資家の思惑だけでFBIが大統領の賓客として招かれた日本人を拘束したり、この主人公を拘束しようとしたりする。

強欲な思惑が招いたウォール街どころか世界を震撼させるほどの規模の大ショック。
それまで持っていた店を手放し、安い賃貸住宅にすら住めなくなってトレーラー暮しをする人たちが大勢出た一方で、こんな事態を招いた張本人の投資銀行の社員の中に何人、家を追われるほどの人がいただろうか。
せいぜい転職するまでの間、贅沢な暮しを控える程度ではなかったか。
ここからアメリカは学んだのだろうか。

リーマン危機以降、量的金融緩和によってドルを世界中にばら撒き、好況を取り戻したら今度は緩和引き締めに入る。それによって新興国の通貨は暴落。
やっぱりその後もハタ迷惑さは変わってないか。

グリード 真山 仁 著