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夢を売る男


「永遠の0」では読んだ人を涙でボロボロにさせ、「海賊とよばれた男」では読んだ人に感動を与え勇気と元気を与える。
本当に同じ作家なのか?と思えてしまうほどに百田さんは守備範囲が広い。

この「夢を売る男」は出版業界の話。
出版業界と言ってもかなりいかがわしい。

○○大賞と銘打って作品を募集し、募集して来た作品の中で箸にも棒にもかからないもの以外は、全てお客様。

編集部としては一押しだったんですけどねぇ。なんとしても出版したいところなんですけどねぇ。大賞を取っていない作品となると、販売の方がなかなかうんと言わなくて、・・・と言葉たくみに誘導し、どうしても出版したい、という気持ちまで客の気持ちを高めた上で、ジョイントプレスなる出版方法(筆者にもお金を出してもらう。実際には筆者しか出さないのだが)を提案し、自費出版なら20万や30万で済むものを100数十万~200万のお金を引き出して行く。

かつて、新聞の取材のようにアポを取って、一通り取材した後に記事にするには実はお金がかかる、記事形式の広告だった、なんて営業手法があったが、出たがり屋の気持ちをくすぐる、誉めて誉めて誉め倒してその気にさせる、なーんてところはちょっと似ているかもしれない。

この出版社、元は印刷屋だったのが、この形式の出版をはじめて、出版不況をものともせず、急成長。ビルまで建てたのだとか。
こんな手法でなかなかビルを建てるところまではいかないだろうが、確かに目の付けどころは面白い。

それに実際に客には夢を売っている。

この会社の編集者の前職は全く畑違いだったりするのだが、営業バリバリの編集長の前職は本当のまともな出版社の編集長だった。

彼の今の出版業界に対する失望の思いが真逆の出版に走らせたのかもしれない。

とにかく売れない作家に対して、ボロクソ。

自らはミリオンセラーを連発しているだけに売れている作家が売れない作家のメシを食わせてやっているのに・・・みたいな受け取られ方をしないようにしっかりと百田某はすぐに消える作家だ、と自らに駄目だしをするのも忘れない。

ユーモアたっぷりに詐欺まがいの出版商法を書きながら、現実の出版というものへの辛辣な批判でもあり、偉い作家先生への批判でもあり、なかなかに読ませてくれる一冊。

さすがはベストセラー作家だ。

夢を売る男 百田 尚樹 著



黙示録


黙示録ってタイトルがものすごいインパクト。
どんな予言の書なのか、と思ってしまう。
最後まで読んでみると、「千年」の意味がやっとわかって来る。

この物語の時代は、江戸時代に遡る。
薩摩藩の侵攻を受け、薩摩藩による実質的な支配下に入った琉球王国。
その薩摩の支配下にありながらも清国への朝貢も行う。

双方の大国の狭間で大国の機嫌を取りながらも首里城の王家を維持する。

そんな立場から一転、琉球を世界のど真ん中に置こうじゃないか、と考える男が現われる。
蔡温という政治家で国師という特殊な地位を与えられる。

世界のど真ん中、と言ったって商業の中心地でも政治の中心地でも軍事の中心地でも有り得ない。
芸の世界で世界の中心たるに相応しい文化国家であろうとする。

登場するのが了泉(りょうせん)と雲胡(くもこ)という若い天才舞踊家。

彼らは楽童子として薩摩経由で大阪へそして江戸へと登り、将軍の前で踊りを披露する。
その時の大阪の描き方、江戸の描き方が面白い。
江戸ではまるで現代の芸能記者に追われる芸能人扱い。

方や清国からは冊封使(清国の皇帝が周辺国の王に爵号を授けるための使節)を迎えてまた新たな踊りを披露する。

主人公は了泉というニンブチャー(ヤマトで言うところの士農工商からもはずれた低い卑しい身分)から舞踊ひとつで這い上がった少年。
方や舞踊のエリートとして育成された雲胡とは何かにつけて比較される。

この了泉の見る天国と地獄のような浮き沈みが物語の柱。

舞踊を見た人みんながうっとりし、また感動し、涙を流し・・・というような民族舞踊は想像できないが、テレビも映画も無かった時代の人たちにとって、は目の前で繰り広げられる美しい踊りは唯一の娯楽であり、贅沢だったのかもしれない。

この話、了泉や雲胡のような個人の話は別だが、江戸幕府への使節の派遣やら、清国からの冊封使を迎えるところなど、大まかな流れとしては実際の歴史に忠実に書かれているのだろう。

ただ、ヤマトと清国の描き方から言えば薩摩は力づくで侵攻した相手なのに対して、清国の冊封使は詩を用いてこの国師を絶賛するなど、清国の方に若干好意的に書かれている気がする。
尖閣問題以降、沖縄まで中国が射程においていると言われるこの時期に出版されているだけに若干不安な気持ちも残る本ではある。

黙示録 池上 永一 著



いにしえの光


初老の男がひたすら50年以上昔を回想する。
15歳の少年だった彼は親友の35歳の母親から誘惑され、欲望の赴くまま彼女と結ばれ、そしてその関係を続けていく。
しかも大都会ではない。
ほんのちょっとしたことでもすぐに噂が広まってしまうような田舎町だ。

15歳の少年は時に友人の母に拗ねてみせたり、わざと周りに気づかれそうにさせて困らせたり、それでも彼女は彼を許してしまう。
記憶はところどころが断片化されていて、はっきり思い出せない場面もある。

してはならない恋に落ちた少年時代。

その語り手は少年時代の彼ではなく、初老の男だ。

エロティックに思えるようなシーンにいやらしさがないのは初老の彼が振り返っているからかもしれない。

主人公の男は役者をなりわいとする。
役者というにはあまりに文学的な人なのだ。
こんな文学的な表現をする役者がいるだろうか

本の帯を見る限り、娘を亡くした老俳優と父親を亡くした女優の物語のように見えてしまうが、そんな話ではなかった。

現実の話は確かに進行して行くのだが、常に主人公の頭は追憶の中の彼女にある。

この本の感想は本当に表現しづらい。
これまで読んだいずれのタイプにも属さない、そんなタイプの本だった。

いにしえの光 ジョン・バンヴィル 著