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星月夜


東京湾で見つかった若い女性の死体と老人の死体、二人の身元がわれても、どこにも接点が見当たらない。

この物語には二人の誠実な老人が登場する。

一人は殺害された女性の祖父。

岩手で農業を営むこの老人は息子夫婦を失い、さらに孫娘にまで先立たれる、という降りかかる最悪の事態の中、それを黙って飲み込む。

まさに昨年の大震災後に見せた東北の人たちを想起させるような哀愁が漂う。

もう一人は遺体となった出雲の鍛冶職人の老人。

この人には凛とした強い意志を感じさせられる。

この二つの被害者がどこでどう結びつくのか、それは終盤になってようやくわかるわけだが、ここに登場する警察の捜査陣は実によく捜査をする。

無残な死を迎えるに至る、被害者たちの生の軌跡を地道な捜査で明らかにして行く。

地道な捜査だけではなく、被害者やその家族の心情を思う真摯な姿勢が描かれてもいる。

確かに推理小説かもしれないが、推理そのものよりもそれぞれの人間を描こうとしているように思える。

推理小説としてはいかがなのだろう。

貧困の中から這い出して成功を遂げた人間がまだ、若い頃ならいざ知らず、昔の愛した人への執着がどれだけあったにせよ、これだけの成功者が殺人に至ってしまうその安易さがどうにも腑に落ちないが、まぁそういう話も有りでしょう。

あまり、ミステリだの推理小説だのというふれこみを前提に読まない方がよろしかろう、と思います。

星月夜 ホシヅキヨ 伊集院静 著 文藝春秋



少女


読みだしからの入りがどうも馴染めず、何故だろうと考えることしばしば。
文庫で読んだからではないか、などと思ったりもした。
この作家の本に文庫は何故か似合わない。
単行本の方がすんなり入り込めそうな気がするのだが、この本に限っては、おそらくどちらで読んでも同じだっただろう。

二人の少女が交互に第一人称になるのだが、今どっちの独白なのか、まことにもって分かりづらい。
文庫ならではの解説氏によると、文間にある「*」の数で見わけるのだそうだ。
なるほど。
今どっちなのかはわかりづらいままなのに、冒頭の入りずらさがだんだんと薄らいでいく。

方やはわりと冷めた目で友人を見、他人を見る。
顔に表情が少なく、言葉でものごとを伝えるより文章で伝える方が得意な少女。

方やウジウジと悩み、被害妄想になりがち。
そのウジウジタイプが小学生の時には剣道で日本一になったのだという。

剣道とか武道というのはまず精神から鍛えるスポーツじゃないのか。
日本一になるほどなら、かなり強い精神力を持っているだろうに、そんなにウジウジするか?と突っ込みを入れたくなるが、それは本筋とは違うのでやめておく。

二人はそれぞれに「人が死ぬ瞬間を見てみたい」と願う。
方や学校の補修で老人ホームの手伝いに行き、そこで人の死が見られるのではないかと思い、方やは病気で入院している子供に本を読んであげるボランティアを志願し、そこで死と出会えるのではないか、と妄想する。

なんだか、とんでもない連中のとんでもない話になって行きそうな気配プンプンなのだが、案外これが、友情物語だったりする。
本人たちの妄想はさておき、以外といい話だったりもするわけで、だから読後感としてはさほど悪くはない。

この2012年の7月の前半のニュースのトップ、新聞記事のトップの半数は昨年大津で起こった中学生のイジメによる自殺の事件だ。
もちろん大雨による被害の記事や政治がらみにトップの座を明け渡すこともあるが・・・。

痛々しい事件だが、そんなに連日のようにトップを飾るニュースなのだろうか。
まぁ、これはイジメそのものよりもひたすらそれを隠そうとする学校や教育委員会の存在がニュースなのだろうな、と一応納得しておく。

あの事件などほんの氷山の一角だろう。
まだしも一昔前のタイプに似て、はた目から見て分かり易いイジメだろうに。
教師も学校も全く見て見ぬふりを通してしまっている。

今どきのイジメはおそらくだがあんなにわかりやすくはないのではないか。
ネットでの裏サイトをツールにしてのイジメ。メールでのイジメ。表面は仲の良いフリをして、見えないところで傷つけまくる、そんなイジメが大半なのではないだろうか。

そんな片鱗はこの物語の中にもいくつも書かれていたりする。

外面はいい子ぶっても心にはこんなに毒を持っていたりする.
至る所に少女たちの毒が含まれている本なので、読後感はさほど悪くないとは書いたが、どこかに棘が残っているような感触が残る。
そんな本だった。

少女 湊かなえ著 双葉文庫



ブラック・スワン降臨


2001年9月11日に起きたあの世界貿易センタービル・ツインタワーへの二機の飛行機の激突とビルの崩落。

あの映像の凄まじさは未だに記憶に新しい。
一機目の時は、何なのかがわからなかったが、二機目の激突を目の当たりにして、これは戦争が始まる。もしくはいや、もはや戦争は始まっている。と思った人は多かったのではないか。

真珠湾を咄嗟に思い浮かべた人も居るだろう。
リメンバーパールハーは戦争が終わった後もずっとアメリカの合言葉となった。
今度のはアメリカ本土だ。
しかも中心地も中心地。

他にハイジャックされた飛行機はあろうことかペンタゴンを直撃。
もはや真珠湾の比ではない。

ところが、真珠湾の時には攻める相手がはっきりしていたが、この戦争は相手が見えない。テロへの戦争。

それにしても「ブラック・スワン降臨」とは、もの凄いタイトルの本だ。

ブラック・スワン(この世に有り得ないもの)が降臨する。

この本では有り得ないはずのアメリカへの本土攻撃9.11事件と、有り得ないほどの日本の民主党政権の危うさ、この二つを書いている。

特に著者が言いたかったのは後者の方だろう。

あの温和な顔で温和な話し口調の手嶋をして、そんなタイトルをつけたくなるほどにあの民主党政権は有り得ない存在だった、ということだろう。

二つの時代を貫く一本の柱は「インテリジェンス」。
インテリジェンスといっても知性や知能のことではなく、情報。
しかも単なる情報ではなく、国家指導者の最終決断の拠り所となる選り抜かれた情報のことなのだと手嶋氏は書いている。

この本で書かれていることの大半はもう既知の事実ばかりである。
それでもその既知の事実を「インテリジェンス」という切り口から再度徹底的に掘り下げているのだ。

9.11が起こることへのアラームを鳴らす貴重なインテリジェンスがあったにも関わらず、それは取り上げられなかった。
そして、9.11後、アフガン、イラクへと突き進んで行く、ブッシュ当時大統領とその側近たちの持つインテリジェンス。

大量破壊兵器があり、生物兵器があることによる脅威がイラク戦の大義名分だったはずなのだが、サダムフセインを処刑した後もとうとう見つからなかった。
誤ったインテリジェンスにリードされてしまったから、と言えるかもしれないが、上の通り、アメリカは初の本土攻撃を受けたのだ。

これに対する報復攻撃をどこへも起こさずに収まるわけがない。
ましてやブッシュのブレーンはネオコンと呼ばれる強硬政策の人達で固められている。
アフガンとイラクへ突き進む、まずこれありきから始まっている。大量破壊兵器の有無などは最初から協調各国への口実に過ぎない。

いずれにしろ、あの事件があってから、飛行機に乗りにくくなったことは言うまでもない。
手荷物はおろかポケットの中身、時には肌につけているものまでをはずしてチェックを受けてからで無ければゲートはくぐれない。
まぁ、安全さには代えられないだろぅ、と言われればそれまでだが・・。

新幹線でテロがあったら新幹線に乗る時も同じことをするようになるのだろうか。

いずれにしろ、どんどん住みづらい世界へとなって来ているのは9.11のせいかもしれないが、その根源は何か。
ブッシュパパの時代の第一次湾岸戦争を境に、アメリカがそれまでの中東のミリタリーバランスを一手に握ってしまったことで、イスラムの原理主義者達からの共通の敵と看做されるようになったことが要素としては一番大きいのではないだろうか。

もっと遡れば当然、この問題の根っこはイスラエルとパレスチナに帰結するのだろうが・・。
それでも対アメリカのテロが本格化していくのは、第一次湾岸戦争後からだ。

この本はビン・ラディンの隠れ家を襲撃するところから始まっているが、ビン・ラディンが倒れたとて、根っこの部分はなんら変わらないのだから、飛行機の不便さどころか、いつでもテロに脅えつつ、という世界から変わることはもはやないだろう。

この本のもう一つの話題であるところの鳩山・菅の史上まれにみるひどさ加減は、もはや手嶋氏の言を借りるまでもなく、日本人なら誰しも「有り得ない」と嘆いていることだろう。

どうしようもないブラック・スワン二羽、とにかく一刻も早く消えて欲しいものだ。

ブラック・スワン降臨 手嶋龍一 著