カテゴリー: 三浦しをん



舟を編む


「のぼる」と「あがる」はどう違うのか?

「最近のガキはませてるよな」と言われれば、「おませ」と「おしゃま」の違いを調べ出す。

すべからくこんな調子では会話がほとんど成り立たない。

この本、辞書を作るという大作業を貫徹させる人たちの物語。

それにしても今さら、「男」を文章で説明するとか、方向でいうところの「右」を文章で説明するなんてこと考えたことも無かったな。

辞書を作る人というのは相当な変人で無ければ出来ない仕事のようだ。

監修の先生が言う。

「辞書は言葉の海を渡る舟だ」と。

「もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」と。

「海を渡るにふさわしい舟を編む」のだ、と。

それにしてもプロジェクトが開始して、15年。
それだけの年数を経て、ありとあらゆる言葉を用例カードに書いては載せるべき言葉をふるいにかけて行く。

まさに壮大な仕事なのだ。

入稿してもまだまだ続く。

校正刷りのやり取りは初校から最低五校までは繰り返される。

紙を選ぶにしてもなるべく軽くするためにとことん薄い紙を。
ぬくもりのある色合いを。
と開発された紙を前に「ぬめりが無い」という。

この本2012年の本屋大賞の受賞作。

そりゃ、本屋さんは喜ぶ話だろう。

今や、というよりだいぶ前から学生の必携品は電子辞書であって、ぬめりのある分厚い辞書ではないだろう。

辞書を買う人を電気屋さんから、本屋さんへ、と導くにはもって来いの本なのだが、それでも大河の流れを蟻一匹で支えるようなもので、もはや流れは変えられない。

ネット接続可の教室なら電子辞書でさえ、もはや陳腐化して用済みだろう。

だからと言って、ありとあらゆる言葉を文章にして説明する人の仕事は無くなりはしないし、本質的には同じだろう。

それでも校正に次ぐ校正だとか、言葉を足すことで1ページのバランスが悪くなることの心配や、紙の薄さやぬめりを気にする必要はない。

そんなに紙離れをしていても尚、本屋では辞書が売られ、改訂もされている。

やはり、これだけの大事業を赤字覚悟で続けてくれているのだろうか。

たまには、あの分厚い辞書を使ってみようか。

そんな気にさせてくれる本である。

 2012年 本屋大賞 第1位!! 舟を編む 三浦しをん/著



天国旅行


自殺願望、遺言、幽霊、心中、そんな死にまつわる短編が7編。

『遺言』という小編。
永年連れ添った妻への夫からの愛情を込めた手紙。
これほどまでに夫に愛される妻はなんて幸せだろう。
と余韻に浸りたいところだが何か引っかかるところがあって再読してみる。
なんて、通り一遍に読んでしまったのだろう。

夫から妻へのようで、この夫というのは女性だよね。
それを前提に読みなおすと各所、各所のほんの小さな違和感の部分が全てあぁそれでか、と解消されていく。

三浦しをんさんという作家、こういうひっかけみたいな書き物はされない人だと思っていただけに、少々意外。

『君は夜』
小さい頃から眠ると夢を見、その中では自分は江戸時代の若妻。
男女の営みも性教育の授業がはじまるよりはるか前より夢の中で体験済み。
もはや、夢の中の自分が本当の自分なのか、昼間の自分が本当の自分なのか、わからなくなってしまう。

「インスペクション」という夢を扱う映画を見たあとだけに「夢」というキーワードに飛びついたが、趣きは全く異なる。

ここでは、寝ている時に見る夢は潜在意識の表れという認識とは全く正反対だ。

『初盆の客』
これが一番が温かくていい話しだったかな。

祖母の初盆に現れた一人の青年。
祖母が祖父と知り合う前に産んだ子が居て、自分はそのさらに子供。
従って自分はあなたの従兄弟なのだ、という。

その先の話は異なるが、少々前に自分の身近な所でこれと同じ状況になったことがあるので、つい引き込まれてしまった。
ストーリーの肝心な部分はそれから先の展開のでしたね。

他に
『森の奥』
『炎』
『星くずドライブ』
『SINK』

一味違う三浦しをんさん作品集でした。

天国旅行  三浦しをん 著



木暮荘物語


小編が七編と思ったら、繋がっていた。
木暮荘というボロアパートの住人やその勤め先の人などがそれぞれ主人公となり、その脇役の人が次の小編の主人公となる。

「シンプリーヘブン」
花屋で働く女性の部屋に三年間も行方知れずだった元彼が、ごく当然の如くに上がり込んで来る。
部屋には半年前から付き合い始めた現在の彼氏が居るのだが・・・。
「別れるとは言わなかったはず」と言い張る元彼氏のあっけらかんとした雰囲気とやけに物分かりがいい現彼氏に挟まれての一つ部屋での三人暮らし。
結構居心地が良かったりして。

「心身」
木暮荘の大家さんのおじいさんの親友が亡くなりかけている。
二~三年に一度しか会わない友人だが、この世に「親友」という存在が居るとしたら、その彼一人だろう、という。

案外そんなものかもしれない。
友達と呼べる人間は結構いたとしても真の親友と呼べるのは人生の中では一人ぐらいしかいないのではないか。
というところからこの小編は始まる。
その後のこの木暮老人のちょっとした色狂いは少々微笑ましくもあり、何やら物悲しくもある。

「柱の実り」
ヤクザのお兄さん、いやオジさんの優しさが心に沁みる一編。

「黒い飲み物」
夫の浮気が元でもめるドタバタ。
「コーヒーが泥の味がする」
という表現が妙に心に残る。
この泥の味はその後の小編にも登場する。

「穴」
女子大生の部屋を覗くのが日常化した男の姿を想像するとあまりに情けないが、そこから垣間見える女性の日常の努力というものに気が付き、当初ムカつきしか憶えなかった女子大生と気持ちが一体化して行く。
それにしてもまだ女子大生という若さでそこまで念入りに化粧をするものなのか?
いずれにしてもこういう女性の日常の努力というものは女性作家で無ければなかなか書けないだろう。

「ピース」
その女子大生が主人公。
彼女はまだ親になるということがどんなことなのかもわからない中学生の頃に一生子供が産めない身体だと知らされている。
そんな彼女のところへ妊娠したことを親にも彼氏の親にも告げられなかった友人が産まれたばかりの赤ん坊を預けて行く。
名前もまだない赤ん坊に名前を付けて、だんだんとその女子大生に母性が目覚めて行くという話。

「嘘の味」
他人が作った料理を食べるとその人が嘘をついている人なのか、浮気をしているのか、がわかってしまうという特技を持ってしまったために他人の作った料理は食べない主義の女性。
そんな女性の住まいに冒頭のあっけらかん男が居候する。

そんな七編を読んであらためて、本の帯を見直してみる。
「私たち、木暮荘に住みたくなりました」
って、それはまず無いんじゃないの。

掃除機の吸い込みだけで隣室との間に穴があいてしまうってほとんどベニヤ板だろうに。震度2の地震でも崩壊してしまいそうだ。

かつて、ボロアパートを転々としたことがある。
三畳一間のボロアパートでは物を置けば寝る場所が無くなってしまうので、小さな冷蔵庫だったが、夏場は冷蔵庫に頭を突っ込んで寝てたっけ。

ある時は不動産屋が紹介した時は、今電気を止めているので、と間取りしかわからなかったが、いざ住んでみると壁一面にびっしりと黒い小さな虫がわんさかいたこともある。
不思議と三日も経てば慣れてしまうもので、そこへ泊りに来た友人も最初は気味悪がるが、すぐに慣れる、そこは四畳、六畳と二部屋もあったので、友人がそのまた友人を連れて来て、そのまた友人なのか知り合いなのか、知り合いですらないのか、ある日帰ったら、顔も見たことのない、知らない連中で一杯になっていた。
そろそろ、移り時と思っていたので、最初に来た友人にあと住みたきゃ、お前が家賃払っとけ、と言い残して自分一人でまたまた段ボール箱一つの引っ越しをした。

ワンルームでバス・トイレ付きが当たり前だと思っている連中にはボロアパートなんて実感としてわかないだろうな。

別に郷愁などはこれっぽっちもない。
あそこへもう一度住め、と言われたら「絶対に嫌だ」と言うだけの場所でしかない。
窓を開けるとそこは隣のボロアパートの便所窓だった時のあの臭さ。
夏場に窓すら開けられないあの部屋の暑さ・・などなど。
ボロアパートに関しての思い出ならことかかない。

さて、この「木暮荘物語」、三浦しをんにしては珍しくどの小編も「性」というものが前面に出ているものばかりだ。
とは言え、「性描写」があるわけではないので、そちらをご期待の向きにはむかないのだが、それでもそんな三浦しをんを読んでみたいという方にはお勧めしておこう。

木暮荘物語 三浦しをん著