カテゴリー: 辻村深月



ハケンアニメ!


アニメ業界のことがよーくわかる本。

ハケンってアニメ業界の派遣のことかと思ったら、覇権の方だったわけですね。

春夏秋冬のそれぞれの四半期の中で最も売上を上げた作品。
アニメそのものだけではなく、関連グッズ・キャラクター商品、それらのパッケージ全部含めてどれだけ売上を上げたか、一番売上をあげることを「覇権を取る」というらしい。

三篇からなる一冊。

一篇目は、一人のわがままな天才監督を守り抜く女性プロデューサーの話。

一作目があまりにヒットしてしまったがために二作目以降がなかなか出来ず、途中で投げ出してばかりいるわがままで自分勝手に見える一人の天才監督。

その一作目を見て惚れこんでしまい、彼と共に仕事が出来ることをずっと夢見ていた女性がプロデューサーの立場で彼を支える。
その監督がまたまた途中で失踪してしまう。

この監督と知ったかぶりのインタビュアーとのやり取りが、なかなか面白い。

二篇目は、その一篇目の作品と覇権を争う若手女流監督の話。
こちらのプロデューサーは、監督を守るというより、プロモートの方に力を入れるタイプ。

この監督も仕事に妥協しない人でアイドル系の声優などが泣き出してしまっても、さらに手厳しい言葉を浴びせてしまい、プロデューサーから小言を言われてしまう。

一つのアニメが出来あがるまでどれだけ多くのスタッフたちが徹夜も辞さずで取り組んでいることか。

三篇目はまさに製作の裏方屋さん。
原画を描く方の女性。

作品がヒットしても監督の名前は売れても、原画を描く人が全面に名前が出ることはないだろうが、彼女の書く原画は神原画と言われ、知る人ぞ知るという存在。

聖地巡礼というそのアニメの背景となった土地にファンが巡ってくることを利用して町おこしをしようとする町の観光化の人と原画作りの人のコンビが成し遂げたこと。

彼女が最も嫌っていた「リア充」。
リアルが充実していることをそう呼ぶのは知らないではなかったが、こんな風に使われるのは知らなかった。

しかし、どうなんだろう。

放映されているアニメも家で見ている人たちはリア充じゃない人もいるのだろうが、製作する側の人たちって監督やプロデューサーはもちろんだが、徹夜して原画を描く人たちだって、放映された瞬間をビールで祝い合ったり、かなりリアルに充実しているんじゃないのだろうか。

ハケンアニメ! 辻村 深月著



島はぼくらと


なんて読後感のいい本なんだろう。

瀬戸内海にある冴島という架空の話が舞台。

島にある学校は、小学校と中学校まで。
高校に進学するには本土へ渡らなければならない。
それでもまだ高校なら本土で一番近い学校ならフェリーでの通学も可能だが、それでもフェリーは決まった時間での往復しかしておらず、島へ渡る便は夕方の早い時間が最終。
やりたいクラブ活動があってもほんの出だしだけしか参加できない。

高校後の進路、進学するにしても就職するにしても、島には産業と言える産業がないので、自然と島を出ざるを得なくなる。

島では母親は15歳になれば離れ離れになることを覚悟の上で子育てをする。

主人公は島から本土へフェリーで通う朱里、衣花、新、源樹という女子二人、男子二人の高校生4人組。

彼らの友情もさることながら、島のおばさん達やおじいさん、おばあさんたちの絆も半端じゃない。

島では男は同じ島の住人の誰かと兄弟の契りを結ぶ。
その契りを結んだ相手がだれかと兄弟の契りを結べば、その人も兄弟になる。
一旦、兄弟の契りを結べば、もう親戚同様。冠婚葬祭のみならず普段から助け合う。

そんな兄弟の風習が描かれているが、兄弟の契りなどなくても皆助け合っていそうなのだ。
子供は皆で育てるもの。
都会どころか地方都市にすらなくなってしまった昔の村社会の良さがそのまま残っている。

もちろん、そんなにいい話ばかりじゃない。村には病院が無い。
急病になった時に霧でも発生してしまえば、本土へ行くフェリーさえ動かない。
本来なら助かる命も助からない。

この物語、そういう島での生活や高校生たちの友情を描くだけでも充分に読みごたえがあるのに、かなり盛りだくさんにいろんな話を詰め込んでいる。

島へのIターン者の女性の中の一人に元オリンピックの銀メダリストが登場する。

彼女はメダルを取った途端に変わってしまう周囲についていけなくなったのだ。

そんな彼女をこの冴島は温かく包み込んでしまう。

その元メダリストの話だけでも一冊の小説が書けてしまいそうな話が織り込まれているかと思えば、Iターン者の積極的な受け入れに関する前向きな取り組みと揉め事、地方活性のコミニティデザイナーとして島にやって来て、1年中島の誰かの家に泊まり込み、なんでそこまで出来るの、と皆に思われ、島の誰からも愛される女性の話。

話題もテーマも盛りだくさんなのだが、一つにだけ絞るならば、月並みなようだが「友情」じゃないだろうか。
祖母の世代の友、母の世代の友情、元メダリストとコミニティデザイナーの友情。
買いかけていたパンを子供連れが買ってしまうのだが、その時に朱里は言う。
「あー良かった。パン買わないで」
「だってあんなに喜んで買って行ったんだもん」

それを聞いた衣花がつぶやく。

「この子が親友で本当に良かった」と。

この一言に集約されている。

島はぼくらと 辻村 深月 著



ツナグ


死んでしまった人と会える。

但し、一生に会えるのは一度だけ。

死者の方から誰に会いたいというリクエストは出来ない。
死者は受け身で待つばかり。

生者からのリクエストを断ってもいいし、会ってもいいが、こちらもチャンスは一度っきり。一度会ってしまうと二度と生者とは会えない。

その仲だちをするのが「ツナグ」という人の役割り。

同じ設定でいくつかの短編が載せられている。

第一話は突然死した元アイドルのタレントとの出会いを望む女性が主人公。
バラエティ専門の元アイドルだからバラドルとでもいうのだろうか。元アイドルといいながらもバラエティでは超売れっ子のその人に会いたいと仲介を頼む女性。

同期の女子社員から残業を押し付けられ、真っ暗でたった一人のオフィスで自分の上の蛍光灯だけが灯っているようなところでもくもくと単調な仕事を続けるような人。

楽しみなど何もないような人なのだが、唯一の楽しみがその元アイドルが出ているテレビを観ること。

有名人だけに何人もの人がリクエストするんだろう、と気を揉むが、あんに反して彼女は会ってくれるという。

たった一回こっきりの生者に会えるチャンスを自分のためになど使ってもいいのだろうか、と今度は心配するが、あにはからんや、お別れの会で「もう一度会いたい!」と泣いていた人達など絶対に来ないのだ、と彼女は断言する。

不幸のかたまりのような女性と会ってこの元アイドルがどんな言葉を投げかけるのか。
浅田次郎氏などが好きそうな設定だ。

浅田氏が同じ設定で書いたなら、それこそ読者を涙でぐちゃぐちゃにしたことだろう。
そういう意味では辻村さんの作品はちょっと淡泊なのかもしれない。

同じ設定で、癌で亡くなった母に会いに来る壮年の態度のでかい男性の話。

婚約指輪を渡した途端、行方不明になった女性と会いに来る男性の話。

自分のせいで死んでしまったのかもしれない同級生に会いに来る女子高生の話。これなどは女性作家ならでは、だろうか。

その「ツナグ」の役割りを担うのは、この世の人以外のものだろうと思いきや、生身の人間だった。しかもまだ高校生。

さて、たった一人だけ亡くなった人ともう一度会えるなら、果たして誰を選ぶんだろう。

ツナグ 辻村深月 著