カテゴリー: 有川浩



県庁おもてなし課


かつて高知県にパンダを誘致しようと提案した県庁職員が居た。
まだ上野動物園にしか日本にパンダが居なかった頃の話。
西日本の動物園客を全部高知県へ引っ張って来ようじゃないか。
高知市も高知県も動物園をという時期に二つを一緒にしてしまえばいい、という県庁のお役人さんにしてはかなり自由度の高い提案をぶちかますが、あえなく撃沈。
そういう過去の逸話が冒頭にあってから始まるのが、この「県庁おもてなし課」。

高知県庁におもてなし課が発足し、高知県出身の有名人に観光特使となってもらって、高知県をPRしてしてもらおうという試みがスタートする。
観光特使となってもらった著名な若手作家先生からの「一ヶ月たっても何の音沙汰も無い。あの話は流れたのか?」との問合せから始まって、その作家から何度も何度もダメだしを喰らう主人公の県庁職員。
作家先生はダメだしを出しているようで、次から次へとその職員へアイデアを提供してくれていた。
それをアドバイスだと取るかクレームだと取るかは受け手の問題。
この職員さんの素直でいいところはそれをアドバイスだと受け取ったところ。
それを実現して行こうとするが、常にぶち当たるのが、お役所という組織の壁。
何をしても空回りの中、主人公氏は作家先生へ助言を求める。
そして助言してもらったのが、外部スタッフの受け入れ。若い女性でフットワークが良い民間の人であること。そしてどんな意見であってもその人の言葉を第一命題として受け入れること。
そしてもう一つが、かつて県庁内にあった「パンダ誘致」の提案を調べてみること。

パンダ誘致論を唱えた人は、強烈な人だった。
おもてなし課へ来るなりぶち上げたのが、「高知県まるごとレジャーランド化計画」。
高知ほど自然の恵みを豊かに受けている都道府県が他にあるか?
東西に長い海岸、四万十川をはじめとする一級河川。川に関しては絶対に日本一。そして手ごろな高さの山。
これをフル活用しようというもの。予算は軽く見ても20億。

パンダ誘致論者の元職員が去った後、交通手段では不便極まりない馬路村という過疎の集落を訪れた主人公氏、そこで体験したことで目が覚める。

都会から来る人は便利さを求めて来るわけじゃない。不便さを楽しみに来ている。
新幹線もない。デズニーランドもUSJもない。金も無い。ないないづくしの高知に必要なのは交通インフラなどではない。

新たな予算で取り組んだのがトイレの充実、交通標識の整備、そして情報発信。
そして何より金のかからないのが県民一人一人のおもてなしマインド。
高知名物と言えば桂浜の坂本龍馬像だけじゃない。料理といえば皿鉢料理だけじゃない。
地元の人が当たり前に思って気付かないだけで、長い海岸線へ行けば、ホエールウォッチングも出来れば海亀の産卵も見られる。
山側にはパラグライダーの名所がある。
それに、どこへ行っても地元地元の食材を使ったうまい料理が山ほどある。
これを知らせる努力をして来たのか、と。

日本の「お・も・て・な・し」は五輪誘致に当たっての国としての公約のようなもの。
はたまた、今や地方再生は国の重要政策。
地方再生と言えば箱物へと走ってしまっているのが過去の行政だ。
この本にある話は高知に特化した話じゃない。
あらためて今だからこそこの本を手にとってみれば、何かのヒントにはなるのではないだろうか。

ちなみにパンダ誘致論者はフィクション。もちろんこの本そのものがフィクションではあるが、高知県庁におもてなし課は存在し、冒頭の観光特使となってからのぐだぐだのやり取りは作者の有川氏の実体験を元に書かれているのだという。

県庁おもてなし課 有川浩著



ヒア・カムズ・ザ・サン


同じような設定で登場人物が若干変わり、同じ登場人物も少しキャラクターが変わっていたりする。

一作目では、編集者に勤める主人公は、幼い頃より感が強く、触れた物からその持ち主の思いが伝わったりでする。
編集者という立場で小説家と向き合うにはかなり有用な能力だろう。

同期入社のカオルの父親が20年ぶりにアメリカから帰国する。
ハリウッド映画の脚本を手掛けた人なのだという。

その人の手紙の書いた手紙に触れた瞬間、主人公氏は衝撃を受ける。

もう一作が、ヒア・カムズ・ザ・サン Parallel。
パラレルワールドというわけではない。
設定そのものが異なる。

こちらの主人公も同じ名前の人物で同じ様に編集者。
こちらの主人公は、どうやら能動的にみようとしてはじめて触れたものからその物の過去の風景そのものを見ることが出来てしまう。
こちらもカオルという女性が登場するが、こちらは主人公氏の婚約者として登場。

同じようにカオルという女性の父親が同じく20年ぶりにアメリカから帰国するのだが、こちらの父親は一作目の父親と違って、大法螺吹きの男。

・主人公は30歳。編集者。
・物を触るとそれに残された人間の記憶が見える。
・同僚のカオルと共に成田空港へ行く。
・カオルの父が20年ぶりに帰国する。
・父はハリウッド映画の仕事をしている。

そんな設定(具材)を与えたなかで、作家が料理をするという趣向らしいのだが、無理に設定を与えるということは作家の自由な発想転換の機会を逸してしまい。
そんなものの書か方というのはいかがなものなのだろう。

無理やりストーリーをはめて行く中でどうしても無理が出て来てしまう。

一作目にしたって、無茶苦茶優秀、芸術的なほど激烈で・・とはいえ、脚本家という仕事だ。
脚本を書く人間が20年放ったらかしの娘の気持ちを読めないような有り様で優秀な脚本など書けるのか、などと思ってしまう。

寧ろ音楽家だったり、画家だったりという本来の芸術家の方が激烈な個性に当てはまるのではないか。

もう一つは語学の壁。
役者なら、まだ語学の指導も付けられるだろうが、脚本家に語学の指導など有り得ないだろう。
成長期をとうに過ぎて、結婚して、子供までいる年齢になってから、身につけた語学で脚本などという肝が書けるだろうか。
大人になってからのビジネス英語ならなんとかなっても、言葉のやり取りの機微など表現し切れるのだろうか。

この二つの話、文芸雑誌かの一章として書かれているのを、たまたま見つけたとしたら、あぁ、いい話を読ませてもらった、とすごく得した気分になるのだろう。

ところが、「有川浩の単行本」として読むと、もっともっと期待していたのに・・という感はが残ってしまう。
まぁ、いい話ではあるのだが・・・。


ヒア・カムズ・ザ・サン 有川 浩 著 (新潮社)



阪急電車


なんとも身近な阪急電車をタイトルに冠していながら、本に登場するのは阪急電車の沿線のなかでも最も馴染みの無い今津線。
そりゃまぁ、厄神さんへ行く時以外にもたまには乗るけどね。

この物語、今津線の宝塚から宝塚南口、逆瀬川、小林、仁川、甲東園、門戸厄神、西宮北口までの7区間、8駅を南へそして北へと往復する。

宝塚駅から宝塚南口駅の間の川って武庫川だったのか。
全然気にしたことが無かったから知らなかった。

阪急沿線をご存じない方にはなんのこっちゃだろうけど、阪急神戸線が武庫川を渡るんですよ。
阪急乗車人口の9割方、阪急沿線で武庫川の近くの駅と聞けば阪急武庫之荘駅と思うだろうな。

宝塚の図書館で見かける自分のタイプの女性がたまたま同じ車両のしかも隣に乗り合わせ、宝塚駅を出てすぐにあるその武庫川の中州に「生」という大きないたずら書きに見える字を彼女が見て、「ナマ」だという。
「生ビール」を即座に連想したのだという。

タイプの女性だけに無視などは当然せずに「生きる」「生」を連想したことを男は告げる。

震災後の今なら誰しも「生きる」「生」の方を連想するだろうが、個人的には「生ビール」を連想する彼女は素敵だと思う。

そんなこんなでこれまで見かけただけの男女が車内で気軽に話す仲になって行く。

その様子を見ていたのが、婚約者を寝取られてその意趣返しとばかりに花嫁よりもはるかに華麗な白いドレスで披露宴に出席した女性。

また、それを見ていたのが・・・と一話一話が途切れずに次へ次へと登場人物を変えてリレーされる。

そのリレーが南から北への復路では同じ登場人物のその後にバトンタッチされて行く。

東京の電車で乗り合わせた人同志が会話するなんてことはそうそうないし、大阪でも地下鉄御堂筋線など乗っていて、そんな場面にはなかなか遭遇しない。

もちろん阪急電車だってそうそう知らぬ者同士が会話を始めたりなどということは起こらない。

それでも、稀にあったりする。

大阪の環状線やら阪和線やら南海電車なんかでは喧嘩沙汰でのやり取りが多かったりするのが阪急電車の場合はちょっと違うような気がするのは自分がその沿線に住んでいるからという思い入れだろうか。

社会の窓が開いたままなことに気がつかなかったサラリーマンに目線だけで 「ほれ、そこそこ」 と教えてあげるおじさん。
座った座席の隣にとんでもない酔っ払いが座ってからんで来たりした時、そちらへ向き直ろうとした矢先、膝をコンコンっと反対側から叩く人が居るのでそちらを向き直ると、首を横に振って、「やめときなよ」と声にも出さずに制止してくれるおじさん。

もちろん、会話などでもなんでもないのだが、何か優しい声を聞かせてくれた気がしたりする。
これが阪和線とか環状線、近鉄、南海だと、喧嘩なら見物してやるぞ、大いにやれやれ!と囃したてるわけでもないが、それに近い雰囲気を感じたりするのはその電鉄の愛好客が読まれたらさぞご立腹かもしれませんが、案外本音だったりしません?

さてこの「阪急電車」の登場人物の中でも最も光っているのが、孫を連れた時江という女性。
孫に甘い顔をするどころか、結構手厳しかったりする。
有川浩の作品なので愛情満点なのは言うまでもないが・・。

婚約者を寝取られた意趣返し女性をみて一目で「ワケ有り」とわかったのだろう。
「討ち入りは成功したの?」と声をかける。

初対面でしかも車内でそんな言葉をかけることなどまず無いだろうが、彼女には孫を巻き込まないで大人の会話に持ちこんでしまえ、という思いがある。
「気が済んだところで会社を辞めなさい」
ここまで踏み込める人も踏み込まれる人もそうそういない。

そうかと思えば、結婚式の招待客が白はおかしいと彼女に言われても意味のわからない彼氏は常識を彼女に説かれるに連れ、怒りが爆発し、電車の扉を蹴り初めて、最後は目的地前で彼女を放って下車して行く。

あまりの傍若無人な態度を見た時江女史は、 「下らない男ね」 「やめておけば。苦労するわよ」 とばっさり。

そう、この老婦人は人の人生まで車内の一言で変えてしまうほどの雰囲気を持ち備えている。

車内で香水プンプン。大きな声で騒ぐ高級オバタリアン軍団にも一喝を入れてしまう。

そう。マナーが悪いのは決して若者の代名詞などでは無い。

キャーキャー騒いでいて車内マナーも守らんと、と大人から白い目で見られているような女子高生達が案外、転んだ人がいれば、「大丈夫?」と声をかけていたりする。
マナーを守っているはずの常識人っぽい大人達ではなく。

この本で阪急電車は「カブ」を上げただろう。 売買する株式の株ではなく。

阪急今津線に毎日乗っている人にはたまらない一冊だっただろうな。
その中でも阪急沿線に住む者でも滅多に思い出せないようなマイナーな駅の 「小林駅」が最もカブ を上げている。
この本を読んだ人なら、小林駅で一度は降りてみたいと思うのではないだろうか。

ちなみに「小林」と書いて「オバヤシ」と読むのですよ。
訪れる際には頭に入れておいた方がいいでしょう。

下手したら乗り過ごしてしまいます。

阪急電車  有川 浩 著  幻冬舎