盤上のアルファ
冒頭で登場するのは兵庫県の地方新聞の社会部の事件記者で、上からも下からも嫌われている、という理由で文化部へ左遷される男。
新聞記者氏は文化部で新聞社が主催する将棋や囲碁のタイトル戦のお膳立てやら、観戦記を書かねばならないが、彼は将棋も囲碁も全くのシロウト。
もう一人の登場人物はこの新聞記者氏と同年代の男で万年タンクトップ一枚の坊主頭、到底格好良いとは言えないおじさんなのだが、こと将棋に関してはアマ王者になるほどの実力の持ち主。
おじさんと言ってもまだ33歳なのだが、一般の若者たちとあい入れる要素はかけらもない。
この人の生い立ちたるや悲惨で、小学生の頃に母親は男を作って家を飛び出し、父親はバクチ好き、酒好きで、借金まみれの毎日。
借金取りから逃げ回っていたもののある日掴まり、それ以来帰って来ない。
一人ぼっちの家に別の借金取りが上がんだはいいが、金めのものなど一切無い。
フライパンならあるけど・・みたいな。
その借金取りのオジサンが将棋を一曲やろうと言う。
賭け将棋だ。
負けても払うものなど一切持たない彼は「命を掛ける」と言ってしまう。
それ以来、毎日借金取りのオジサンは弁当を持って来ては将棋を教えてくれる。
その後も伯父一家に引き取られたはいいが、捨て猫以下と言ってもいいほどの扱いを受けるという過酷な少年時代を送って来た。
そんな生い立ちの男なのである。
冒頭の新聞記者氏とこの丸坊主男が出会い、なんと同居する・・・という話の運びなのだが、そのあたりを読んでいる雰囲気では、ボケとツッコミのやり取りみたいな軽いタッチの読み物だとばかり思っていたが、そうでは無かった。
この丸坊主氏を巡っての感動の物語が繰り広げれられる。
丸坊主氏はなんとプロ棋士を目指すのだ。
プロ棋士になるには年齢制限があるらしいのだが、年齢制限を超えた人にもほんの針の穴を通すような狭い門だが、プロになる方法があるのだという。
かなり高いハードルなどという言葉では足らないだろう。
未だ一人もそのハードルを越えていないというのだから。
それにしても将棋の世界、いや将棋だけではないのかもしれない。
プロ野球にしたってサッカーにしたって、相撲にしたって似たようなものかもしれない。
一旦勝負師の世界を目指した者は、その勝負師の世界で勝ち残れなかった時、大半が勝ち残れないのだろうが、それがそこそこ年を取ってしまってからでは、他の職業に簡単につけるものではないだろう。
野球やサッカーにはまだ、少年向けのチームのコーチみたいな道がもしかしたらあるかもしれない。
将棋や囲碁ならどうなんだろう。
将棋クラブで雇ってくれたりするものだろうか。
囲碁なら碁会所で先生なりの職業があるのだろうか。
いずれにしても中卒33歳の彼にはプロを目指す道は、後の無い厳しい道なのだ。
それと同時に彼の対戦相手になる若手にしたって、年齢制限の26歳までに三段リーグへ登らなければ、プロへの道は断たれる。
彼も必死なら相手相手も必死なのだ。
この本、神戸から大阪までの阪神沿線の良く知っている地名が多々出て来て親しみが湧いてしまったというのも気に入った点ではあるが、それより何より、序盤の出だしはかなり軽い読み物を思わせるながらも、最終的には勝負に生きる男の生き様を存分に楽しませてくれる一冊である。