カテゴリー: 百田 尚樹



フォルトゥナの瞳


死の迫った人の身体が透明になって見えてしまう。
そんな能力が突如身についてしまった青年の話。

だんだんと見慣れて行くと、その透明度に応じておおよその死期までわかるようになる。元気そのものの若者で全く透明状態なら病死ではなく事故死だろう、とかおおよその想像がつく様になって来る。

もっとも、全く透明なら顔面が青白くて今にも死にそうな顔をしててもわからないんじゃない?などと瞬間思ってしまうが、やぼな突っ込みというものだろう。
運命は変えられないか?と青年は自問しながらも直後に事故死をするなら、話しかけたりすることで、一瞬、次の行動を遅らせたりすることで事故を免れるんじゃないか、とチャレンジしたりする。

ある時、そんな能力を持った人間が自分だけで無い事がある時、判明する。
その能力をもう何十年も持ったまま、何も行動をせずに知らん顔を決め込むのだという。
なんでも、その能力を使って人の運命を変え、本来なら死んでいるはずの人を救ってしまうと、その分自分の寿命が短くなってしまうのだという。

ならば、こんな能力など無ければ良かったのに・・・と自問する青年。

この物語の青年はどこかしら「永遠の0」の宮部少尉に通じるものがある。
未来のある幼い子供達が死んでいく、それがわかっていながら何もせずにいられるのか・・・。

百田さんはストーリーテラーとして、素晴らしい才能を持っておられる方。

「殉愛」をめぐってのトラブルがまだ続いているのだろうか。

一時は良くメディアにも登場されたのが、このところパッタリと登場されなくなってしまった。
メディアへの登場はどうでもいいのだが、せっかくの才能。
このまま埋もれさせていいわけがない。

もっともっと百田ワールドを見せて欲しいと願うばかりだ。

フォルトゥナの瞳 百田尚樹 著



殉愛


かれこれ10年間、この読み物あれこれを続けているが、1ヶ月丸ごと穴をあけてしまったのは2015年1月が初めてかもしれない。
別に天変地異が起こったわけでもないのに。

さて、良くも悪くもあちらこちらで取り上げられているこの本を読んでみた。

この本へのバッシングがものすごい。

バッシングの矛先は作者の百田尚樹氏へはもちろん、主役のさくら女史、そればかりか出版社へも。

どうなんだろ。そこまでボロクソに叩かれなきゃならないほどのものだろうか。

なるほど、確かにアルファベットで登場するK氏やU氏という特定の人物への見方がかなり一方的だな、という感じはした。
また、新たに来た奥さんになる前の彼女に対する態度なら、そんなものだろうな、という感じもした。
いずれにしろK氏やU氏への裏付け取材は行っていないだろう。
では裏付けがないからノンフィクションではないのか?
ジャーナリズムが裏付け取材無しに記事を書く事は致命的だろうが、この本は報道では無い。
さくらという女性に徹底的にヒアリングし、彼女の立場から彼女の視点からのみの取材に基づいたノンフィクションと言えば、ノンフィクションだろう。

たかじんそのものがさくら女史と出会って幸せだったかどうかは巻頭にある二人で一緒の時のたかじんの安心しきった様な笑顔を見れば、一目瞭然だろう。

ただ本人としては最後まで新地でワインを飲み続け、タバコも吸い続け、仕事も続け、ある日突然ばったり、という生き方、死に方を望んでいたかもしれない。
だが、そうなっていれば、「やしきたかじん」の名を冠しての番組は追悼番組と共に消え去っていたのではあるまいか。

病に倒れたが「必ず復帰をお待ちしてます」との意をこめて関西の「たかじん」の冠3番組は本人不在の1年を乗り切った。
1年後に復活を遂げるが、1ヶ月もたたずに再入院。
それでも「みんな待っていますよ」と冠をつけた番組は本人不在のまま続行されて来た。
本人不在でも続けられる冠番組として定着してしまった。ご本人ご逝去の後も3番組共、まだ「たかじんの○○○○」と冠を付けたまま、はや1年が過ぎた。
もうずっとそのまま続き続けるだろう。

それにしても、病が発覚してからの2年間というもの、一人の家鋪隆仁という素の人間に戻ったなら最愛の人と過ごした幸せな期間と言えば幸せだったろうが、もう一方の「やしきたかじん」という立場に立った時はつらいつらい2年間だっただろう、とつくづく思う。
待ってもらっているスタッフ、番組、視聴者、彼らを裏切るわけにはいかない、という強い思い。
自ら、「三宅先生が亡くなったらこの番組はその時を持ってやめる」と言い切っていたものが、三宅先生には先立たれ、且つ「続けなさい」という遺言まで渡され、自分の意識さえ混濁する中、転院に継ぐ転院。

それにしてもバッシングの嵐はどこまでが捏造だと言っているのだろう。

さくら女史の過去がどうであれ、この2年間の彼女の懸命な看護も介護も全て捏造なのだろうか。
その症状から病を調べ、担当の先生に治療法を相談しに行き、そこが無理ならもっと専門の医師のいる病院へ転院し・・・。
たかじんなら、その先生への義理からおそらくやらないだろうことをやってのける。

各病院の先生方、看護師の方々は皆、実名で書かれている。
それらの方々をして「あんな看護を見た事が無い」と驚嘆せしめている、懸命な看護も皆百田氏の捏造だとでも?
ならば、実名で書かれた方々が真っ先にクレームをつけるなりでそれこそもっと大騒動だろう。

やっぱり、お金の問題で揉めている最中の事柄を話題にし、且つ片方にだけ肩入れしたりすると、某かのバッシングは覚悟せねばならない、ということなのだろう。

殉愛 百田尚樹 著



風の中のマリア


オオススメバチのワーカーは幼虫からさなぎになり、さなぎから成虫になって飛びまわる様になって約30日で寿命を迎える。

彼らは昆虫の世界では最強の兵士で、イナゴを丸め肉団子にし、アシナガバチを肉団子にし、コガネムシを肉団子にする。
まさに狩りを行うのだ。

帝国の繁栄のために戦う戦士達。

その帝国も帝国の女王の引退、次世代の女王たちの誕生を迎えるとその繁栄を終焉させ、新たな女王たちがまた新天地で帝国を築く。

壮大な物語のようで、実はSF的なフィクションではない。

描かれるのはオオススメバチの生き様そのままなのだ。

西洋ミツバチはオオススメバチの餌食となるが、日本に昔から住んでいた日本ミツバチはオオススメバチの撃退法を知っていたりする。
逆に日本ミツバチは西洋ミツバチに襲撃されると全く成すすべもなく無抵抗のまま死に絶えてしまう。
いにしえの時代からの遺伝情報に西洋ミツバチなどは存在しないからなのだろうが、全くもって摩訶不思議。

彼らがゲノムがどうの、と話しだすあたりはかなり面食らうが、彼らが会話したり、思考したりするところ、そういうところ以外の虫達の生態についてはほとんどノンフィクションと言っても過言ではないのだろう。

作者はオオススメバチをはじめとする昆虫の生態をかなり詳細に調べ込んでいる。

なんとも不思議で斬新な作品なのだ。

風の中のマリア 百田尚樹 著