カテゴリー: サ行



絶対服従者(ワーカー)


なんともおもしろい着想をする人がいるもんだ。

ただでさえ、身体能力的にはヒトより優秀である蟲(ムシ)達が進化したらどうなるか。蟻などは自分の身体の何倍もの大きさのものを平気で運ぶ。
ハエにしても蜂にしても動体視力がヒトの比ではない。
危機回避能力がずば抜けている。

そんな蟲達がヒトの言葉を理解するどころか、話すのだ。

企業が安い人件費の労働力を求めて中国ほか世界へ出て行き、国内の雇用が減ったのと同じことがまた、ここでも起きる。

企業はこぞって蟲達を戦力として採用し、人の雇用は減るばかり。

主人公氏も仕事から一度はあぶれた身。
就職活動を離脱してフリーターや派遣社員としての生活の後、正社員の口を探すがどこも無理。
蟻を絶賛する文章を書いて、人間社会での反響はなかったものの、一人の出版社社長の目にとまり、以来、そこの社員として蟲の女王一族の歴史を記録する、という仕事にありついた人。

一匹のアリに連れて行かれて見たのが、アリ工場。
まさにアリを生産している。
女王アリが何匹も無理矢理に卵を産まされ、産まされた卵は即座に働きアリ達によって工場内のラインのように流れて行き、そこで孵化し育ったはたらきアリ達は安い労働力として企業に派遣に出される。

そこでの非人道的なやり様の一部始終を録画した主人公氏。
この本読んでいると、ヒトよりも蟲の方が上のような気になって来るので、この「非人道的」と言う言葉でさえ誉め言葉に聞こえてしまうかもしれない。

主人公氏と社長氏。さっさとYouTubeへUPするなり、WEB上のどこかへ保存すればいいものを・・・。
録画ビデオを奪取しようとしてくるグループに散々追い回される。

本の終盤で人が絶対服従者となって、たった一人で、しかも素手で自分が通れるほどの大きさの横穴、縦穴とまさにアリの巣を作らさせられ、そしてとうとう完成させてしまうシーンがあるのだが、作者としてはどのくらいの期間のつもりで書いたのだろう。

生還した後のやり取りを読む限り、せいぜい数週間程度のつもりで書いたのでは無かろうか。

ノミと金槌を持って掘ったにしろ、何十年がかりの仕事だろう。
ましてや素手。

まぁ、アリがバーのママをして、ハエがトラックの運転手をする世界だ。
そんな細かいことを言ってもはじまるまい。

我々人間は虫などいつも簡単に踏みつぶしているし、ニワトリなどはブライラー工場という、まさにもはや生き物というよりも工業生産品のごとくに扱っているにも関わらず、この本の中の蟲たちに共感してしまうのは、彼らがヒトの言葉を話すからだろうか。

彼らの生き方に何やら矜持を感じるからなのかもしれない。

第24回(2012年)日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。

絶対服従者 関俊介 著



戦場の掟 (BIG BOY RULES)


すごいものを読んでしまった、という実感。
逆に言えばこんな世界があるなんてこの本を読むまで一切知らなかった。

傭兵という存在はあるのは聞いたことがあったが、傭兵の実態などというのは映画や小説の中でしか知らないものだった。

傭兵を雇っているのは、警備会社という名目の軍事会社。

彼らの存在、人員は公には世間しない。
米軍兵士の死者数は公にされても傭兵の死者数はどこにも出ないし、誰も知らない。

軍事ももはやアウトソーシングする時代に入っていたのだ。
そんなことは露ほども知らなかった。
警察や軍を民間に委ねた社会がその民間会社の独裁状態になっていたりする近未来映画などがよくあるが、もうそれに近い状態が起こりつつあるのだ。

彼らには国際法も無ければ、イラクの国内法も無い。
反対通行の道を平気で全速でぶっ飛ばし、障害物は片っ端から撃ちまくったところで誰からも裁かれない。

今日は誰かを殺したい、そんな動機だけでイラク人が殺されていく。

イラク戦争後のイラクと言えば、シーア派やらスンニ派やらのイラク人によるテロばかりが取り上げられてきたが、そんなイラク人よりはるかにひどいテロ行為をこの軍事会社の連中は起こしていた。

彼らは軍隊を警護するのだ。
要人警護も行う。
アメリカはもとより、イタリア軍も日本の自衛隊の名前も出ていた。
警備会社に警護される軍隊・・・。

イラク戦争は、ある人々にとってはとんでもないビジネスチャンスなのだった。
当初は輸送を行うビジネスを始めるつもりが、輸送には武装が必要となりやがてそちらの武装し、軍事を行う方が専門になって行く。

そんな軍事会社の傭兵の数は多国籍軍の兵の10倍はいるだろう、と言われる。
傭兵には各国の人間が集まる。
イラク人も雇われる。

そんな軍事会社もやり過ぎれば歯止めがかかる。

唯一歯止め無しの会社がブラックウォーター社という巨大企業。
アメリカ国務省の後ろ盾があり、もうやりたい放題。
何をしてもお咎めなしだ。

15分間で17名を撃ち殺すなんて、もうがむしゃらに撃ちまくらなければ出来ない所業だと、軍のプロをして言わしめる。

アメリカはこのイラク戦争で何を得たかったのだろうか。
フセインの独裁による犠牲者がいたとしても、戦後のこの無政府に近い状態よりははるかに治安は良かっただろうに。
おそらく戦後の日本のようなアメリカ主導による安定平和統治を目指したのだろうが、このブラックウォーターという会社もアメリカの会社だ。
米軍はやっていない、はイラク人には通用しない。
この会社の人道無比な虐殺行為の為にアメリカ人憎しは深まる一方。
結果、治安はますます悪くなり、米兵の死者も増えれば、イラク人の死者も増える一方。
そこに得た物はあったのだろうか。

このスティーヴ・ファイナルという人はワシントンポストの記者。
同じアメリカ人でアメリカ人憎しのイラクの中でよくこれだけイラクの人にも取材が出来たものだ。
イラクの民間人はもとより、傭兵の人、民間警備会社(軍事会社)の経営者、イラク政府高官、アメリカ政府の高官、まんべんなく取材をして書かれたこの本、原著「BIG BOY RULES」はピューリッツァー賞を受賞している。

民間警備会社の傭兵5名がイラクで拉致される事件が起きる。
米軍兵士が拉致されたとなると何千人規模の捜索隊が編成されるのに、彼らが傭兵だったがために誰も助け出そうとしない。

まだ、生きていることを証明するビデオテープが交渉用にアメリカ寄りのイラク高官の手に渡されるが、彼は知らぬ存ぜぬで関わらないのが一番とばかりにそれを公表しない。

本の中でかなりのページが割かれているのは、その傭兵達のアメリカに残された家族達の姿。
最終的に動かない政府のためか、彼らは死体で発見され、そのむごたらしさに家族達は憤る姿が描かれるが、そのあたりはウエイトとしてどうなのだろう。

傭兵達に何の落ち度も無い、普通に暮らしているはずの民間人が何人も何人も殺されて行く中、自らの意思を持ってその傭兵になりに行った5人の死はイラクの人々の命より重かったのだろうか。

同胞ならでは、なのだろうか。
ならば、やはりイラクの人にとってはこのピューリッツァー賞も憎いかもしれない。

戦場の掟 スティーヴ・ファイナル 著  伏見威蕃(翻訳) (BIG BOY RULES)



ルポ資源大陸アフリカ


アパルトヘイトに関しては小学生時代に徹底的に学んだ覚えがある。日教組の先生方が教材に使いたかったからだろうか。
表現に語弊があるかもしれないが、あまりに見事な白人と黒人の区別化。隔離化。
子供が通う学校は別々。
乗り合いバスも別々。
住む場所も座る場所も遊ぶ場所も学ぶ場所も鑑賞する場も全部別々。
海岸(ビーチ)に至っても別々なのだ。
あそこまで徹底すれば、それはそれで一つの秩序というものが生まれるだろう。
アパルトヘイトの制度さえ、無くなれば南アには明るい未来が、と若き日の筆者は本当に考えたのだろうか。

あの制度はいずれ、無くなるだろうとは思ったが、これだけの差別を超越した完璧な分別という秩序は、よほど緩やかな是正でない限り、急な制度廃止は無秩序を生みだすのではないか、という懸念は、誰しもが思い馳せたのではないだろうか。

それにしてもこの筆者は偉いなぁ。

何故?をとことん取材という形で解き明かそうとして行く。

辿りついた結論は、皆が皆、貧乏なら犯罪はおきない、というもの。
方や南アの高度成長の波に乗れた若い世代。
方やアパルトヘイト時代の教育の無い世代は新しい南アの中にあって高度成長の波に乗るどころか、取り残されてしまっている。
このロスト世代の人達による犯罪。
また南アの急成長に取り残されたのはロスト世代ばかりではない。
モザンビーク、スワジランド、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエといった周辺国から流入する労働者達。
国境は賄賂さえ払えば無いも同然。
不法入国などは当たり前。
まともに労働しても大した賃金にならないから手っ取り早く儲けようと、強盗になって行く人が後を絶たない。
また、周辺国の田舎町で美少女コンテストを開き、優秀者は南アでスターに、の言葉に乗せられて集まった少女を軒並み南アへ連れて来て売春宿へ売る男達。

ありとあらゆる犯罪の巣窟を丁寧に犯罪者にまでアポを取って取材する筆者。

中でも一番の悪はナイジェリア人だと聞いてナイジェリアへ足を運ぶ。
そこで見たものは、資源国ならではの悲哀だ。
ナイジェリアは屈指の石油産出国だ。
ならば、国民は働かずとも豊かなのか、というとこれが真逆なのだ。
あろうことか、石油を採掘しているその近隣の村には電気が無い。
漏れる重油によって、川も畑も汚れ、農業も営めない。

そうやって筆者は南アを拠点にモザンビーク、ナイジェリア、そして内戦中のコンゴ、スーダンと取材の足を運ぶ。

コンゴの内戦もすさまじいが、スーダンなどでも国家が民衆を虐殺する。
アメリカの大学で銃乱射があれば、日本の秋葉原で無差別に何人かの人を刺す若者が現われれば、新聞はTOPでそれを扱うが、アフリカのある国で何千という命が虐殺されていても、その扱いの小ささはほとんど報道されていないに等しいと筆者は、日本でのアフリカのウェイトの低さを嘆く。

いずれの国でも、資源というものが元凶になっている。
下手に資源大国だからこそ、外国企業はもしくは外国政府は触手を伸ばして来る。
その外国企業とは一昔前なら欧米の企業なのだろうが、今やあまりにも人権をないがしろにしている、ということで、欧米は手を出さない。
平気で触手を伸ばしてくるのが中国企業だ。

政権は資源を求める国、中国に協力を求め、中国企業に賄賂を要求する。中国企業は資源を独占する見返りとして賄賂という形の軍資金を与える。
それを持って政権は反勢力になる芽を摘むために、反勢力でもない無辜の人民を殺戮していく。

そんな構造をこの筆者は見つかれば殺されるという中、密入国をしてまでして取材に入って行くのだ。

第五章は圧巻だ。
無政府状態のソマリアへ取材へ赴く。

暫定政府が出来たってその大統領は国に入ることすら出来ない。
いたるところで武装軍団が居て、道を通るものから、通行料を強要する。

なんと言っても無政府だ。
信号機の名残りはあっても信号機は点灯しない。

交差点では通常は譲り合いだが、武装勢力が通るときだけは、彼らの優先道路となる。
力あるものが支配する世界。

そんな中ソマリアへ潜入して、筆者は驚く。
通貨は、民間が中央銀行の代わりとなって紙幣を刷っている。
ラジオ局から発信する人がいる。
インターネットカフェもある。通信企業もある。
だが、国はいくつもの武装集団が分割統治というよりも縄張りを持って、闊歩しているという状態。

そんなソマリアの中でもほんの一勢力に過ぎなかった「イスラム法廷会議」イスラム原理主義の勢力が瞬く間に国を勢力圏内に治める。

この「イスラム法廷会議」という勢力。アフガンでのタリバンとかなり似通っていないだろうか。
この急速な勢力拡大。
その勢力拡大とともに、各所で通行料をふんだくるような武装勢力は無くなって行く。いわゆるひとつに秩序が生まれようとしているわけだ。

彼らは親米をとことん嫌うので、親米国からも情報を取り入れ、親米国とも連絡を絶やさないソマリアのジャーナリスト達は彼らを恐れ、嫌悪する。、

アメリカも国連も自ら手を下すことを回避してしまったソマリアに対して、アメリカはエチオピアに代理戦争をさせる。
タリバン勢力を払拭させるのに北部同盟を使ったが如く。
今度は国どうしなので、アメリカは完全に影になっている。

その代理戦争さなかになんとかソマリアに潜入しようとするこの筆者。
すさまじいほどのジャーナリスト魂だ。

だが、この本、終章でのまとめはいかがなものなのだろう。
これだけの取材をした結果の結論が、「格差社会が暴力を生む」なのだろうか。
そんな単純な話ではあるまい。

筆者も反省があったのか、文庫化に向けてのあとがきではそんな単純なものではなかった、と語っている。
但し、論を全て曲げたわけではない。日本の格差社会をみるにつけ、格差の拡大は決して暴力を生んだわけではない。格差社会はインターネット上で繰り広げられる言葉の暴力を生んでいる、と。
やはり、格差社会は暴力を生むという持論は曲げたくないらしい。

明治時代だって大正時代だって今の何千倍もの格差社会だったろうに。

この本のテーマは資源というものが生み出す、途轍もない暴力であったり、反イスラム原理主義に対抗する暴力だったり、秩序の崩壊による暴力だったり、筆者は自らの取材で教えてくれたのではなかったのか。

とはいえ、すごい本であることに違いはない。
アフリカ大陸でも南半分となると、ほとんど日本では知られていないし、報道もそうそうされることはない。
南アのワールドカップのときに南アの事情が報道されたのが唯一か。

インターネットを検索すれば転がり込んでくる情報とはわけが違う。
命がけの取材で得た生の情報ばかりだ。
文庫化によってではあるが、これだけの情報量を詰め込んだ本がたったの830円+税というのはちょっと安すぎるだろう。