カテゴリー: サ行



もう一度読む山川世界史


高校の時好きだった山川世界史の教科書。
それが大人向けになって登場しました。

世界史が好きだったわけではないけれど、
レイアウトのすっきりした感じとか、表紙の手触りのよさとか、地味だけどなんだかいけてる気がしていた山川教科書。
それが大人のために再編集されたという事で、本屋で平積みにされているのを見た瞬間、買わなくてはと思いました。

大学受験で勉強したはずなのに、きれいさっぱり忘れてしまった世界史。
マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝とか、ダレだか忘れたけど名前だけ忘れられないとか、ホメイニが何したか忘れたけど挿絵の写真を覚えてるとか、そんな状態の脳みそに、『もういちど読む山川世界史』はがつんと響きそうです。

果たして頭から読み始めるべきか・・・。隅々まで読むべきか・・・。
高校生の時はとにかく全体を覚えるために、頭から隅の隅まで読みましたが、今となっては試験があるわけでもなし。
興味のあるところを探して飛ばし飛ばし、目に入ったところを流し読み。
学生の時とは違った読み方が出来る事がかなり新鮮。

あの国にあんなに嫌われているのはなぜだったっけ。
どうしてこんなにこの地域は争う事になってしまったんだっけ。
当たり前だと思われるような世界についての知識が、すこんと抜け落ちていることを実感。
少しは取り戻さなくてはと焦ります。

そして時々登場するコラムがなかなか面白い。
高校教科書にはなかったコーナーが妙にうれしく感じられます。

学生の時とは視点を変えて読む。
でもあくまでも見た目は教科書なので、ガッツリ取り組むと学生時代のしんどさがフラッシュバックするからたしなむ程度にする。
そんな感じで、これからいいお付き合いが出来そうな一冊です。

もう一度読む山川世界史  「世界の歴史」編集委員会  山川出版社



人間の土地


伊坂幸太郎の『砂漠』の中の愛すべき登場人物「西嶋」が影響を受けたというサン=テグジュペリの「あの本」。
最後まで本のタイトルは出て来なかったが、おそらくはこれだろうとあたりをつけたら、まんまそのままだった。

タイトルの「砂漠」ですらこの本だろう。
小説の中の登場人物経由でこんな素晴らしい本に辿りつくやつもそうそういないだろう。
「人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ」

「砂漠」の中の西嶋君が何度も言ったセリフじゃないか。

この本は「飛行機」というものが世に出てからまだ航路を確定していない頃の話で、郵便飛行士達が山岳地帯や砂漠地帯の新たな路線を開拓して行く中で、僚友の生き方について語り、技術の進歩とは何かを問いかけ、飛行機という乗り物が見せる地球の姿を語り、砂漠の魅力について語り、人間の本質とは何かを語る、そんな本だ。

実際に郵便飛行士という職業についたサン=テグジュペリの体験を元に書かれたものであろうことは想像がつくが、郵便飛行士なら誰でもこれが書けたわけではないだろう。

上の言葉は彼の僚友が山岳地帯で遭難し行方不明になり、雪の中を三日も寝ずに糧もないまま歩き続け、そして彼の前まで帰還し、そして亡くなった時に僚友に成り変ってその立場を語る時の言葉だ。

同じ箇所を伊坂氏よりも長く引用してみようか。
「人間であるということは、とりもなおさず責任を持つということだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。
人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると信じることだ」
世界の建設に加担していると信じている人間などどれほどいるだろうか。
彼はそれが「人間である」ということだと言う。
これは定義というよりも教えだ。その教えを忠実に実践しようとするのが伊坂氏の描く西嶋だ。

伊坂氏の「砂漠」の中にはもう一つ「人間の土地」からの重要な引用がある。

卒業式の場面での学長のことばだ。
「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」

「人間の土地」の中では
「真の贅沢はただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ」

「人間の土地」という本は伊坂氏が感受した箇所のみならず山のような金言を残している。

まさに遭難している最中の人間がこんな言葉を吐く。
「ぼくらのほうから駆けつけてやる! ぼくらこそは救援隊だ!」

「たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから」

「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ」

「たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分の役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから」

サン=テグジュペリは第二次世界大戦中にコルシカ島から飛び立ったまま行方不明となり、そのまま不帰の人となった。

最後まで考えていたのだろうか。人間の本質とは何か、なぜ挑戦し続けるのかについて。

人間の土地  サン=テグジュペリ (著)  堀口大学 (翻訳)



人間の土地


伊坂幸太郎の『砂漠』の中の愛すべき登場人物「西嶋」が影響を受けたというサン=テグジュペリの「あの本」。
最後まで本のタイトルは出て来なかったが、おそらくはこれだろうとあたりをつけたら、まんまそのままだった。

タイトルの「砂漠」ですらこの本だろう。
小説の中の登場人物経由でこんな素晴らしい本に辿りつくやつもそうそういないだろう。
「人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ」

「砂漠」の中の西嶋君が何度も言ったセリフじゃないか。

この本は「飛行機」というものが世に出てからまだ航路を確定していない頃の話で、郵便飛行士達が山岳地帯や砂漠地帯の新たな路線を開拓して行く中で、僚友の生き方について語り、技術の進歩とは何かを問いかけ、飛行機という乗り物が見せる地球の姿を語り、砂漠の魅力について語り、人間の本質とは何かを語る、そんな本だ。

実際に郵便飛行士という職業についたサン=テグジュペリの体験を元に書かれたものであろうことは想像がつくが、郵便飛行士なら誰でもこれが書けたわけではないだろう。

上の言葉は彼の僚友が山岳地帯で遭難し行方不明になり、雪の中を三日も寝ずに糧もないまま歩き続け、そして彼の前まで帰還し、そして亡くなった時に僚友に成り変ってその立場を語る時の言葉だ。

同じ箇所を伊坂氏よりも長く引用してみようか。
「人間であるということは、とりもなおさず責任を持つということだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。
人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると信じることだ」
世界の建設に加担していると信じている人間などどれほどいるだろうか。
彼はそれが「人間である」ということだと言う。
これは定義というよりも教えだ。その教えを忠実に実践しようとするのが伊坂氏の描く西嶋だ。

伊坂氏の「砂漠」の中にはもう一つ「人間の土地」からの重要な引用がある。

卒業式の場面での学長のことばだ。
「人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである」

「人間の土地」の中では
「真の贅沢はただ一つしかない。それは人間関係の贅沢だ」

「人間の土地」という本は伊坂氏が感受した箇所のみならず山のような金言を残している。

まさに遭難している最中の人間がこんな言葉を吐く。
「ぼくらのほうから駆けつけてやる! ぼくらこそは救援隊だ!」

「たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから」

「救いは一歩踏み出すことだ。さてもう一歩。そしてこの同じ一歩を繰り返すのだ」

「たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分の役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから」

サン=テグジュペリは第二次世界大戦中にコルシカ島から飛び立ったまま行方不明となり、そのまま不帰の人となった。

最後まで考えていたのだろうか。人間の本質とは何か、なぜ挑戦し続けるのかについて。

人間の土地  サン=テグジュペリ (著)  堀口大学 (翻訳)