カテゴリー: サ行



製鉄天使


『製鉄天使』ってなんというタイトルなんだろう。
『鋼の天使』でも『スチール・エンジェルス』でもない。『製鉄天使』。
などとと思いつつ、読み始めてみて、なんとそういうストーリーなのか、と全く想像もしなかった内容に驚いた。

中学生が暴れて学校崩壊と言われていたのは1980年代だったのだろうか。
暴走族が走り回り、女性だけのレディースなどが闊歩していたのも同じ頃がピークだったのだろう。

そういう荒れた中学へ入学した一年生女子が入学したその日にいきなり彫刻刀だけを武器にして50人を相手に乱闘する。

それがなんと舞台は鳥取県のとある村。
今やゆとり世代以降の中学生や高校生は鳥取県や島根県と聞いても、それどこ?と言われるご時世らしい。
鳥取や島根はもはや他の都道府県の平成の中高生には存在しない地名になってしまった。

そんな鳥取を舞台にしてレディースのグループを立ち上げたのが先の中学一年生。
グループを立ち上げてたったの三日で鳥取県を制圧してしまう。
そのグループの名が「製鉄天使」。
おそらく作者は鳥取にかなりの思い入れがあるのだろう。

まぁ、小説というよりマンガを読み物にしたものと思って読む方がよろしいだろう。

これはライトノベルというジャンルのものなのだろうか、重厚な装丁からは想像出来なかった。それにライトノベルというのは、てっきり中にマンガチックな挿絵があるものを指しているものと思っていた。

充分荒唐無稽の話でもあるし、製鉄所の娘だから鉄には滅法気に入られ、鉄をあやつれば自由自在、どころか鉄の方が勝手に動いてくれる。

ボーイと呼ばれるオートバイも呼べば飛んで来るし、もうなんでも有りの世界。

その彼女が中国地方制圧に向けて、島根を制圧、そして岡山制圧へ、と・・・。
とまるで戦国時代の武将そのもの。

とまぁ、いささかマンガチックに過ぎる感は否めないが、なかなか楽しめるお話でもある。
鳥取県人ながら何故か土佐弁と思われる言葉を使う主人公。

なかなか格好いいではないか。

こういうマンガ的要素をふんだんに盛り込みながらも作者としては、こういう悪いやつは外見もちゃんと悪かった時代を回顧しているのかもしれない。

丁度、暴対法施行前を懐かしむ人たちの様に。
暴対法施行前はヤクザ屋さんの事務所にはちゃんと○△組という看板が有り、あぁここはそういう場所なんだ、と皆がはっきりとわかり、出入りする人を見てもはっきりと、それとわかる人たちで、わかり易かった。
それが施行後には○△組という看板は消え去り、○△産業だの○△興業だの○△株式会社だの、出入りする人たちもネクタイなんか締めてしまう様になって、本業は地下へ潜ってしまい、全く表向きはサラリーマンと変らない。

同じように族が幅を利かせていた時代からだんだんと普通の大人しいガキ共が実は陰湿なイジメをしていたり、弱い者が更に弱い者を苛める、表面はクソ真面目な顔をしながらも。それは一部この本の後半にも触れられている。
そういう陰湿な時代よりもはるかに族世代の方がわかり易かったんじゃないか、それを作者はうったえたいのかもしれない。

この子供達のフィクションの王国は寿命が19歳と決められている。
19歳にならなくとも大人になったら引退。

永遠に子供のままでいたい、フィクションの中にいたい。
そんな彼女達の声をマンガチックな小説の場を借りて表現したものなのだろう。

最後に、この物語には語り部が登場する。
暗い閉じ込められたような場所で語るこの人物は誰か。
それは一番最後まで読めばわかります。

製鉄天使 桜庭一樹 (著)



ミレニアム2 火と戯れる女


スウェーデンのベストセラー ミレニアムの第二弾。
第一弾も第二弾も虐げられ、迫害される女性達に対する社会的な偏見、特に偏見思考の強い男を糾弾しようとする方向は同じであるが、第一弾はジャーナリストとしての有り方に比重が置かれていたが、第二弾はまさに探偵者である。

第一弾でヒーローとなったリスベット・サランデルに連続殺人犯の容疑がかけられ、彼女が何より秘密にしていた自身のプライバシーが連日、マスコミに書きたてられる。

その間なかなか姿を表さないリスベット。

でもやはりリスベットはヒーローそのものである。
第一弾でも明らかになったその明晰な頭脳。
リサーチャーとしての優秀さはこの第二弾でも如何なく発揮される。
天才数学者達が年十年という歳月をかけてその証明に取り組んだという「フェルマーの最終定理」をわずかな期間で解明してしまうあたりは、もはや頭脳明晰などという範疇をはるかに超越してしまっている。

コンピュータのハッキングなどという許しがたい行為であったとしてもリスベットが行うなら読者は許してしまえる。
そんな存在である。
彼女にかかったらネットワークにさえ繋がっているのであればどれだけファイヤーフォールをかましたところで必ず侵入されてしまうのではないだろうか。

少々違和感を感じたのは冒頭のグレナダでの滞在期間の結構長い記述。
後半のストーリー展開にも特に関係してくるわけではない。
作者がたまたまグレナダを旅行したので、ストーリーに関係しない冒頭の出だしに思いつきで入れたとしか思えない。

それにしても男女間格差が最も少ない、として日本のフェミニスト達がよく紹介する北欧の国で「この売女」と女性が罵られるシーンのなんと多いことか。
日本において、必ずしも全てにおいて男女は平等だとは言わないが、女性に対する敬意という様なものはもっとあるのではないだろうか。

作者はこの本が世に出る直前に亡くなってしまうのだが、自身でこの一連の本は自らの取材活動の中での体験を取り入れている、と生前に語っていたというのだから、ネオナチの人間が居たり、人身売買が行われていたり、というのも満更、創作というわけではないのだろう。
他の国に先駆けての男女雇用均等法なども逆を言えばそれだけ、放置すれば劣悪な状況だったということの裏返しなのかもしれない。

この上下巻、文句無しに面白いが、完璧に完結しきっていない。
やはり第三弾も読め、ということなのだろう。

ミレニアム2 上 火と戯れる女  スティーグ・ラーソン 著 ヘレンハルメ美穂 (翻訳), 山田美明 (翻訳)



COW HOUSE


久しぶりに心暖まる話を読んだ気がする。
こともあろうに会議で上司のさらに上の役員を殴りつけてしまった主人公。

シビアなことで有名な部長は彼にクビを言い渡すのかと思いきや、バブル前に会社が購入し、売り損なったまま残されている会社保有の豪邸の管理人をせよ、という。
豪邸と言ったってそんじょそこらの豪邸じゃない。
部屋がなんと20いくつもある。
家の中で迷子になってしまうほどの豪邸。

この主人公の人柄なのだろう。

この屋敷にはだんだんと住人が増えていってしまう。
それぞれ、大きさの違いこそあれ、家庭に事情を抱えた人たち。

主人公の青年はそんな事情を抱えた人たちを救う起死回生の一手を放つ。

COW HOUSEとは別に牛小屋のことではない。
たまたま集まった人たちが丑年生まれだった、という他愛もない命名なのだが、やり手の部長はCOWに無理やりCenter of Wonder なる造語を嵌めてしまう。「この世の中の素晴らしいものの中心になる家」なのだそうだ。

この部長も暖かい。登場人物が皆暖かい。

文学少女に食べさせたら、あったかくてほんわかした蒸しパンの味わい、とでも言うのだろうか。

COW HOUSE―カウハウス