カテゴリー: サ行



盗まれた独立宣言


この本が書かれた時期は、第一次湾岸戦争の後の頃。
9.11が起こるより前の頃。
当然、イラクのサダムフセインは大統領として健在である。

この本を読むと9.11があろうと無かろうと、大量破壊兵器があろうと無かろうと、その後のイラク戦争は起こるべくして起こったのだろうな、などと思えてくる。

アメリカにとっての独立宣言の原著とはどんな存在なのだろう。
世界の国々の中ではアメリカは歴史としてはまだ浅い国の範疇に入るだろう。
そのアメリカ国民にとってのアイデンティティの象徴の様な存在なのではないだろうか。
事もあろうにサダムフセインはその独立宣言の原著を盗み出し、国民の目の前でそれを焼き捨ててしまおうという計画を立てる。

ジェフリー アーチャーをして、そういうストーリーを書かせる背景には、湾岸戦争の結末が中途半端なものだったという英米の民意の表れなのかもしれない。

湾岸戦争当時の多国籍軍側の各国首脳、アメリカは先代のブッシュ、イギリスのサッチャー、ミッテラン、ゴルバチョフ・・それぞれ皆、引退してしまっているのにも関わらず、負けた側のはずのサダムフセインはそのまま独裁政権を維持し続けている。
一体全体勝ったのはどっちなんだ。
何故、あの時、サダム政権を倒すまでやってしまわなかったのか、そんな時代背景や民意がこの本を書かせたのかもしれない。

イスラム圏の国民は大抵アメリカが嫌いなのと同様にアメリカ人にとってはサダムフセインだけは許せない存在の一人だったのだろう。

サダムフセインは今でこそ過去の人だが、これが書かれた時は現役のイラク大統領だったはず。その現役の一国の大統領をもちろん実名で小説という範疇の中で犯罪的行為者として書いてしまうなんてこと、有りだったのか。

この本、独立宣言を盗むという発想も奇抜ながら、その盗む計画内容も巧妙でなかなかに面白く読み応えがある。

また暗躍するスパイ、イスラエルのモサドやアメリカのCIA、イラクへの潜入やイラク国内での反フセインの部族の人たち・・・いろいろと読み応えのある本である。



ビタミンF


ひとの心にビタミンのようにはたらく小説・・、Family、Father、Friend、Fight、Fragile、Fortune F で始まるそれら言葉を、作品のキーワードとして埋め込んでいった・・・と作者は後記で述べています。

「ゲンコツ」という話。
若い連中と、カラオケへ行っては仮面ライダーの主題歌を歌い、「変身!」「とぅー!」とジャンプしたりするオヤジ。なんともはや・・・「若い頃」といった言葉に抵抗がなくなった、という表現が用いられているが、もはやそんなレベルではないでしょう。
若者達は「痛いオヤジ」と呼んでいるに違いないでしょう。

暗くなった時間にたむろする若者達におびえるオヤジ世代。
幽霊が恐かった子供の頃よりも38年も生きて充分すぎるほどの大人になって、夜道が心細くなる、というこのオヤジ世代。いや世代というよりこの人達というべきではないかと思いますがいかがなのでしょう。

そんなオヤジがちょっとだけ勇気を出してみたというお話。

「はずれくじ」という話。
中学生の息子が同級生のパシリに使われている。
それを心配する父親。
心配する必要などこれっぽっちもなかったのに。

最後の小編「母帰る」。
これはちょっといいですね。
主人公は37歳。
身勝手とも思える母の出奔。
しかしながらその出奔は親としての勤めを全て終えた後の出奔。
娘も息子も結婚して家を出たあとのこと。
まだ子供達が成長期なら「なんと無責任な」と周囲が憤っても無理はないが、その勤めは全て果たした。
老いて残された父は潔いし、そんなことも良く理解している。
なかなかに良く出来た父なのでした。

その他いくつの小編がありますが「母帰る」以外でほぼ共通しているのは、主人公ほぼ同年代の中年男で、中学生か高校生の子供がいる。
子供と母親は意識を共有し、思いを共有するが、父親の自分だけはその共有するものから除外されたポジションにいる。
また、それを知ってショックにおちいる。

それがそんなにショックを受けるほどなのかは人それぞれでしょう。
外で仕事を持つ男ならもっと最悪な家庭状況ならともかくもこんな程度のこと、いちいち気にとめていたら仕事にならないでしょうし。
妻と子供が共有するものを持っているだけでも充分だとも思えますが、それも人それぞれでしょう。
「トワイライト」の登場人物たちもちょうど同じ世代。
回顧的なのはいいんですけれど、まるで「回顧する」即ち「現在の敗北を認める」みたいな印象が残ってしまいます。

家庭に疎外感?みたいなものを感じたとして、それは悩む対象なのでしょうか。
そんな人が居れば、「開き直れよ。男達!」
と言ってやりたいですね。

いつでも出ていってやるさ。
とか。

俺が目障りとかガタガタ言ってんだったらよ、1DKか2DKのアパート借りてやっからさぁ、生活費ぐらい出してやるから、さっさと俺の眼の前から消え去れよ。
さっさと眼の前から消えてくれよ。
と、まぁそこまでは、極端としても心積もりとしてはそれぐらいのことを思ってなければばかばかしくって年もとれないでしょう。

重松さんの作品、さぁて、ビタミンは効いてきましたかでしょうか?

ただ栄養剤とかビタミンってもともと効いた気がするっていう類のものなのでしょう。
効いた気でまぎらわすより、しっかりと自らの立派な開き直りを出してみましょうよ。
お父さんたち。

せっかく一生懸命に働いて来たんだから。

ビタミンF  重松 清 著



トワイライト


そこは千里ニュータウンのはずれにある一画の団地だった。
小さな川を隔てた先は庭付きの一戸建てが並ぶ町並み。
子供達の通う小学校はそんな高級住宅地からの生徒と団地からの生徒が半々ずつ。
少なくとも子供達は学校では違和感も無く仲良くやっていた。

団地っ子の家は小さな畳の部屋が二つとダイニングキッチンだけ。
それを狭っ苦しいと嘆く団地っ子は一人も居ない。
庭付き一戸建ての家は部屋数が多く、庭にその父親がゴルフの練習をするのか、小さなネットがあったりして。
団地っ子はそれを羨むどころか、その隣家との間を隔てる塀に囲まれたなんともいえぬ閉塞感を味わい、団地に帰って来るとほっとした。

団地の庭は広かった。
玄関を開けるともう目の前には小さな公園があった。
毎日学校から帰ると当然の様にそこには団地っ子が数人集まり、当然の様にドッジボールが始まる。
その小公園の横には木でいっぱいの小山があり、そこは缶蹴りの場所。
更にその小山の向こうには小学生が野球をするのに程よい広さのグラウンド。
小公園の反対側にもキャッチボールができる広さの草っぱら。
その全部が団地っ子の庭だった。

なんせ一棟、一棟の間隔が異様にと思えるほどに広いのである。
団地のほとんど全てがそんな間隔で建てられていた。
団地内の草っぱらや小公園は全部団地っ子の庭だったし、団地の周囲もまた庭だった。
団地の周囲は高級住宅地側以外はほとんど田んぼ。
田んぼの向こうは永遠に続くのではないかと思えるほどに続く竹林。

春には竹林でたけのこを取り、田んぼのあぜ道ではつくしを取り、夏には小川には蛍が居た。至る所に池があった。
自転車では箕面の滝の手前から服部緑地まで、団地っ子のの行動半径はは広かったのである。
その周辺の一角だった竹林が造成されて第二団地というものが誕生し、さらに第二団地との間に団地っ子だけの小学校が誕生した。
6年生1クラス、5年生3クラス、4年生6クラス・・・と下級生になるほど人数が多くなるピラミッド型の生徒構成。
ますます子供達が多くなっていったのだった。

自衛隊を辞めて航空会社へ就職した人、新聞社へ勤めたての人。役所を辞めて大学へ職を求めた人。放送局へ就職した人。駅前で屋台の寿司屋を営んでいた人・・・。
団地の大人は皆、未来に夢と希望を持ち、団地の家の狭さを嘆き、いつかは川向こうの高級住宅地の様なところに住むぞ、と意気込んでいた。

重松の描く「たまがわニュータウン」で育った子供達は皆、未来に夢と希望を持つが、この団地では未来に夢と希望を持つのは大人達だった。
団地周辺ではその頃から徐々に田んぼが無くなり、池が無くなり、竹林が無くなって行った。
蛍は早々と消え去った。えんえんと竹林だった頃は誰も気にとめなかった子供のたけのこ取りも、残った竹林には「たけのこ取るな」の立て札が立ち、周囲には金網が張られた。
やがてその残った竹林も無くなり、一帯は新たな新興の高級住宅地となり芸能人などが移り住んで来たり団地からの成功者もどんどん移り住んで行った。

団地っ子は未来に希望を見るよりも自分達の庭がどんどん収縮していくこの先の未来に閉塞感を覚えた。
自分達の遊び場がなくなってしまうのではないか、自分達のふるさとそのものが消えてしまうのではないか、と未来を憂えた。

団塊の世代よりも全共闘世代よりも1世代も2世代も若いこの世代は後にエネルギーの消滅した世代と呼ばれる。
この団地っ子にはドラエモンものび太もジャイアンもすね夫もしずかちゃんも居なかったが、団地っ子はエネルギーの消滅した世代などではなかった。寧ろエネルギーの塊りのように行動的だった。
周辺が消えて行くだけならまだしも自分達の野球場までがフェンスで囲まれた大人も子供も誰も使うことのないテニス場に作り変えられた時にはさすがに怒りが爆発し、団地っ子は陳情団を結成した。市役所へかけあいに行くがおかど違いだと言われ、団地の管理事務所にそのバカな決定者は誰なのか、と訪ねに行くが大人達ですら誰が決定者なのか誰も知らなかった。
団地っ子がエネルギーを消滅して行くのは新興の高級住宅地などに移り住んで行ってからである。行った先は押しなべてかつての川向こうの家がそうだったように家の周囲をブロック塀で囲う、団地っ子からすれば最も閉塞した空間なのだった。

だが、大人は違う。
自衛隊を辞めて航空会社へ就職した人は念願の国際線のパイロットとなり機長となった。
新聞社へ勤めた人は一流紙の敏腕記者となって東京へ移って行った。
大学へ職を求めた人は助教授となり教授となりやがて名誉教授となった。
放送局へ就職した人はアナウンサーとしてテレビで活躍した。
駅前の屋台の寿司屋を営んでいた人は寿司屋のチェーン店の社長となった。

大人は念願通りの成功をおさめ、2DKの団地を未練も無く捨てて行った。

タイムカプセルというのは当時の流行りだったのだろう。
万博でもその行事は行われていたと思う。
時期的にはもうとうに開封された事だろう。

団地っ子の小学校でもタイムカプセルという行事は行われた事だろう。
それがどうなったのか開封されたのか誰も知らないし、おそらく開封もされなかったのではないだろうか。

団地っ子はやがてちりぢりになって行く宿命だった。
親の世代が最初からそう考えて住んでいるのだから仕方がない。
ちりぢりになり、誰がどこへ行ったのか連絡手段も何も無い。せめて半数でも1/3でも残っていれば誰かが動いたかもしれないが、ほとんど全員がちりぢりになっていったのだからどうしようもない。

その団地も数年前にはもう老人がパラパラと住むだけの廃墟に近い状態となり、どの小公園でも遊んでいる子供の姿は見られなかった。その翌年から撤去工事が始まるということだったので今頃はもうあらかた無くなってしまっているのだろう。
その有りようは「たまがわニュータウン」の過疎化と同じである。

「たまがわニュータウン」の小学校は廃校になるということでタイムカプセルを開封しようと同級生が集まる。
集まった中にはかつてのジャイアンが、のび太が、しずかちゃんが集まる。

「たまがわ」の子供達にとって万博は未来への成長のシンボルだった。
団地っ子にとっても万博は開催前までは夢のような存在だった。
やがて万博の開催は即ち竹林の消滅、田んぼの消滅と繋がることに気が付く。
甲子園の何十倍だか何百倍だかと散々その前評判を聞いたわりにはあまりにその狭っくるしさに驚いた。あまりにパビリオンとパビリオンの間隔が狭かったからだろう。
団地っ子達は団地の一棟一棟の広い間隔にあまりに慣れ親しみ過ぎたのである。
どこへ行っても行列ばかり。
それも狭くるしさを感じた要因かもしれない。

「たまがわ」の子供達はやがて成長し、夢見た未来の現実を知る。
天才少年だったのび太のはリストラ目前のサラリーマン。
ジャイアンはしずかちゃんと結婚したが、現在では子供からも愛想をつかされ、ほぼ家庭崩壊状態。

掘り返したタイムカプセルからは亡くなった先生からの手紙が・・。
「あなたたちはいま、幸せですか?」

団地っ子の生き残りとして今、当時の団地っ子彼らに語りかけることができるとしたら、言ってやろう。
「君らの憂えた未来でもちゃんと立派にやって来たぞ!」と。
彼らが必ずこう言うだろう。

「俺達なら必ずそうだろうと思ったよ」と。

トワイライト  重松 清 (著)