カテゴリー: サ行



府中三億円事件を計画・実行したのは私です。


昭和を代表する大きな事件で迷宮入りとなった事件の代表格は、三億円事件とグリコ森永事件だろう。
双方とも死者が出ていない。あまりにあざやかすぎて、国民感情から言っても犯人のことを嫌い、という人は少なかったのではないだろうか。
双方とも、いろんな憶測がなされ、真犯人はやつだろうなどという書き物も多数。
特に三億円事件に関してはドラマ化、題材にした映画も多数ある。

その片方の三億円事件の犯人は私です。
と今になって言い出した男が居て、本にまでなってしまった。
そりゃ、読むでしょう。

この本、会話ばかりで構成されているので、非常に短時間で読めてしまった。

読後実感、これは実行犯による独白ではなく、創作そのもの。
というもの。

あと、全く物足りないのは、この話の終わり方だろう。

文中でもキーとなるのは、奪取することと奪取した後の保管場所の確保、とこの2点をあげているのに。この2点目については全く触れられていない。
奪取して終わりだ。

創作だというのは、白田氏がいくらこの時期の事を鮮明に覚えていると言ったところで、事件から50年もたった後に、彼女との会話、大学の運動家連中との会話。友との会話。これだけ見事に再現できるわけないだろう。

彼が犯人だとしても、おおよそこんなやり取りをしただろうとの推測で創作したということなんだろう。というよりほとんど全て創作になっているはずだ。

一年前の会話だって一週間前の会話だって音声でも取ってない限りは、どんどん記憶は上書きするだろう。
文章などにしたら、全く創作に近いものが出来あげるに決まっている。
ただ、上書きされたとはいえ、それが彼の50前の記憶なのだ、と言ってしまえばそれはそれで彼にとっては真実かもしれないが・・。

この犯行、白田氏の言う通り、三億円事件と三億円を奪取したみたいに思われがちだが、実際は現金輸送車を奪取した事件で。中のお金を持ち去ろうとする犯行よりもダイナミックで発想が違う。
その点は大いに認めるところなのだが、
彼が犯行後、盗難車のがアタッシュケースに残したとんでもないもの。
それが友に対する二度目の裏切り。それどころかとんでもない行為だ。
これどう考えたって腑に落ちない。

いくら警察が、身内から犯人を出したくないとはいえ、盗難車のアタッシュケースに警察手帳があったのなら、それは即座にそれを持ち出せたものの犯行としてそんなに事件が大騒ぎされる前に解決出来てしまったんじゃないのか。
事件が大騒ぎになって、捜査員も大量にかり出され、モンタージュー写真まで作って、全国に情報を求め、そのモンタージュー写真からの情報にまた捜査員が引っ張り廻され、というとんでもない失態をさらすことも無かっただろう。

この著者の弁では自らの行いにより、友に罪をなすりつけ、それによって自分は逃げおおせた、というストーリーのようだが、友に罪をなすりつけただけで終わるわけが無い。
自ら、これは複数犯で無ければ無しえないと書きながら、何故、友一人の単独犯行と警察が判断してくれると思いこんでいるのか。
その彼は普段誰とつるんでだのか。
その時のアリバイは・・・などと

すぐにこの著者まで警察は辿り着いただろう。
その後、その近辺から消えるようなことも匂わせているが、その近辺から消えたならほぼ確実に容疑者確定じゃないのか。

犯人しか知り得ない事として書いた内容が一番、話としての信憑性を失わせている。

この話、「三億円事件を計画・実行したのは私です」というタイトルが最もインパクトがあるだけで、内容は、ちまたある三億円事件を題材のドラマなどの方がはるかにましか。

府中三億円事件を計画・実行したのは私です。白田著



そして、バトンは渡された


17歳ににして四回も苗字が変わる、森宮優子という女子高生。
よほど、複雑な家庭なんだろう、よほど辛い思いをして来たんだろう、誰しもそう思うだろう。
ところが、彼女に不幸な影は微塵も無い。
人が不幸だと思ってくれているので申し訳ない、いじめてくれる継母と結婚して、と同居人である3人目の父親に冗談を言い、冗談で返される。

実の母親は幼い頃に事故死。父親の再婚相手とはすぐに仲が良くなり、母親というよりは友達、いや面倒見のいい姉御みたいな存在か。
父親がブラジルに赴任するからついて来ないか、と言われて、姉御は拒否。
で迷った彼女も姉御についていくことに。

この姉御が優子に注ぐ愛情がハンパなかった。
一見、自由奔放、好き勝手に生きている様に見えながらも、実は優子のためなら自分の人生なんてどうだっていいとさえ、思っていたのではないか、と思えるほどに。

その姉御が優子を託したのが、森宮さんというまだ女子高生の父親にしては若すぎるほどの年齢の男性。
で、彼の優子に対する父としての優しさもまたとんでもないレベル。

優子は父親を3人、母親を2人持った事になるになるのだが、その誰からも愛されていた。それは彼女の根っからの明るさ、人から好かれるキャラクタにによるところもあったのかもしれない。

この本、最後数ページだけでも充分に感動させてくれるが、そこまで読者を引っ張って行かせてくれたのは、3人目の父森宮氏と優子の絶妙な掛け合い。

それに森宮氏の全くトンチンカンな方向でとことん頑張ってしまえるキャラクタ。
始業式と言えばかつ丼だろ、と早起きまでして頑張って作ってくれる。なんでかつ丼なんだ!
元気がない時はギョウザだろ、とえんえんとギョウザが毎日食卓に並んで辟易とするが、そんなトンチンカンも全部優子のためを思ってやっている事なのだ。
だから、優子もそれに応えてしまう。

そんな優しさどうしのぶつかり合いが最後まで読者を放さない要因か。

そして、バトンは渡された 瀬尾 まいこ著



そして、バトンは渡された


17歳ににして四回も苗字が変わる、森宮優子という女子高生。
よほど、複雑な家庭なんだろう、よほど辛い思いをして来たんだろう、誰しもそう思うだろう。
ところが、彼女に不幸な影は微塵も無い。
人が不幸だと思ってくれているので申し訳ない、いじめてくれる継母と結婚して、と同居人である3人目の父親に冗談を言い、冗談で返される。

実の母親は幼い頃に事故死。父親の再婚相手とはすぐに仲が良くなり、母親というよりは友達、いや面倒見のいい姉御みたいな存在か。
父親がブラジルに赴任するからついて来ないか、と言われて、姉御は拒否。
で迷った彼女も姉御についていくことに。

この姉御が優子に注ぐ愛情がハンパなかった。
一見、自由奔放、好き勝手に生きている様に見えながらも、実は優子のためなら自分の人生なんてどうだっていいとさえ、思っていたのではないか、と思えるほどに。

その姉御が優子を託したのが、森宮さんというまだ女子高生の父親にしては若すぎるほどの年齢の男性。
で、彼の優子に対する父としての優しさもまたとんでもないレベル。

優子は父親を3人、母親を2人持った事になるになるのだが、その誰からも愛されていた。それは彼女の根っからの明るさ、人から好かれるキャラクタにによるところもあったのかもしれない。

この本、最後数ページだけでも充分に感動させてくれるが、そこまで読者を引っ張って行かせてくれたのは、3人目の父森宮氏と優子の絶妙な掛け合い。

それに森宮氏の全くトンチンカンな方向でとことん頑張ってしまえるキャラクタ。
始業式と言えばかつ丼だろ、と早起きまでして頑張って作ってくれる。なんでかつ丼なんだ!
元気がない時はギョウザだろ、とえんえんとギョウザが毎日食卓に並んで辟易とするが、そんなトンチンカンも全部優子のためを思ってやっている事なのだ。
だから、優子もそれに応えてしまう。

そんな優しさどうしのぶつかり合いが最後まで読者を放さない要因か。

そして、バトンは渡された 瀬尾 まいこ著