カテゴリー: サ行



いにしえの光


初老の男がひたすら50年以上昔を回想する。
15歳の少年だった彼は親友の35歳の母親から誘惑され、欲望の赴くまま彼女と結ばれ、そしてその関係を続けていく。
しかも大都会ではない。
ほんのちょっとしたことでもすぐに噂が広まってしまうような田舎町だ。

15歳の少年は時に友人の母に拗ねてみせたり、わざと周りに気づかれそうにさせて困らせたり、それでも彼女は彼を許してしまう。
記憶はところどころが断片化されていて、はっきり思い出せない場面もある。

してはならない恋に落ちた少年時代。

その語り手は少年時代の彼ではなく、初老の男だ。

エロティックに思えるようなシーンにいやらしさがないのは初老の彼が振り返っているからかもしれない。

主人公の男は役者をなりわいとする。
役者というにはあまりに文学的な人なのだ。
こんな文学的な表現をする役者がいるだろうか

本の帯を見る限り、娘を亡くした老俳優と父親を亡くした女優の物語のように見えてしまうが、そんな話ではなかった。

現実の話は確かに進行して行くのだが、常に主人公の頭は追憶の中の彼女にある。

この本の感想は本当に表現しづらい。
これまで読んだいずれのタイプにも属さない、そんなタイプの本だった。

いにしえの光 ジョン・バンヴィル 著



エジプト革命


チュニジアのジャスミン革命に始まるアラブの春と呼ばれる革命騒動。
エジプト革命のみならず、チュニジアにしろ、リビアにしろ、時の独裁政権を倒したところで、日本のメディアではあたかもアラブの春は終息してしまったかのようだ。

だが、永らく続いた長期政権がSNSで拡がったような運動が元となる革命で崩壊した後にどんなことになるのか、続報があってしかるべしだと思うのだが、いや、実際には続報はあったのかもしれないが、あったとしてもほとんど目にふれないようなものでしかない。
本書は革命が起きる前のムバラクと軍部の関わり、革命時点、そして革命その後2013年の夏までの一連のゴタゴタを、現地の報道などを元に忠実にわかり易く説明してくれている本である。

アラブの春、中でもエジプト革命の時には、結構 「その後」 を心配する声は多かった。
イスラム過激派が主流になってしまえば、中東はどんどん混迷を深めて行くのではないか、というような。
ところが、ムバラク政権が倒れると同時にいろんな声も収束してしまった。
次に大々的に報道されるとしたら、世界中が混乱するようなよほどの大事件が起きるか、もしくは邦人が殺害された時だろうか。

エジプト革命において、ムバラクが最終的に退陣せざるを得なくなったのは軍がムバラクに見切りをつけてしまったことがその要因。

エジプトにおいては軍は国民の味方という立場を終始とっており、国民の意識の中でも軍は国民を裏切らない、という意識が高いのだという。

ムバラク政権崩壊後、革命の中心的存在だったSNSに刺激された青年団達はリーダーの不在もあって徐々に力を失って行く。
代わりに台頭してきたのが、ムスリム同胞団らのイスラム教勢力。

崩壊後から文民統制を望まない軍とムスリム同胞団との綱引きが始まる。

それは県知事の任命においてだったり、次の憲法をどうするか、であったり。

大統領の権限を大幅に削減し大統領による独裁を無くすという条項を盛り込んだ憲法改正ですませたい軍部と、新憲法をという軍以外の勢力。

2011年の革命からすったもんだの後に2012年には正規の選挙によって、ムスリム同胞団出身のムルシーという大統領が選ばれるのだが、その命運もたったの1年。
2013年の夏には軍によるクーデターによって解任されてしまう。

エジプトはこの3年の間に2度の革命を経験したことになる。

筆者はエジプトの地方の識字率の低さに注目する。
エジプトにおける民主主義の難解さは、そこから来るのではないか、と。

識字率だけでもないような気がするが、識字率の低い中で民主的な選挙で多数を取るのはどうしても組織化されたムスリム同胞団のようなイスラム教勢力になってしまう。

しかしながら、投票数の多数がすなわち民意ではない、というエジプトならではの複雑さ。

ただ、イスラムが組織化されている、識字率が低い・・・などはエジプトに限った話ではあるまい。
永年にわたるイギリスの支配下からの独立運動を経て、ナセルによって果たされた真の独立とアラブの雄としてのゆるぎない国としてのプライド、そして19世紀に導入された宗教の分け隔ての無い国民皆兵の徴兵制。
案外このあたりに、「エジプトならでは」の根っこがあるのかもしれない。

さて2度目の革命後のエジプトは今後どうなって行くのか。
ますます混迷を極めるという考えもあるだろう。
ナセルやムバラクそのものがそうだったように軍人の中から大統領が出て従来通りで収まる、という道もあるだろう。
そうなればアメリカも安心だ。

だが、多数決以外の形式の民主主義、投票数だけで選ばれない選挙制度など、エジプト式の新たな民主主義というものが生まれる可能性があるとしたらどうだろうか。
エジプトの今後はまだまだ未知数なのだ。

エジプト革命 -軍とムスリム同胞団、そして若者たち 鈴木恵美著 著



11/22/1963


今年の11月に駐日大使として赴任したキャロライン・ケネディ。
その就任の時に馬車で皇居へ向かう彼女を見た人々の歓声たるや、熱狂的なものであった。

ジョン・F・ケネディの娘というだけで、(もちろんそれだけが理由ではないだろう。彼女が親日家で美人だということも理由のひとつだろうが)それだけの人々を熱狂させるほどに父のケネディ元大統領は日本でも人気があったし、アメリカでも人気があった。

その人気が今でも続いている最も大きな理由はやはりあの暗殺事件にあるのではないだろうか。
若干43歳で大統領就任。
四年の任期を終えて二期目をむかえる頃になると、かなりボロが出て来て、就任当初の人気とは程遠くなるものなのだろうが、ケネディはまだ人気絶頂期のまま、他界してしまったのだ。

この物語は過去へと旅立つ物語。

主人公は30代の高校教師。
なじみのハンバーガー屋のオヤジから過去へ行く道を教えられる。
そのオヤジ、何度も何度も店の裏にある抜け穴を通って過去へと行き来し、あろうことか50年前の貨幣価値を利用して肉を仕入れていたのだ。
なんとちっぽけな!せっかくの過去への旅をそんなことに使っていた。

必ず、行った先は1958年の同じ日の同じ場所。
二回目に行けば一度目の訪問はリセットされ、前回会った人とは向こうは初対面。同じように話しかければ、全く同じ会話のやり取りが繰り返される。
そのあたりが「バック トゥ ザ・フューチャー」とは異なるところ。

オヤジ、せっかく過去へ来れているという重要性に気が付いたのか、1958年からあと5年を過去で辛抱して、ケネディ大統領を助けようと思い立つ。

ベトナムへの介入に否定的だったケネディの死後、大統領になった副大統領のジョンソンはベトナムへの北爆を開始する。だからケネディの暗殺を阻止すればベトナム戦争で亡くなった何百万というベトナム人やアメリカ兵の死者を助けることが出来るはず、というのがその考え。

過去へ行くことが毎回リセットと言ってもそれはあくまでも過去だけでそこで過ごした年月分だけ自分自身は年老いて行く。
歳を取り過ぎてタイムリミットとなったオヤジは主人公氏に過去へ行って、オズワルドの暗殺の阻止を主人公氏に委ねるのだ。

果たしてオズワルドさえ殺してしまえばケネディは救われるのか?

ケネディの暗殺には、現代でも全く解明されないままの謎や陰謀説が山のようにある。
マフィア犯人説、KGBによりものから、CIAの犯行説、兵器産業陰謀説・・・。
オズワルドは実行犯だけをやらされた使いっ走りだったのか、そもそも撃ったのが本当にオズワルドだったのか、さえ確かとは言えない。

そこで、オズワルドが単独で行ったものという確証を得てからオズワルドを阻止するという難しい選択肢を主人公氏は選ぶわけだが、過去は変えられることに対してとことん抵抗してくる。

この本を書くにあたっての過去への調査は並大抵のものじゃない。

なんせ見て来たかの如く事件前のオズワルド周辺が描かれている。

今では歴史の小さな一コマに過ぎないキューバ危機の時の多くのアメリカ人の心境がどんなものだったのか。まるで全土が9.11直後のような大騒ぎの状況をリアルに描いている。

はてさて、オズワルドを阻止してケネディが生き永らえたとしてどんな未来(現在)が現出するのだろうか。

なんとも壮大な物語なのだ。

11/22/63(上・下)  スティーヴン・キング著 白石 朗訳