カテゴリー: ア行



大脱走


就職活動の末、ようやく内定に辿り着いた主人公の女性、片桐いずみ。
辿り着いたのはリフォーム会社の営業職。
9時出勤の会社に初日8:40に出て行くと鬼軍曹のような部長にどやしつけられる。
「9時出勤と言えば、8:30には来て準備するのが当たり前だろうがぁー!」と。

リフォーム会社の営業として入社したにも関わらず、何故か作業服に着替えてから出て行く先輩営業マンたち。
営業はもちろん、飛び込み営業だ。
正攻法で行ったって、話をする前にインターフォンを切られるのが関の山。

そこで編み出したのが、アンテナトーク。

ピンポーン、と鳴らして、
「ちょっと先でアンテナ工事をしますんで、まずご迷惑をおかけすることはないでしょうが、念のため」
在宅していれば、大抵は、「わざわざご丁寧にご苦労様」ぐらいは言われるだろう。
その会話の糸口を掴んだところで、
「ところでお宅のアンテナ、ちょっと緩んでますね。
 なんでしたら、ちょっと先の工事の帰りに見て差し上げますよ。もちろん無料で。」
ここで、「じゃあ見て」と言わせたら、アポインターの仕事は完了。
あとは、クロージング役が引き受ける。

その後ほどの時に現れるクロージング役、まずは屋根にどんどん登る。
肝心のアンテナはそこそこにして、写真をとにかくパシャパシャ撮る。

梯子を下りて来てからが、いよいよクロージング。
奥さん、この瓦のひび見て。これじゃそのうち雨漏りしてくるよ。
と工事話に持って行くわけだが、ここで偽の写真を出しているなら、完璧に詐欺。

もちろん「先でアンテナ工事を」も「アンテナ緩んでますね」もアポ取りのための方便なので、これもダマシであることには違いない。
そのアポすら取れなかった営業マンは現場で深夜続行。
もちろん、歩合なのでそのまま給与にも跳ね返る。

片桐は人を騙すのが嫌なので、どれだけ効率が悪かろうが、「お宅の修繕の営業に参りました」と正攻法でアプローチする。

土曜も日曜も関係なく働き、深夜1時まで働いても、結果は伴わない。

尚且つ入社して来た新人を押しつけられ、そいつの分も稼いでくるはめに。
その新人がまた、楽をすることしか考えない男。
こんなやつ見たことあるなぁ、と思ったが、その男の楽に対する執念は、そんじょそこらのレベルじゃなかった。
その男を中心に後半以降は話が展開していくのだが、それは置いておく。

この会社、ブラック企業として書かれているが、もはやブラックどころか、悪徳企業だろう。

片桐さんの正攻法にしろ、アンテナトークにしろ、どちらのアプローチでも無理だろう。
この会社の業態じゃ、もうどうしようもないんじゃないだろうか。

常に新規の開拓先を営業しなければなりたたないのは、過去に行った先で結果を残していないからに他ならない。
いい仕事を残そうにも、この会社が施工部門を持っていないのは致命的で、所詮外注頼みでしかなくなる。

リピーターが望めない以上、新規に頼るしかなく、それもどんどん遠出をしなければ、行くところが無くなってしまう。

千件アプローチして、せいぜいアポが三つなんて効率の悪さでも成り立っている業種があるとすれば、その三つが成約した場合の報酬がとてつもなく大きいからだろう。
この片桐さんの正攻法にしても、東京をはるか離れた新幹線で行くようなところまで足を運んで営業したところで、ようやく取れたのが7万円の施工受注。
外注の施工会社に頼んで、人と車を出してもらい、高速に乗って現場の往復。
それだけで、もういくらももう足が出るんじゃないのか。
会社の方はいずれ潰れるか、社員が全員やめるかしてどの道終わるしかないだろうが、社会人1年生から3年もこんな仕事をした彼女、もう怖いものなんて無いんじゃないだろうか。

大脱走 荒木 源著



みつばの郵便屋さん


郵便屋さんという職業、あまりに風景に溶け込みすぎていて、その人そのものにスポットがあたることが少ない職業の一つだろう。

登場する郵便屋さんは、小さな親切の積み重ねで、皆を幸せにしていく。

あるベランダの洗濯物が風で飛ばされて行ったら、たいていの人はどうするか。
「あらら」とは言ってもわざわざ届けに行ったりはしない。
郵便屋さんが遭遇したのは、飛んで行った女性ものの下着だった。
それはさすがに拾って届けに行くのははばかられ、彼は、洗濯物が飛んで行きましたよ、っと伝えるにとどめる。

ちょっとした気遣いだ。

荷物の誤配が有ったので取りに来い、という電話。
行ってみると、郵便屋さんの荷物ではなく、他の宅配業者のの荷物だった。
彼は嫌な顔一つ一つしないが、本来の持ち主に運んでよ、という依頼だけはお断りする。

はがきなど着いて当たり前。
手紙など届くのが当たり前。
それはすごいことだ、と思われずに当たり前と思われることのすごさ。
それは彼一人の成果ではなく、永年の郵便屋さんたちが築いて来た信用のなせる業だ。

何やらほっこりとした気持ちにさせてくれる本である。

とはいえ、実際には時間指定できっちりと届けに来る宅配業者さんたちの方がすごい、と思う事しばしばなのだが・・
いえいえこれは蛇足でした。

みつばの郵便屋さん  小野寺 史宜 著



海の見える理髪店


読み終えて、思わず散髪屋に行きたくなってしまった。
この本では床屋と呼んでいる散髪屋というところ、なかなか贅沢な場所だったんだ、とあらためて思った。

ひげをあたってもらう。
髪を洗ってもらう。
散髪屋へ行けば当たり前のことだと思っていたが、なんて贅沢だったんだ。

この本の主人公氏は普段は美容院へ行っているらしい。
美容院では髭をあたったり、髪を洗ったり、肩をポンポンポンと叩いてくれたりしないのだろうか。

この散髪屋のオヤジも話がまた、戦前から始まって、戦中、戦後と床屋としての自分がどう歩んできたかを語って行く。

こういう話を毎回聞かされんだったら、この散髪屋はちょっと辛いかも・・。
と思いつつ読みすすめると、別に誰にでもこんな話をするわけではないらしい。

やけに長い話のようでありながら、語り終えて時計を見ると、椅子に坐ってからちょうど1時間。
散髪も洗髪も髭剃りもマッサージも全部終わっている。

さすが、職人。

他にいくつかの短編が収録されている。
短編同士にほとんど類似性はない。唯一あるとすればどこかで家族が登場するということぐらいか。

「いつか来た道」
見栄っ張りで自己主張の強い母親に久々に会ってみると、認知症の気が・・。

「遠くから来た手紙」
一旦結婚して家をでた女性というもの、いつでも気軽に実家に帰ってこれるものだと思っていたが、弟が結婚しその夫婦が実家で親と同居ともなると、一日二日の帰省はまだしも、少し永くなると居場所がなくなる。とまぁ本編の狙いとは別だが、その当たり前といや当たり前のことを気づかせてくれた。

「空は今日もスカイ」
英語を習いたての女の子が、なんでも言葉を英単語にしていく。
シーシーシー彼女が海を見る。

「時のない時計」
これも理髪店にような職人技師の話かと思ったがちょっと違った。

「成人式」
娘を亡くした父母が、娘の代わりに若作りをして成人式会場へ。

なんだかんだと言って断トツに「海の見える理髪店」が良かった。

さぁ、至福の時間を過ごしに、散髪屋へ行って来ようか。

海の見える理髪店 荻原浩著