カテゴリー: ア行



星やどりの声


一番上の長女は社会人。一番下が小学生の女3人男3人の兄弟姉妹6人。

長女は宝石販売の売上トップのキャリアウーマンで既婚。兄弟姉妹で最もしっかりもの。
夫は同級生だったおまわりさんだ。

長男は就活に追われる大学4年生。父親のツテで家庭教師の必要無いほど勉強出来る娘の家庭教師をしていたりする。

次女、三女は双子の高校生。顔はそっくりだが性格や行動パターン、学校の成績に至るまで全て正反対。
少なくとも表面上はそう見える。

次男もはしゃぎたいざかりの高校生。

三男がまだ小学生なのだが、やけに大人びている。

父親は既に他界し、母親が近所で「星やどり」という名前の常連2名以外はほとんど客が来ないような喫茶店を経営し、生計を立てている。

兄弟各自それぞれが主人公となった一篇一篇にて物語は進んで行く。

長男の篇では長男がえんえんと就活を続けている。
ついこないだまで大学生だった作者だけに、学生視点の就活というものがよくわかる。

単に馬鹿騒ぎをするだけかと思った次男も、結構思慮深く思いやりがあることが分かって来たり。
次女と三女は片方はクソがつくほどに真面目で成績も良く、片方は校則などくそくらえとばかりに化粧をし、学校をさぼるのだが、それも実は父の死を境にはじまったことで、大好きだった父の死の前後に理由があってのことだとわかって来る。

リフォーム専門の建築家だった父親は、あちらこちらでいい仕事、喜ばれる仕事を残しているので、周囲にはこの一家を温かく見守る人が大勢いる。

読み始めは、高校生・大学生の兄弟ドタバタ物語かと思ったが、6人の兄弟それぞれにスポットをあてて進んで行くうちに、この一家がいかに亡くなった父を中心に円を描く様に繋がっているのかがよくわかるような展開になっていく。

なかなかいい話だ。
ついつい彼ら兄弟姉妹を応援したくなってしまう。

まさに作者の思う壺だ。
それでいいのだ。作者の思う壺に嵌まりたくて読んでいるんだから。

ただ、子供たちの名前が家族のしりとりになってるあたりなんてどうだろう。
星やどりの喫茶店の由来についてなんてどうだろう。

あまりに話が出来すぎていて、いかにも作り話っぽい。

いやいや、作り話を楽しむために読んでいるんだから、それでいいんでしょう。

星やどりの声  朝井リョウ 著



神々の午睡


これって一神教の国じゃぁ、まず販売されない本なんだろうな。

有史以前のお話。
大神さまは百何十人の妻を娶り、三百何十人という子供を持つって、どれだけ精力有り余ってんだか。

大神の子供たちは全て箜(クウ)と呼ばれる存在となり、その中の一握りが神になる。
人間と神が身近な場所で共存していた時代の話が六編ほど。

雨を司る神に任じられた姉。
新たな神が誕生すると人々は祝祭を催す。
その祝祭の贈り物として祝祭に間に合わせるために命の削って神飾りを作る職人。
雨の神である姉は、その人間に恋をしてしまうという話。

いたるところに登場するのがグドアミノという美形の死の神。
死の神って、つまりは死神か。

風の神、沼の神、戦の神、音楽の神・・・などなどが登場するが、よくよく考えてみると全部腹違いの兄弟なんだよな。

「盗賊たちの晩餐」という話がなかなか良かったかな。
酒場で「穴倉」に集結したかつての盗賊達。
全盛期の仲間達は皆、捕まえられて牢獄に。
仲間を助け出さないことには引退する気にもならない。
牢獄破りを綿密に計画するにあたって、どうしても仲間に引き入れないといけないのが、その酒場で歌っていた若い娘。この娘を一人前に教育して風の神のサンダルを失敬し、それを使って仲間を助ける計画。

神に近付くための教育を施したこの娘、実は神だった。しかも盗むはずの・・・。

というような話。

あさのあつこさんのこういうジャンルははじめてだ。
元々こういうジャンルも書くんだったっけ。

現代ものではあきたらず、とうとう神話まで書いちゃった?



御免状始末 – 闕所物奉行 裏帳合(一)


闕所物(けっしょもの)奉行というあまり聞きなれない奉行が主役。

取りつぶされた店などに残された財産を没収し、売却するのが仕事。

その売却先からの見返りの袖の下でおいしい目に合うことしばしば。

闕所(けっしょ)なんてそうざらに発生しないので、ヒマな仕事ながら、旗本の仕事の中ではかなり役得が多い方に位置する仕事のようだ。

岡場所で遊んだ侍が法外な金額を店から請求され、逆上するが逆にコテンパンにやられる。
本人は武士の恥とばかりに詰め腹を切らされるが、今度はその藩(水戸守山藩)の連中がその仕返しに鉄砲まで持ち出して大挙して店へ押し掛け、店ごと引き壊してしまう。
その後、裁きは喧嘩両成敗でもなんでも無く、一方的に店だけが責任を被らされ、水戸守山藩は一切お咎めなし。

どうやらその事件そのものは史実らしい。

その史実を知った作者が、何故なんだろう、と行き着いた先がこの物語らしい。

この闕所ものとなった店に残されたものを評価するあたり、倒産企業への債権者の差押えを連想させる。
こういう視点での江戸物は珍しいだろう。

江戸時代も時を得るに連れ、その制度が疲弊してくるのは当たり前で、この物語の舞台となる時代はかなり疲弊しきった時代。
それでも作者は闕所物などというレアなところに目を付けるぐらいだから、江戸時代が好きなのだと思っていたが、あにはからんや、嫌いだった。

あとがきでその独裁体制を批難している。
それぐらいなら、水戸藩を悪役にしなけりゃいいのにと思ってしまう。

江戸時代はさほど悪い時代だったとは思わない。
260年間、内外にて戦争はおろか内乱も戦闘らしき戦闘もない、世界に誇れる時代だったのではないかとさえ思っている。
今でこそ地方の活性化などと言われるが、江戸時代ほど地方に根差した文化が花咲き、維持され続けた時代もそうそうないのではないだろうか。
それぞれの地方に主権があり、それぞれの地方がそれぞれの文化を持ち、特産品を持ち、領土を持つ。それでいながら、各藩同士で領土を巡る戦すら起きていない。
260年間,人口が安定していたのもいいことだろう。産めよ増やせよの時代も無けりゃ、人口減少難も、少子高齢化問題も発生していない。もちろんいいところばかりでは無いのは承知しているが・・・。

あとがきと言えば、この本を著したのが丁度民主党政権発足の時と重なったのだろう。
江戸時代が終わった後に新しい時代が来た時になぞらえて、自民党の時代が終わっての新政権へに期待が文章に滲み出ている。

その政権の担い手が後にルーピーと呼ばれ、さらなる後には実弟をして「宇宙人、もはや日本人ではない」と呼ばれるほどの存在になろうとは、これっぽっちも想像していなかったことだろう。

いずれにしろ、数年後にも読まれることも意識するならあまりその時代の時事問題、特に政治関連など取り上げるべきじゃないだろう。

本編そのものの評価まで下がってしまう。

御免状始末 上田秀人 著