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政客列伝


戦後の日本の政治の中で欠かせない存在でありながら、表舞台よりも寧ろ脇役に徹し、いぶし銀のような役割りを果たした政治家たちにスポットを当てている。

ご登場するのは、三木武吉、大野伴睦、川島正次郎、河野一郎、芦田均、松村謙三、保利茂、椎名悦三郎、金丸信、安倍晋太郎といった面々。

名前だけはかろうじて知っている人もいれば、全く存じ上げない人もいる。

この本は本当に一人の人が書きあげたのだろうか。
三木武吉から松村謙三あたりまではほとんど時代が被っているので、全く同じことを反対側の立場の視点から書く。
一人の人が書いたにしてはあまりにも物事に対する視点の使い分けが為されている。

いぶし銀、という意味では先頭の三木武吉なる人がまさにそうなのだろう。
戦後の政治の話だとばっかり思っていたら、桂太郎内閣退陣をアジっただの、高橋是清の演説中にヤジっただの、浜口雄幸や加藤高明・・・と戦前の有名どころの名前が周辺にわんさか出て来るではないか。
この人一人分でも単行本が書けるんじゃないか、と思えるほどだ。

他の人たちについてもよくこれだけ密室で交わされているような話が出て来るものだ。
誰の次は誰それでその次は君だ、とか。

各党派での密約めいたものやらなんやら。
本人が書き残したもの、周囲に漏らしたものがそれだけ残されているということか・・・。

興味深いのは1945年8月15日という大多数の日本国民が打ちのめされていたその日も彼らにしてみれば、一通過点であったようにしか見えないところ。

結局、何を成し遂げた人、というよりも根回しや調整役として活躍した人の方が多い。

そんな中で最も光っていたのは芦田均だろう。

歴代総理にその名はあってもどんな人だったのかを知ったのはこれが初めてだ。
戦前は外務省で欧州に居り、幾多の論文を認められ、政界に入ってからは戦前・戦中とリベラル派でありながら、戦後もリベラルだ中道だと言われながらも、日本の再軍備必要論を最も早くから言っていたのはこの人だ。
GHQからの押し付け憲法を訳す際に9条第二項に「前項の目的を達成するため」の文字を滑り込ませたのがこの人。
後に「前項の目的を達成するため」の文字があるために憲法改正なくとも自衛隊は合憲となったので、寧ろ憲法改正を今日まで遅らせた要因と言えなくもないが、涙を飲んでまで呑んだ憲法に対するせいいっぱいの抵抗だろう。

総理大臣の在任期間は7ヶ月と短く、昭電疑惑に端を発する贈収賄事件にて内閣は瓦解する。
その芦田潰しには吉田ーGHQ内部の陰謀説もある。

悲運の宰相とあるが、他に写真は無かったのだろうか。
本にある写真の表情を見る限り、確かに運が逃げて行きそうなお顔をしていらっしゃる。

戦後の日本を立て直した人と言えば吉田茂や吉田学校の人たちの名前が真っ先にあがるが、彼ら憲法改正に一番近かった時代を担った人たちが、軍備はアメリカ一辺倒で経済最優先を貫いて来たことが押し付け憲法を今日までおしいただいている最も強い要因かもしれない。

ここに登場する人たち、ほとんど前段から半ばまでほとんど同世代なので、最初から書かれると、戦後から保守合同まではもしくはもう少し先の時代まで、と同じ時代を繰り返されるので、誰がいつ公職追放になったとか、亡くなったとか、ほとんど記憶してしまいそうになる。
途中から眠たくて仕方のない本になっていくのだが、あの金の延べ棒を後生大事に持っていた金丸信を彼自身の立場から書けばどのように誉めているのか、そこまでなんとか辿りつこうと思って読んでしまった。
金丸信までいけばあとは安倍晋太郎(今の安倍首相のお父さん)だけなので、これも読んでしまったが、何のことはない。
ハナから全部読むものではないのかもしれない。

この人とこの人だけ読もう、とハナから決めてから読まれるものと、書いた側も思っていたのかもしれない。

政客列伝 安藤俊裕 著



五峰の鷹


戦国時代を書いた本はあまたとある。
どの人物にスポットをあてるかによって正反対の人物像が浮かび上がったりする。
この本はどちらかというと人物よりも寧ろ物流・交易というものにスポットをあてた本、と言えないだろうか。

主人公は、石見銀山を支配していた三島家(実在)の息子、清十郎という架空の人物。

9歳の時に内通者の手引きによって城は責め滅ぼされ、父親は討ち死に。母親は行方不明に。
その内通者が成長した後もえんえんと敵として前に立ち塞がれる。

清十郎は京で剣術を習った後に一旦故郷へ帰り、その後に倭寇の王として君臨する「王直」の下で働く。

剣の腕は超一流だわ、鉄砲の腕も一流、それどころか西洋兵学に通じ、鉄砲を使っての戦い方を熟知した男。
尚且つ、物覚えも良く、何事も理解が早く、機転が利き、発想が良く、度胸がある。
となれば商売の才能も当然ながら大いにある。

あまりにも完璧すぎる主人公なのだ。

この男が実在したなら、織田信長より先に天下を取ってもおかしくはない。
本人にその野心があればの話だが・・。

商人として実在したなら、堺の豪商今井宗久より、城山三郎の描いた「黄金の日々」の呂宋左衛門よりも大成功していたに違いない。
なんといっても海賊の力をバックに持っているのだから。

時代は室町幕府の権威が失墜し、鉄砲が伝来し、種子島をはじめ国産の鉄砲が作られつつある時期。
織田信長もまだ世に名を成す前の若造として登場する。

将軍を追いやってしまう三好長慶とそれに与する玄蕃と名乗る親のかたきとの戦い。
この親のかたきが後に松永弾正を名乗ってしまう展開としてしまったのは、作者にとって失敗だったのではないだろうか。

書き下ろしとではなく、何かに連載していたものだろう。
憶測で書いて作者に申し訳ないが、連載の途中勢いで松永弾正としてしまったが終盤になるにつれ、それじゃ仇討ちが果たせないじゃないか、と後悔したのではないだろうか。
松永弾正は後に織田信長に滅ぼされる運命なので、ここで架空の人物に殺されてしまうわけにはいかないのだ。

だから、終盤の終わり方、作者はかなり苦労した末、ちょっと尻切れトンボ気味になったのでは?というのはあまりにも穿った見方だろうか。

主人公とかたきとの戦いが主軸のようでありながら、鉄砲のことについてかなり詳しい記述があったり、石見銀山などもかなり詳細な記述がある。
いろいろと調べてあげた末に書いたのではないか、と思われる。

結構道具立ては綿密に書きあげているにも関わらず、読後感が薄いのは、やはり筋立てに無理があったからなのかもしれない。
まぁ、面白くはあったが、ちょっとだけ残念な一冊でした。

五峰の鷹  安部 龍太郎 著



黙示録


黙示録ってタイトルがものすごいインパクト。
どんな予言の書なのか、と思ってしまう。
最後まで読んでみると、「千年」の意味がやっとわかって来る。

この物語の時代は、江戸時代に遡る。
薩摩藩の侵攻を受け、薩摩藩による実質的な支配下に入った琉球王国。
その薩摩の支配下にありながらも清国への朝貢も行う。

双方の大国の狭間で大国の機嫌を取りながらも首里城の王家を維持する。

そんな立場から一転、琉球を世界のど真ん中に置こうじゃないか、と考える男が現われる。
蔡温という政治家で国師という特殊な地位を与えられる。

世界のど真ん中、と言ったって商業の中心地でも政治の中心地でも軍事の中心地でも有り得ない。
芸の世界で世界の中心たるに相応しい文化国家であろうとする。

登場するのが了泉(りょうせん)と雲胡(くもこ)という若い天才舞踊家。

彼らは楽童子として薩摩経由で大阪へそして江戸へと登り、将軍の前で踊りを披露する。
その時の大阪の描き方、江戸の描き方が面白い。
江戸ではまるで現代の芸能記者に追われる芸能人扱い。

方や清国からは冊封使(清国の皇帝が周辺国の王に爵号を授けるための使節)を迎えてまた新たな踊りを披露する。

主人公は了泉というニンブチャー(ヤマトで言うところの士農工商からもはずれた低い卑しい身分)から舞踊ひとつで這い上がった少年。
方や舞踊のエリートとして育成された雲胡とは何かにつけて比較される。

この了泉の見る天国と地獄のような浮き沈みが物語の柱。

舞踊を見た人みんながうっとりし、また感動し、涙を流し・・・というような民族舞踊は想像できないが、テレビも映画も無かった時代の人たちにとって、は目の前で繰り広げられる美しい踊りは唯一の娯楽であり、贅沢だったのかもしれない。

この話、了泉や雲胡のような個人の話は別だが、江戸幕府への使節の派遣やら、清国からの冊封使を迎えるところなど、大まかな流れとしては実際の歴史に忠実に書かれているのだろう。

ただ、ヤマトと清国の描き方から言えば薩摩は力づくで侵攻した相手なのに対して、清国の冊封使は詩を用いてこの国師を絶賛するなど、清国の方に若干好意的に書かれている気がする。
尖閣問題以降、沖縄まで中国が射程においていると言われるこの時期に出版されているだけに若干不安な気持ちも残る本ではある。

黙示録 池上 永一 著