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町長選挙


今となっては、ちょっと話題としては古くなってしまった感があるが、数年前のことなどすぐに忘れてしまう我々には今頃読むのが丁度いいのかもしれない。

各々別の物語ではあるが、全て一人の医者との関わりを持つ「オーナー」「アンポンマン」「カリスマ稼業」「町長選挙」という短編が四篇。
というより一人の医者を主人公とした世相ものの読み切りが四篇という表現の方が的確か。

医者と言ってもまともじゃない。
日本医師会の理事のどら息子といった感じの神経科の医者で、タメ口はきくは、ろくすっぽ診察もせず、いきなり注射を打とうとするわ、とはちゃめちゃ。
ところが、そのはちゃめちゃぶりにも関わらず、なんだかんだと診察に訪れた人に本当の自分を気づかせたり、最終的には治してしまったり、と不思議な存在なのだ。
日本医師会で気が付くのだが、この本では実在する団体名、政党名などが平気でそのまま出て来るものと、架空の名前で登場するものがあって、その使い分けの基準はなんなんだろう、と少々気になった。

おそらくこういうことなのだろう。
実在する団体名を使ったところは、この本で書かれた事とはまったく事実には関与しない団体で、東京グレートパワーズだの大日本新聞だのナベマンだのライブファストだのと言った架空の名前でありながら、読者にはそれぞれ読売ジャイアンツ、読売新聞、ナベツネ、ライブドアのことだろう、とわかってしまうような存在こそが、今回モチーフとしていじりたおしてますよ、ということを強調するサインになっている。

「オーナー」の主役はあの読売巨人軍の元オーナーにして読売新聞社会長のナベツネ氏。プロ野球をセ・パ両リーグから1リーグ制へ移行しようと画策するが、反発した古田選手のことを「たかが選手が」と言ってしまったがために、マスコミから袋叩きに会う。
暗闇が怖い、閉所が怖い・・・だが、弱いところは人には見せられない、絶対的な地位に居る人の孤独が感じられるが、この先生にかかるとそもそもその絶対的な地位であることを忘れさせられたりする。

「アンポンマン」の主役も一時の時の人であったホリエモン。
パソコンを使いすぎて、漢字は読めても書くことが苦手になる人は多いが、ここに登場するホリエモンならぬアンポンマンは、ひらがなを忘れてしまう。
田原総一郎と思われる人とのやり取りは、いかにも現実にあったようなやり取りが再現されていておもしろい。

「カリスマ稼業」歌劇団出身で40代とは思えない若々しさと美しさでブレイクしている女優が主役。
摂取カロリーを絞りに絞って体形を維持し、お肌もすべすべ、化粧ののりもいい。
それでもそれが努力の結果だと見せたくないのが、女優という職業らしい。
世の中、アンチエイジングの花盛り。
「そんな歳には見えない」と言われることを喜びにし、日々苦悩するわけだが、圧倒的な若さを前にしてしまえば、そんな作り物の若さなど到底太刀打ちできるものではないのだった。

そして表題の「町長選挙」。
東京都でありながら、東京よりはるか彼方の離島で繰り広げられる選挙戦。
まったく島を二分する選挙で、公務員が公務時間中だろうがなんだろうが、仕事そっちのけで選挙運動に邁進する。
昨年の大阪市長選挙での大阪市職員を思い浮かべてしまった。
負けた陣営は四年間、砂を噛む生活を強いられる。
中間層を取り込むためなら、接待づくしはするは、金は飛び交うは、と無茶苦茶な選挙運動だ。
それもこれも元凶は地方交付税。
たった人口2500人の過疎の島ながらインフラは大都市顔負け。
図書館もスポーツ施設も箱モノはどれも豪華で立派なものばかり。
勝った陣営はそんな使いたい放題の予算を握ることになるわけだ。

これもどこかで聞いたような話ではある。
この話と瓜二つの選挙合戦が島を二分して繰り広げられるのだ。
東京都ではないが、鹿児島の南の徳之○とかいう島だったかな。

地方交付税もここ数年で減って来てはいるはずではあるが、この地方交付税の廃止こそが、国と地方の役割分担を明確にするんだ、と訴えているのが今の時代の人、橋本徹大阪市長だ。

この本が書かれた頃の時代の人がホリエモンなら、今の時代の人はやはり橋本市長だろう。
この人の手にかかれば橋本氏はどんな病気にされてしまうのだろうか。

町長選挙  奥田英朗 著



姫椿


浅田次郎という作家の持つ引き出しは際限がない。
幕末の新撰組を誰とも違う切り口で切ったみたり、日本がポツダム宣言受諾後に千島列島に攻め入るソ連軍相手にその最先端の占守島(シュムシュ島)というところで最後の戦をする日本兵を描いてみたり、リストラされるサラリーマンを描くかと思えば、死後の世界へ旅立ってしまったサラリーマンを描いてみたり・・・。

そのどれもが最終的には人の涙腺を思いっきり刺激してくれるのだ。

本書、ほんの短い小編が八作収められているが、これがなんとも味わい深い。

「シエ」
9年間、同居人する家族として愛していた猫に死なれてしまう女性。
悲しみに明けくれてしまう中、出会ったのがペットショップのおじさんが手渡してくれた「シエ」(けものへんに解 と書いて シエと読ませている)と呼ばれる動物。
大きさこそ仔犬ほどの大きさだなのだが、顔が麒麟(首の長いキリンじゃない)というだけでも充分に気味がわるいだろうに、額に鹿の角、足には牛の蹄、尻尾は虎の尾・身体は鱗に覆われている、とまで書くのはよほど、「奇妙な」「得体のしれない」ということを強調したいのだろう。

その「シエ」と同居するわけだが、何故かどんなペットプードも一口も口をつけない。
いったい何を栄養源にしている動物なのか・・・。

シエが彼女に心の中で叫ぶ「不幸の分だけちゃんと幸せになれるよ。ほんとだよ」という言葉が無性に心に沁みる。

「姫椿」
銀行からの借入の返済に苦しむ経営者。
唯一残された手段が自らに保険金をかけて自殺をし、借金取りの魔の手が家族に及ばないようにすること。
自殺するならシティホテルでの首つりが一番だろう、と向かおうとする途中で昔行きつけた銭湯を見つけてしまう。
まだ貧しかった頃に通っていた頃のままで、三助が背中を流してくれるようなところ。
そういう世界を浅田氏に書かせると天下一品だ。
湯屋のオヤジは若い頃のその彼とその奥さんを覚えていて、奥さんの当時の呼び名(フーちゃん)まで覚えている。
「こんどフーちゃんも連れといで」
の一言は、初心に立ち戻るには充分すぎただろう。

「再開」
大学を出て三十年ぶりで再開した友人。
その友人から聞かされた話とは・・・。
そのあたりは中略。

東京にはこれだけどこにでも人がいるというのに、国立競技場満杯で10万人。そのたった百倍の人口しかいないことの不自然さに主人公は気が付く。

この視点はおもしろい。
近郊から通勤してくる人が多いので、日中人口はその何倍もある、という反論はあるかもしれないが、国立競技場の100や200に押し詰めれば、東京中から人がゼロになるほど東京の人って少なかったっけ。

この物語、パラレルワールドのようなものを描こうとしている。
あの時の判断で右へ行った自分と左へ行った自分、右へ行った友人と左へ行った友人、正反対の生き方をして三十年も経てば本人が本人に出会ったってわからないぐらいに変わっているだろう。
そんな人生の帰路を変える瞬間など山ほどあっただろう。
そんなそれぞれの判断をした、しないで道を変えて行った無数の同一人物が実は東京ではすれ違っているのではないか、というまさに「世にも奇妙な物語」なのだ。

「マダムの咽仏」
完璧な女として生きたはずのおかまのママの生き様とは・・。

他に
「トラブル・メーカー」
唯一笑える・・・かな?

「オリンポスの聖女」
「零下の災厄」

そして最後に
「永遠の緑」
妻を病気で亡くした大学の博士。
彼の唯一の趣味は競馬。
ギャンプル好きの浅田氏の本領が十二分に発揮されている。

もっと書いてよ、と言いたくなってしまうほどに、それぞれは、あっけなく終わる。
短編もというのは皆まで書かないだけに後は勝手に読者が想像するしかないのだ。

浅田氏の長編が素晴らしいのは言うまでもないが、短編もまたそれぞれに余韻が残るものばかりである。

姫椿  浅田次郎 著



匂いの人類学


人間は何種類の匂いを嗅ぎ分けられるか。
3万種類を嗅ぎ分けられると言うジャーナリストも居れば、1万種類としたプレス・リリースも有った。
しかし、それはどれも根拠の無い意味の無い数字だった。
「なんてこった」と筆者は嘆くのだった。

この人、自身では調香師のように臭いをかぎ分けられるわけではないのだが、まぎれもなく、「匂い」の専門家だろう。

これだけいろいろな切り口から「匂い」というものを切り刻んだ本があるだろうか。

いったい匂いというのはどれだけの種類があるのか。
それを専門にする人達はソフトウェアのサブモジュールよろしく、上位からのカテゴリ分けの下の下位モジュールが幾層にも連なる方式で匂いを管理する。

そのカテゴリも時代やその専門とする業種によりさまざま。

そうして匂いというものを分析する人達がいるかと思えば、驚くべき実験結果が記述されている。

瓶の中の液体を綿の塊に沁み込ませて学生たちに嗅がせたのだという。
何か匂いがしたら手を上げるように指示すると3/4の学生が手をあげた。
だが、実際にその瓶の中の液体は全くの無臭の水なのだった。

匂いというものが、方や奥が深いものであるにも関わらず、人が感知する匂いはかなり心理的な要素に左右される。

別の実験では、ラジオで超高周波の音を流し、心地よい田舎の香りが流れる音だと説明すると、多くのリスナーが干し草の匂いがした、牧草の匂いがした・・・などと感想を報告して来たという。
もちろんラジオから匂いなど流れてはいない。

いかに「匂いがする」と思うことが直ちに匂いを感じることに繋がるのかを示した貴重な実験結果だ。

そのほかにも、マリファナの匂いのする印刷を頼まれた業者の話。
マリファナの匂いやコカインの匂いを作ることは果たして合法なのか。

料理と匂いの関係についての分析。
匂いがあるからこそ、風味というものが生まれる。
無臭のコーヒーなど誰が飲みたいと思うだろうか。

また「匂い」をマーケティングに利用しようという試み。

ありとあらゆる角度から「匂い」というものを分析している。

匂いについてだけで全12章。

なかなかにして値打ちのある本だと思う。

匂いの人類学 鼻は知っている エイヴリー ギルバート (著)  勅使河原 まゆみ (翻訳)匂いの人類学 鼻は知っている エイヴリー・ギルバート著 勅使河原まゆみ 翻訳