カテゴリー: ア行



四龍海城


北海道の東の果て。道東に住む少年。

吃音のため、タ行とカ行で始まる言葉をまともにしゃべれたことがない。

話し方を笑われるのが嫌なので、話をしない。必然と友達はいない。
そんな彼が夏休みに入ったある日、海岸で一人遊んでいるうちに、引き潮で現れた地を歩いて行くうちに、満ち潮になってしまい、泳げない彼は引き返せなくなる。
その場所で彼が見たものは、彼の人生の中で見た中で、最も大きな建物だった。

もっとも彼はその建物の存在を知らなかったわけではない。
地元の人なら皆知っていただろう。
大人はことあるごとに「海岸に近づくな」と言い、海岸線に出たら「神隠しに合うぞ」と言っていた。
そこはどうやら、日本の領海内なのにそこは日本ではないらしい。

「神隠し」というのはまんざらウワサ話でもなかったようだ。
彼自身、その建物(四龍海城)への境界線を越えるや否や、外へ出られなくなってしまう。
門番から出城料を支払わない限り出て行く事が出来ない、と言われるが、その出城料とは一体何なのか。

どうやら、その建物=城の中には何千という人がいるようなのだが、彼は「大和人」と言われる人の集まったコミュニティへ連れて行かれる。
そこには拉致されてきた人。
迷い込んで入って来た人。
自ら入って来た人。など入って来る時はさまざまでも出城料とは何なのかが分からずに出られないという点では同じである。

大和人以外の人は城人と呼ばれ、城人は一切の感情を持たない。
嬉しいも悲しいも怒りも笑いも無ければ、過去の記憶も無い。
ただ、もくもくと働くだけ。

何をして働いているのか。
なんでもその建物は発電所なのだという。
その名も四龍海城波力発電所。

以前、経産省の課長をしていた人が残した言葉には、そこでの発電量は日本の電力の40%を賄っているのだと言う。

本の中には脱原発のムードで・・・とあるが、今年の原発事故発生後に書き始めた本ではないだろう。

後で書き足したのかな。

単に海流の波だけでは無く、そこで一日四回流れ、そして感情の無い人々が歌う四龍海城波力発電所の社歌からの波長。
どうもエネルギーの源泉の秘密はそのあたりにあるのかもしれないが、もちろん明記はされていない。

それにしてもそれだけの施設なら隠し通せるわけはないのだが・・・。
Google Earth に載らないということは、Google社を買収したのか?
陸から見えるぐらいなのだから、いくらでもインターネットに画像UPぐらいされるだろう。
日本の電力の40%の発電所ならものすごい規模の送電線網が敷かれているだろうに。
知床半島のすぐ近くで日本の了解でありながら日本では無い。
それをロシアが放置するわけが無かろう。

というあたりはスルーすべきところなのだろう。

さて、問題は出城料である。
金でもなければ、物でもないらしいことがだんだんわかってくる。

さて、その出城料を支払うと出られる代わりに何を失うのだろうか。
読まれてのお楽しみとしてしておきましょう。


四龍海城  乾 ルカ 著 新潮社



大盛りワックス虫ボトル


同じ小学校に、しかもたったの3クラスしかない同じ小学校に6年間も通っていたというのに、中学へ入るやいなや、「えぇ!同じ小学校だったっけ」と言われる少年。
どれだけ存在感無いんだ。
名前を忘れられることなら、まだまだ普通だが、もはや存在そのものが記憶から消されてしまっている。

小さな頃からそうだった。
かくれんぼをしていたら、かくれているうちに存在を忘れられてみんなが家に帰ってしまっていたり、小学校の催し物を行った時も一人だけ遅れて参加出来なかったのに、参加していないことにも誰からも気が付かれなかった。

「透明人間」を取り上げた本や映画というのは昔からいくつもある。
その中では透明人間って不便だったり、透明だからこそなのか、返って目立ってしまっていたりする。

真の透明人間というのはこの主人公:虫ボトル君のことではないのか。
見えていてもその存在そのものがあまりにも希薄すぎて、結局居ることに誰も気が付かない。
昔の日本の忍者にはそういう技術があったという。

存在感を消すという技術は、透明人間を作りあげるような科学技術は不要だが、効果としてははるかに有用なものなのだろう。

しかし、それはあくまでも存在を消したい人にとってであって、自分はここに居るんだ!と存在を認めてもらいたい少年にはたまらないことだろう。

自宅に戻った彼はペットボトルに向かって秋葉原連続殺傷事件じゃあるまいに「こうなったら手あたり次第に1000人ぶっ殺ししてやる!」と叫ぶところからこの話が始まる。

その1000という数字がこういう具合に返って来るとは。
ペットボトルの底に現れた、糸くずみたいな手足の虫が彼に命令する。
次の誕生日までに人を1000回笑わせろと。
なんともたわいのない話ではあるのだが、とにかくそういう設定なのだ。

相棒を探して文化祭でコントをやってみよう・・と決心をしてからは彼の中で何かがはじけたのではないだろうか。

以外にもお笑い芸人には昔ネクラだったとか、静かで目立たない人だった、みたいな人が多いと聞いたこともある。

案外、こういう人が将来芸人になってしまっているのかもしれない。

いや、芸人になるかどうかはどうでも良くて、彼ともう二人の相棒の彼らが味わった達成感はそれから先の彼らにとって大きな財産となって行くのだろう。

大盛りワックス虫ボトル 魚住直子著 YA!ENTERTAINMENT



一刀斎夢録


時は明治がまさに終わり、新しい時代である大正へと移らんとしている。

天然理心流を極めた剣士でもある近衛将校の主人公に明治天皇の御大喪として八日間もの休みが与えられる。

その休みの間、夜毎通い続け、酒を傾けながら明け方まで話を聞きに行った先がなんと、往年の新選組副長助勤、三番組組長斉藤一。

そう。この話、ほとんど斉藤一の一人語りなのだ。
ひょうきんで明るいと一般には言われる沖田と対比され、無口で薄気味が悪いとされる斉藤一が語る、語る。
数年前に壬生義士伝が映画化された時、斉藤一を佐藤浩市演じているのに、さほど違和感が無かったのだが、よくよく考えてみるに斉藤一は若いイメージのある沖田よりさらに若く、新撰組に在籍していたのは20~25才ぐらい。今で言うとさしずめ大学生から社会人1~2年生といった年齢だ。
佐藤浩市じゃ少々歳が行きすぎているはずなのだが、この斉藤というあまりに際立ったこの人をそんじょそこらの若手俳優が演じられるはずがない。

もっとも斉藤に言わせれば、沖田こそ人を斬るために生まれて来た男ということになるのだが・・。
斉藤はことあるごとに人間みな単なる糞袋じゃねーか。と言う。
壬生義士伝の中でも坂本龍馬を暗殺したのは実は斉藤一だった、みたいなことがさらりと触れられていたが、この話の中ではもはや確信的だ。
浅田次郎は絶対にそう確信しているのだろう。
薩長連合の橋渡しをしたばかりか、大政奉還までも成し遂げ、国内での戦を回避させようとする龍馬は長州にとっても薩摩にとっても、もはや除外せざるを得ない存在だったのだろう。

西郷は血の雨を降らさなければ、新しい時代にはならないという考えで、鳥羽伏見はおろか、戊辰戦争を終えて後でさえ、まだ血の量は足りなかった。この浅田説によれば、西南戦争は西郷と大久保利通の図り事であったのだという。

士農工商はこれで終わりね、といきなり言われたってそう簡単に人間変われるもんじゃない。
御大将自らが壮絶に討ち死にすることで、世の不平士族を黙らせ、国軍を国軍たらしめる、そのために西郷と大久保は、壮大な画を描いた。

おそらく西郷蜂起の一報よりも派兵決定の日が先だったり、というのはこの話の中の作り話ではないだろう。
確かに不平士族を黙らせるための征韓論なんていうのもあまりにお粗末だ。

そんななぁと思いつつも、だんだんとなるほどそうだったのかも、と読者に思わせてしまう。
特に西南戦争の真っただ中で今度は官軍側の抜刀隊として斬って斬って斬りまくった斉藤一が、戦というものを熟知する男である斉藤一が語ったのであれば、尚更である。
そういうところが浅田次郎の新鮮さなのだ。

浅田次郎はこれまで人が散々書いて来た題材を扱う時、必ずや自分ならではの視点を持って来る。

大政を奉還したって日本最大の大大名であることに変わりはない徳川が何故いとも容易く、恭順の意を示してしまったのか。
勤皇の空気が漲る水戸出身の将軍が最後の将軍になったから。
そしてそれを実現させたのが、薩摩出身で大奥へ入り、大奥を牛耳る存在にまでなった天璋院。天璋院を動かすべく画策したのは西郷だという。

なるほど、なるほど。

読めば読むほどに目からうろこ。
まことに面白い。

上・下巻通しで結構の分厚さの本でありながら、一気に読まされてしまった。

斉藤一は言う。

始末に負えぬ将には三つの形がある、と。
己の功をあせる者、死に急ぐ者、思慮の足らぬ者。

その将の典型が203高地の乃木将軍だったと。
そしてその真逆が西郷隆盛であり、土方歳三だったのだろう。

斉藤からすれば乃木将軍でさえ年下なのだ。
殉死にあたって言い訳を書き残すやつがあるか。
後の始末をせねばならん妻までも道連れにしてどうする。
なかなかに手厳しい。

方や五稜郭を土方一人が御大将であったなら、永久に陥落しなかったであろうと、斉藤は言う。
その後の軍隊が乃木将軍を軍神と崇めてしまったところが昭和の軍人の不幸だろうか。
開戦から敗戦に至るまで、思慮も足らない、命を大切にしない将校が日本をあの無残な敗戦に追いやったのかもしれない。

そんな斉藤が百年後のこの日本を見たらどう言うのだろう。

たぶん、同じことを言うのだろう。
どいつもこいつも糞袋ばかりじゃわい、と。

一刀斎夢録  浅田次郎 著 文藝春秋