カテゴリー: ア行



ガラスの巨塔


この著者、あのプロジェクトXの生みの親のプロデューサーである。
本の前半で繰り広げられるのは、主人公西氏の活躍ぶり。
1991年の湾岸戦争の時にイラク軍の捕虜となった米軍兵士。米軍兵士しては屈辱的な放送を流されたその兵士のアメリカの両親を取材し、息子を兵に取られた親の辛い思いを映像にし、それが終わるや、実際に捕虜となった兵士の取材へ飛ぶ。
それだけでもまだ飽き足らず、実際にかれの乗っていたF16戦闘機が墜落した映像をおさめようとイラクへ飛ぶ。

そのドキュメンタリーは絶賛され、芸術作品賞までもらう。

その他にもドキュメンタリーものをいくつか手掛け、評価された主人公西氏は「チャレンジX」という番組をプロデューサーとして取り組む。

「チャレンジX」というのが、「プロジェクトX」を指すのはだれが読んでもすぐにわかる。

ならば、本業でのやり方と同様にドキュメンタリーとしてこの本を書けば良かったのに、何故、わざわざ名前や番組名を変えて敢えて小説というスタイルを取る必要があるのか。
自らの作ったものに絶対の自信と誇りを持っているのは大いにわかるし、それはそれで良いことなのだろうが、第三者に取材させた格好でまとられたものと違い、自分で自分を小説の主人公にしてしまっていると、なんだか、自分の自慢を良くそこまで書けるなぁ、と変に感心してしまったりする。

それでも、なんとか小説として割り切って読み終えてしまおう、と読み進めるうちに、著者の目的がだんだんと見えて来た。

これは小説という体裁を取り、一応架空の名前を使用してはいるが、告発本でもあり、暴露本でもあり、それより何より復讐本なのだ。

NHKという巨大組織、社員1万人。関連グループ3000人。全国各地に莫大な不動産を持ち、黙っていても7000億円の金が転がり込む。世間で言うところの不況などとは無縁の会社。これらの数字はこの本の記載によるもの。本の中では日本放送協会ではなく全日本テレビという名前だったが・・。

その金遣いの粗さはかねてから、良く言われる。

この本の中でもイラクへ取材に行こうとした主人公がヨルダンのNHK記者に挨拶に行ったところ、首都アンマンのインターコンチネンタルホテルのスイートルームに陣取って、短パン、サンダルというラフな格好で酒を飲みながらリゾート気分を謳歌していたり。

バグダッドでは、先にイラク情報省へ取材したNHK記者が多額の米ドルをばらまいたために他国の取材者は同様に金をせびられ、大いに迷惑した、と他国のメディアはNHKへ憤りを見せる。

同じようなことがかつてNHKがシルクロードを特集した時もあった。
取材協力者として映像を映した村人に多額の金をばらまいたため、後にシルクロードへ入ろうとした普通の取材者は一様には迷惑した、という話である。

そんな金にいとめをつけない組織だからこそか。
官僚主義が蔓延していて、物作り=番組作りを行う人間よりも、上司にうまく取り行る人間が出世して行く。

そんな組織の中での「プロジェクトX」だ。

「プロジェクトX」は確かにいい番組だったし、感動した覚えもある。

放送界の天皇とまで呼ばれた当時のNHK会長が、「プロジェクトX」とそのプロデューサーである主人公を評価し、プロデューサー氏は二階級特進の出世を射止める。

「男の嫉妬は怖いわよ」と当時の女性役員が主人公に言う。

絶大な権力を持った会長が社内の不祥事で辞任に追い込まれると、特進した主人公氏を妬んでいた部長だの局長だのが、こぞって主人公氏の不祥事を暴こうとし、「プロジェクトX」も潰そうとする。

組織の有り方もいいものを作って評価されることよりも、減点主義で問題を起こさないことのみを重視するようになる。

本書の帯には 「この小説を書くためにNHKを辞めた」 とある。
著者はこの本で実名ではないにしろ、内部の人はおろか、ちょっと調べる気になればすぐに誰だかわかるような悪意ある人たちがこれまでどんなひどい行いをしていたかを暴露することで復讐を図ろうとしたことは間違いない。

どこかの料亭で集まって、主人公氏を追い落とすための作戦会議の模様などが、何度も書かれるのだが、これは裏付けあってのことではないだろうから、小説形態なのか。

「自分を蹴落とすために集まって謀議を図っていたはず」などということは逆の立場から言えば、思い込みも甚だしい、と一蹴されるだろう。

通常の民間企業だって数年前よりコンプライアンスの部門が立ちあがって、現場のやる気を殺いでしまうことなど多々ある話。
不祥事があった会社であれば尚更だ。

確かに「プロジェクトX」というヒット商品を作って、賞を総なめにして名が売れたプロデューサーに対する妬みや嫉妬があったことは想像できるが、ここまでその個人達を追求するのなら、やはり元来の取材屋の本領を発揮してXX部長が週間○○に情報を売っていた事実を突き止めるなりをして、訴訟も辞さずの気構えでドキュメンタリーにして欲しかった。

ちょっと小説とは呼べない小説なのです。

ガラスの巨塔 今井彰  著 プロジェクトXのチーフプロデューサーによるNHK批判本



前へ!


この年末年始で、あの大震災を再度取り上げたテレビ番組は多かったが、最も向かっ腹がたったのが1000年後に残したい映像なる番組の中での日本が最も危なかったあの時期をドキュメンタリー風のドラマとして作り上げていた映像だろうか。
それまでの映像が台無し。

これまで前首相を散々虚仮下ろしていたはずの民放で何故あんなドラマを作ったのだろう。
前首相や前経済産業相を何故あんなに持ち上げて登場させたのだろう。
直取材をさせてもらい、インタビューで登場してもらったお礼なのだろうか。

麻生幾という人、これまでも日本の知られざる公安警察だとか、北朝鮮兵士がほんの数人福井に来ただけでどのような危機的なことになるのか、といったのシュミレーション小説だとかを読む限りにおいては、公安なり自衛隊なり警察なりに取材可能な太い人脈をお持ちなのではないかと思っていたが、この本を読んであらためてその取材力の凄さを思い知らされた。

これまでの本は小説というフィクションだったが、これはノンフィクション。
各々の取材対象の人々はそのままの肩書きで実名で書かれている。

第一章では「福島原発、その知られざる戦争」というタイトルで原発直後からの数日間、まさに日本が最も危なかったあの期間に自衛隊がいかに立ち向かったのかが描かれている。
当時の内閣との最も異なる点は、福島現地に司令官を置きその現地司令官に判断を委ねた点。
現地司令官は、情報が錯綜しても混乱せず、声を張り上げて命令を下すことも、情報がないことに罵声を浴びせることもなく、至って沈着冷静。
寧ろ静寂だった、と記述にある。
まるでどなたかへの当てつけのような正反対の冷静ぶり。

彼らの使命は、原子炉冷却のための給水活動。
「3号機は安定し、安全です」と東電が言い、部隊が3号機に向かった直後に3号機の建屋が爆発する。
全身が真っ黒な埃にまみれ、防護服もズタズタになった彼らは、一旦退避の後再度給水へ向かう。

東電に関しては各メディアから散々叩かれているので、もはや触れるまいとも思ったが、どうもメディアの伝え方とはちょっと異なるのだ。
悪いのは、本社でのうのうとしている偉い人達で、現場の人達は立派だったはず。

ところがここで描かれているのは現場での東電のエリート意識や秘密主義。

次は3号機のプールだ、4号機のプールだ、と次から次へと指示が来ながら、その配置図や設計図はおろかおおまかな地図さえ出そうとしない。

Jヴィレッジというホテルも兼ねた立派な施設がありながら、自衛隊員には開放しない。ようやく開放しても現地の東電社員はホテル棟の全ての部屋に鍵をかけ、全ての会議室も使用させない。

現場で給水をする人達に知らせようともせず、ベント(放射性物質を含んだ蒸気の排出)を行おうとする。
それをテレビで知った幕僚からの連絡で隊員達はかろうじて退避する。

しかし、そんなことよりも自衛隊の幹部が戦慄を覚えるのは、免震重要棟に200名という社員がいながら、全体を俯瞰して見る、チェックする人間がいない組織についてだ。
全電源消失で次に何が起こるのか。
原子炉を冷やすことが最優先だったとしても、燃料プールの循環装置も動かない。
ならば燃料プールの燃料棒が露出する。
そのことに気が付く人間がいない組織に戦慄する。

著者はその有りさまを小学生のサッカーに例えている。
一つのボールへ向かってのみ群がってしまう。
しかしそれは小学生のサッカーに対して失礼かもしれない。

東電は組織としてひどかったとして、人間としてひとかったのは当時の経産大臣の海江田氏だ。
著者はその異常さを取材を経た上で何度も書いている。
自衛隊より遅れて放水に参加したハイパーレスキュー隊(東京消防庁)。
彼らも壮絶な覚悟を持って放水に参加したのだが、放水ポイントの放射線量があまりにも高過ぎたために一旦後退する。

とたんに東京の安全な場所に居る海江田から
「そんな臆病な指揮官代えろ!」
と怒号が飛ぶ。
「ハイパー下がれ!自衛隊と代われ!」
命令系統を無視したこの種の無茶苦茶な指示が海江田からは何度も発せられる。

ハイパーレスキューにすれば、そんなみじめな撤退を余儀なくされれば全国の消防部隊全体の士気にも関わる。

だから自衛隊の指揮官はその指示を受けず、もう一度ハイパーレスキュー隊に行かせ、その指揮官の指示を感謝で涙を流しながら受けたハイパーレスキュー隊は14時間放水し続け、2400トンもの水を燃料プールへぶち込んで来る。

海江田万里という男。
バブル時代に調子に乗って財テク本で人を踊らすような男が、一時は経済評論家っぽくコメンテーター席に陣取っていたかと思うと、いつの間にか政治家になってしかもこともあろうに経産大臣。
そんな男が、危うく総理大臣になっていたかもしれないのだ。
恐ろしい。
鳩山・管と続いてその次が海江田ならもう日本は終わっている。

自衛隊や防衛省幹部が東電に戦慄を覚えた以上に恐怖だったのは、次から次へと海江田からが発っせられる指示を聞いて、実は対策本部は1号機から4号機までの状態を全く把握していないのではないか、繰り出されるオーダーには何ら科学的な根拠も何もないのではないか、という疑念が徐々に現実になって来たことだ。

自衛隊、ハイパーレスキュー隊と言ったプロフェッショナル達はとんでもないアマチュア連中に振り回されながら、原発と戦い続け、給水し、放水し続けた。

やがて外部電源の復旧工事が進んだ後も、自衛隊は第一原発から引きあげなかった。

まるで協力会社の社員か何かのようにあしらわれたにも関わらす、不測の事態が起きた場合に東電の社員を救出するために。

冒頭の「1000年後に残すべき」というものを選ぶなら寧ろこの本の方にして欲しいものだ。

前へ!―東日本大震災と戦った無名戦士たちの記録  麻生 幾 著



四龍海城


北海道の東の果て。道東に住む少年。

吃音のため、タ行とカ行で始まる言葉をまともにしゃべれたことがない。

話し方を笑われるのが嫌なので、話をしない。必然と友達はいない。
そんな彼が夏休みに入ったある日、海岸で一人遊んでいるうちに、引き潮で現れた地を歩いて行くうちに、満ち潮になってしまい、泳げない彼は引き返せなくなる。
その場所で彼が見たものは、彼の人生の中で見た中で、最も大きな建物だった。

もっとも彼はその建物の存在を知らなかったわけではない。
地元の人なら皆知っていただろう。
大人はことあるごとに「海岸に近づくな」と言い、海岸線に出たら「神隠しに合うぞ」と言っていた。
そこはどうやら、日本の領海内なのにそこは日本ではないらしい。

「神隠し」というのはまんざらウワサ話でもなかったようだ。
彼自身、その建物(四龍海城)への境界線を越えるや否や、外へ出られなくなってしまう。
門番から出城料を支払わない限り出て行く事が出来ない、と言われるが、その出城料とは一体何なのか。

どうやら、その建物=城の中には何千という人がいるようなのだが、彼は「大和人」と言われる人の集まったコミュニティへ連れて行かれる。
そこには拉致されてきた人。
迷い込んで入って来た人。
自ら入って来た人。など入って来る時はさまざまでも出城料とは何なのかが分からずに出られないという点では同じである。

大和人以外の人は城人と呼ばれ、城人は一切の感情を持たない。
嬉しいも悲しいも怒りも笑いも無ければ、過去の記憶も無い。
ただ、もくもくと働くだけ。

何をして働いているのか。
なんでもその建物は発電所なのだという。
その名も四龍海城波力発電所。

以前、経産省の課長をしていた人が残した言葉には、そこでの発電量は日本の電力の40%を賄っているのだと言う。

本の中には脱原発のムードで・・・とあるが、今年の原発事故発生後に書き始めた本ではないだろう。

後で書き足したのかな。

単に海流の波だけでは無く、そこで一日四回流れ、そして感情の無い人々が歌う四龍海城波力発電所の社歌からの波長。
どうもエネルギーの源泉の秘密はそのあたりにあるのかもしれないが、もちろん明記はされていない。

それにしてもそれだけの施設なら隠し通せるわけはないのだが・・・。
Google Earth に載らないということは、Google社を買収したのか?
陸から見えるぐらいなのだから、いくらでもインターネットに画像UPぐらいされるだろう。
日本の電力の40%の発電所ならものすごい規模の送電線網が敷かれているだろうに。
知床半島のすぐ近くで日本の了解でありながら日本では無い。
それをロシアが放置するわけが無かろう。

というあたりはスルーすべきところなのだろう。

さて、問題は出城料である。
金でもなければ、物でもないらしいことがだんだんわかってくる。

さて、その出城料を支払うと出られる代わりに何を失うのだろうか。
読まれてのお楽しみとしてしておきましょう。


四龍海城  乾 ルカ 著 新潮社